ツシマヤマネコの保護はどれだけ進んだのか
日本獣医生命科学大学 野生動物学研究室 日本の絶滅危惧種問題 羽山伸一(5)
空前のネコブームの陰でいま、日本の野生ネコ科動物が絶滅の危機に瀕している。その1種であるツシマヤマネコの保護と研究に取り組む羽山伸一先生に会いに、同じくツシマヤマネコの人工繁殖に挑む井の頭自然文化園へ行ってみた!
(文=川端裕人、写真=的野弘路、協力=井の頭自然文化園)
ツシマヤマネコの保護増殖計画は、絶滅を危惧される日本の哺乳類を対象としたものとして、ひとつのパイロットプラン的な立場にある。
転機となった2006年の国際ワークショップで議論された4つのテーマとは、どのような内容で、10年たった今どんなふうに実を結んでいるだろう。ひとつひとつ見ていこう。
関係者が一堂に会した2006年の「ツシマヤマネコ保全計画づくり国際ワークショップ」。パイロットプランと呼ぶにふさわしい方策が議論された。(写真提供:羽山伸一)
まず、おさらいすると、4つのテーマとは、「ツシマヤマネコと共生する地域社会づくり」「生息域内保全」「飼育下繁殖」「感染症対策」だ。
最初の「ツシマヤマネコと共生する地域社会づくり」は、豊岡コウノトリの郷でコウノトリを野生復帰させて地元の「プライド」にした経験を持つ人物が座長をつとめた。ヤマネコと利害関係がある農業や林業の従事者たちなどから意見を吸い上げ、相互の議論をうながした。実は、小中高校生も参加しており、対馬でヤマネコと共生する未来社会を思い描いた。
2017年の時点では、羽山さんが1990年代末に感じたような「無関心」は改善している。コウノトリの郷にコウノトリブランドの無農薬米があるように、対馬にもヤマネコの食べ物を提供できる無農薬の水田で作られた「ツシマヤマネコ米」がある。ヤマネコと密接な関係にあった木庭作(焼き畑)を小規模ながら復活させたグループもいる。ツシマヤマネコの環境を理解するエコツアーも行われているし、地元の小中学校ではヤマネコについて学ぶことも増えた。
印象的なのは、ツシマヤマネコについて考える時、人は対馬の自然や歴史や文化と切り離せないものとする傾向にあることだ。ヤマネコを紹介するウェブサイトを閲覧していると、必ずのように対馬の自然と歴史、文化に目を配った上で、ヤマネコが登場する。絶滅危惧種への注意喚起は、自らの立ち位置の再確認につながる。
ツシマヤマネコをめぐって「プライド」という言葉を使った唐沢瑞樹さんは、動物園でガイドをする時、「対馬がどこにあるかということと、そこにヤマネコがいることを知ってほしい」と強調すると言っていた。また多くの絶滅危惧種を通じて「地元」との交流がある羽山さんも、野生復帰の先例である豊岡市ではコウノトリが「プライド」になったと述べた。
ツシマヤマネコが、地元の「プライド」につながりうるのは明らかに思える。
井の頭自然文化園ツシマヤマネコ飼育展示係の唐沢瑞樹さん(左)と、日本獣医生命科学大学教授の羽山伸一さん(右)
「感染症対策」について。これは羽山さんが自らの研究室で直接扱った問題だ。
「動物の病院を運営するNPOの副理事長をやってますけど、2004年に対馬に動物病院、対馬動物医療センターをつくりました。2001年から九州地区の獣医師会連合会が毎月ボランティア獣医師を対馬に派遣していたことで、その基盤ができました。そこで、巡回診療ですとか市の事業を受けつついろんな形で調査をしています。ワークショップの時点ではイエネコで流行していたFIV、いわゆる猫エイズに感染したツシマヤマネコが見つかったことが問題になっていました。イエネコから感染しているわけで、イエネコの調査から感染リスクマップを作って高リスク地域を中心に対策を進めて、結果、イエネコのFIV感染を減らしました。今、注目しているのは、むしろ、FeLVという猫の白血病ですね。感染力が非常に強いんですけど、イエネコとヤマネコの接触が減るような適正飼育のおかげで、幸い今のところは大丈夫だろうと思います」
よく都市部でも、野良猫が集まって繁殖し、手がつけられなくなっている場所がある。不妊手術をする熱心なグループが奔走しても、所によっては対策が追いついておらず、猫が溢れている。対馬にもああいう場所があったら、ヤマネコにとっても感染の温床になってしまう。
だから島にいるイエネコにマイクロチップを埋めて個体識別できるようにしたり、不用意な繁殖をしないように不妊手術をしたりすることで、野生のツシマヤマネコへの感染も防ぐという方針になった。結果、イエネコのFIV(猫エイズ)の感染率は減った。絶滅危惧種の感染症対策だが、それはすなわちイエネコの感染対策でもあったわけで、島の愛猫家たちには歓迎されたのではないかと想像する。
では、「飼育下繁殖」はどうか。
2000年に福岡市動物園ではじめての飼育下繁殖が成功して以来、動物園で飼育されているツシマヤマネコは、野生でなにかあったときのための「保険個体群」として、さらにはやがて野生復帰する場合に母体となりうる個体群として期待されている。
2009年から、しばらく繁殖が成功しない時期があったものの、2014年以降は福岡市動物園、九十九島動植物園(長崎県)などで繁殖がみられた。帝王切開による出産が増えているのがちょっと気になるが、動物園での繁殖自体はこれからも期待できる。すでに50頭近くが生まれており、飼育下二世、三世もいることは心強い。
井の頭自然文化園にいる4頭のうち3頭も飼育下で繁殖した個体だ。
飼育下にある個体群をひとつの群れとみたてて、最適なペアリングを実現するために、動物園間で役割分担をしている姿は、非常にシステマティックだ。井の頭自然文化園では、人工授精による繁殖の技術を確立する努力もされていることも前に触れた。
日本の動物園で繁殖を試みる意義をあらためて問うたところ、羽山さんはこんなふうに言った。
「変な話、日本の動物園がやらなきゃ、他にやる人いないですよね。今まで欧米は何かの種を自分のとこで増やして、アジアとかアフリカに再導入することはありましたけど、日本にはそういう支援って絶対に来ません。逆に言えば日本の絶滅危惧種をなんとかできるのは、日本の動物園だけですよ」
まさにその通りだろう。だから、ツシマヤマネコを引き受けた動物園は、自分の国にいる野生動物に対する責任を引き受けて、ただ飼育し展示することを超えた重みのある仕事をしていると言っていい。
件のワークショップを経た後、飼育をめぐる考え方も変わってきた部分があるという。印象的だったので記しておきたい。
「今まで日本の飼育施設は、トキから始まって、野生に帰すんだからとにかく人に慣らしちゃいけないって発想だったんです。でも、実際、海外の繁殖センターへ行くと真逆で、繁殖させるやつは野生に帰さないんですよ。ある程度、人に慣らさないと繁殖効率が落ちちゃうので、やっぱりその辺は現場の方のほうがよくご存じだし、むしろ動物園にまかせようということになりました。それまでは、本当に特定の数人の研究者で、ああでもない、こうでもないってやったんだけど、実際に飼っているのは動物園なんで」
動物園が飼育するツシマヤマネコの血統はシステマチックに管理されている。井の頭自然文化園「ヤマネコミニ特設展」の解説より。
動物園が専門家として自主性を発揮する半面、もちろん研究者も貢献すべきところで積極的にかかわっている。例えば、井の頭自然文化園での人工繁殖への取り組みでは、羽山さんの同僚である日本獣医生命科学大学・堀達也教授(獣医臨床繁殖学研究室)が、共同研究している。また、羽山さんも飼育下のヤマネコについて、継続的な研究テーマを持っているという。
「動物園のヤマネコの育児行動や子どもの成長を調べてます。野生出身の母親から、第1世代、第2世代と世代を経ていくにつれて、どんどん子育て行動が変わっていくんですよ。一番、典型的なのは、野生出身の母親だと、とにかくずっと子どものそばにいて、ミルクをあげたり、グルーミングしたりしています。自分のお腹が減ったら、そのときだけはすっと外に出ますけど、ほとんどの時間は子どものそば。ところが、世代を経ていくと、子どものそばにいるのは、もう哺乳する時だけという個体が増えます。やっぱり親の栄養状態がいいので、生まれてくる子どももでかいんですよね。哺乳だけしていれば育つので、あんまり世話をしなくなっちゃっているのかもしれないですね。それと、最近難産が多いのは、もしかして、生まれる子どもが大きいからかもしれない」
やがて野生復帰を考える段になると、はたしてこういった育児行動でも野生でやっていけるのかなどと考えなければならなくなる。野生復帰候補の個体は、赤ちゃんの頃からできるだけ人に慣れさせずに育てるなどの工夫が必要になるかもしれない。
間違いなく言えるのは、ツシマヤマネコの保護増殖計画において、日本の動物園はいま、飼育下繁殖を任されて責任重大な立場に立っているということだ。動物園が「種の方舟」と呼ばれるようになって何十年もたつけれど、ツシマヤマネコについては、文字通りの役割を担う可能性がある。
2006年のワークショップはツシマヤマネコ保護の大きな転換点となった。(写真提供:羽山伸一)
つづく
(このコラムは、ナショナル ジオグラフィック日本版公式サイトに掲載した記事を再掲載したものです)
羽山伸一(はやま しんいち)
1960年、神奈川県生まれ。日本獣医生命科学大学教授。博士(獣医学)。1985年、帯広畜産大学大学院修士課程修了後、埼玉県庁を経て同年、日本獣医畜産大学(現:日本獣医生命科学大学)に勤務。2012年より現職。日本の大型野生動物の研究および保護活動に従事する。現在、環境省中央環境審議会専門委員、環境省ゼニガタアザラシ科学委員会委員長、特定非営利活動法人どうぶつたちの病院副理事長、公益財団法人日本動物愛護協会学術顧問などを兼務。『
野生動物問題』(地人書館)の著書のほか、『
増補版 野生動物管理―理論と技術』(共に文永堂出版)、『
野生との共存~行動する動物園と大学』(地人書館)など共編著多数。
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