ほめられ、認められた体験で、人が頑張るのと同じメカニズムで、人は薬物に対して懸命になったりもする。この場合、「ほめてくれる」「認めてくれる」のは人ではなく薬物だ。
松本さんの説明の中で、さらに恐ろしいと感じたのは、「価値観の総取っ替えが起こる」という部分だ。「ぼく」という人格は、価値観のセットをベースにできている。なら、「価値観の総取っ替え」は、自分が自分でなくなるということでもあり、家族にとっては、親や、配偶者や、子や、きょうだいが、違う人になってしまうことだ。
「人間やめますか」問題
ふいに頭に浮かんだフレーズは、「覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?」 1980年代のテレビで放送されていた啓蒙広告だ。民放連が制作し、かなり頻繁に流されていたと思う。
「ああ、それが問題なんです」と松本さん。
「薬物の予防教育としては有効だったのでしょうが、同時に悲劇も生みました。だって、この国で依存症になるということは、ものすごいマイノリティになって、人間じゃないとされてしまうわけですよね。私は15年前から少年院に定期的に行って、いわゆる非行少年たちの診察とかをしているんですけど、その中で覚せい剤の使用で入ってきた10代の子に『中学校とかで薬物乱用防止教育とか受けた?』って聞くと、『覚せい剤やめますか、人間やめますかとかなんか、警察の人が来て言ってました』って言うんですね」
ここでぼくは混乱する。
これだけ恐ろしい薬物なのだから、中学生に乱用防止を呼びかけるのは意味のあることだろう。しかし、松本さんの口調は明らかにネガティヴだ。
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