「身体依存というのは、我々もお酒を毎日飲んでいるとちょっとずつ強くなって、以前は少ない量でボーッとしちゃってたのが、同じ量では足りなくなりますよね。これ、お酒に慣れて依存が生じたということなんです。我々の中枢神経は外界から異物がくると、何とか恒常性を保とうとします。アルコールは脳の活動を抑制するものです。それで、いつも摂取していると、抑制されたところが基準になるようにリセットされるんです。そのまま進むと、お酒を飲んでいない時に神経が過剰な興奮状態になって、手が震えたり禁断症状が生じたりします。こういう身体依存は、医療機関で処方される血圧の薬にしても、普通の睡眠薬にしても、痛み止めにしても、長く使っているうちに起きる可能性があります」
身体依存は体の挙動が変わってしまう。これには、目に見える「病気」の要素があるように思う。しかし、松本さんは、すぐに続けた。
「でも、依存症の本質は何かっていうと、精神依存の方なんですよね」と。
身体に直接影響が見える、身体依存よりも、精神依存の方が「依存症」の本質?
それはどういう意味だろう。
順位が変わる
「我々も小さいときに、たまたま勉強やスポーツをほめられたのがうれしくて、ある人は勉強したり、ある人はスポーツをがんばったりしますよね。実はそのとき、頭の中ではドーパミンがいっぱい出て気持ちいいんです。精神依存をもたらす薬物は、それと同じでドーパミンがドバーッと出る感じを与えてくれるんです。ほめられた子が一生懸命、勉強や運動するのと同じように、一生懸命薬を使うようになる。すると、自分の中の大切なものの順位が変わってしまいます。昔は将来の夢とか、財産とか、健康とか、あるいは恋人や家族が大事だったのに、例えば薬を使うことを許してくれる友達や恋人が大事になるし、将来の夢に向かって努力するよりも、薬を買うためにさっと儲かるような仕事がほしくなる。自分の価値のヒエラルキーが総取っ替えされる中で、本来持っていた自分らしさとはまったく違う場所に行き着いてしまうのが、依存症の一番の怖さです」
ぼくは、松本さんのこの説明に、経験と実感が凝縮されたものを感じ取り、慄然とした。
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