命の認識をテーマにしたコーナーで「望まれない命」というコーナーには、水子供養の地蔵が置かれていた。これまで葬儀の話が中心だったけれど、ここは生まれることがなかった命の話から説き起こしている。

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「──元々、日本は堕胎に関しては、抵抗感はなかったんですよね。農耕社会って、間引いて当たり前で。でも、明治以降、医療が進み、ヨーロッパ社会との交流が深まる中で、規制されていくんです。一方で、第二次世界大戦後になると、優生保護法で経済的中絶が認められる。当初は、胎内を出て命を維持できない期間なら中絶できることになっていたので、かなり成長して赤ちゃんの姿になっているのに堕胎する場合がありました。医療関係者には、すごい抵抗感があったそうです。だから、胎児の供養を始めたのは、医療関係者なんですよ。医療の技術の発達で、命の始まりの認識が先鋭化していくという」

命の始まりと可視化

 医療関係者から始まった水子供養は、1970年代になると水子専門の寺院が出るなど一般化する。それどころか、「水子のたたり」などというものが、女性誌を中心に語られた。その時はぼくも十代だったので、怪談の一種のように「たたり」の話を「消費」していたような気がする。

 ところで、山田さんは「医療の技術の発達で、命の始まりの認識が先鋭化していく」と言った。中絶手術が「水子」という「生命」を見出した経緯を指すのだと思う。しかし、さらに象徴的な一葉の写真が展示に添えられていた。胎内を写した超音波エコーの写真だ。

「2007年にたまたま、村境の地蔵堂の調査を行ったときに見つけて撮っておいたものです。医療が進む中、だんだんと超音波検査が発達してきて、胎児が可視化されてくると、我々も命の始まりがいつかっていうのをどんどんさかのぼっていく。今のES細胞で倫理問題が生まれるのも、結局、命の認識をどこに見出していくのかというところですよね。堕胎なのか、流産なのかわからないけども、エコー写真を遺影とみなす。つまり一個の死者の人格としてみなすっていうのが、医療技術の発達で出てくる。そういうことです」