国立歴史民俗博物館准教授の山田慎也さん。難聴のため補聴器を使って取材に応じてくれた。
国立歴史民俗博物館准教授の山田慎也さん。難聴のため補聴器を使って取材に応じてくれた。
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「都市部では変わってきていても、地方に行けば、まだまだこうやらなきゃいけないって言われてそのまま従わざるを得ない、それが当たり前の時代でした。最初、和歌山県串本町の古座というところのお祭りのフィールドワークをしていたら、通り道にちょうど葬儀社が1軒あったんです。それで、勇気を出して、しばらく仕事一緒につき合わせてもらえないでしょうかって言いに行くと、二つ返事で『ああ、いいよ』(笑)。民俗学の調査って、葬儀に入るは難しいので、聞き取りが中心だったんですが、やはり私はフィールドワークがしたくて」

 この時、山田さんの念頭には、葬儀だけではなく、葬儀業についての調査という意識もあった。先行研究としては、国際日本文化研究センター教授の井上章一氏が『霊柩車の誕生』(1984年)を出し、さらに、宗教学の立場から大正大学の村上興匡(こうきょう)教授が東京の葬儀社の調査をした研究がすでにあったそうだ。それを地方でやってみたら、どうなるだろうか、という発想だ。

葬儀社にくっついて

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 ここで、おやっ、と思う人もいるのではないだろうか。民俗学というのは、自文化を理解する眼差しを持つとはいえ、その対象は、例えば柳田國男の『遠野物語』のように伝承的なもの、つまり、古くから伝わるものに限られるイメージがある。葬儀について言うなら、葬儀社というのは比較的、最近出てきたもののようにも思えるし、あまり民俗学的な探求の対象にはなりにくいのではないか。

「たしかに、民俗学では、葬儀業者も登場しないような報告が多いんです。要するに村だけでやってきたような世界です。かりに葬儀社が出てきても、せいぜい1行ぐらいで『祭壇の設置は葬儀社がやる』みたいな。ある意味、記述を忌避するようなところがありました。でも、私は、村だけでやっていた時代と、今現在とをつなぐみたいなことをやりたかった。ですから、葬儀社が来て祭壇を設置するという当時定着していたスタイルがどうやって維持されているのかとかに興味がありました」

 こうして、山田さんの葬儀の研究は、「葬儀社にくっついていく」ところから始まった。これが後々、非常に実り多いフィールドワークに発展していく。

「ちょうど過渡期だったんですよね。つまり、自分たちでお葬式をやる。儀礼の意味をよく知っている長老を中心にしてやって、葬儀社は祭壇に必要な荷物を置くだけというぐらいの関わり方から、葬儀社を中心にし、葬儀社が知識を与えてそれに従うという形へ。ある意味、都市の当たり前の感覚への変化が、ちょうど私がフィールドワークをやってる92年から97年ぐらいにかけて目に見える形で起こったんです」

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