朴槿恵大統領の「国政壟断事件」への大規模な抗議デモが起きた。29日、ソウル中心部ではデモ隊が機動隊の阻止線を突破(写真:ロイター/アフロ)

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 朴槿恵政権が「国政壟断事件」で国民の支持を失った。北朝鮮の核武装が目前に迫り、国の死生を決めるという時に、韓国は司令塔が「死に体」となったのだ。

「国政壟断事件」の動き(2016年)
10月
24日 JTBC、大統領演説の草稿など機密資料が崔順実氏に漏えいと報道
25日 朴大統領が資料提供を認めて国民に謝罪
26日 検察が崔氏自宅など家宅捜索。外交資料なども漏洩とメディアが報道
28日 朴大統領は首席秘書官全員に辞表を出させる。秘書室長が辞表提出
28日 韓国ギャラップ「朴大統領の支持率が6週連続で落ち、過去最低の17%に」と発表
29日 青瓦台、検察の家宅捜索を拒否。ソウルで2万人デモ
30日 青瓦台、検察に資料提供。朴大統領は一部首席秘書官らを辞任させる
30日 与党、挙国一致内閣を提案するも野党は真相究明が先と拒否
30日 崔順実氏帰国、31日に検察に出頭、逮捕状なしで緊急逮捕
31日 リアルメーター「潘基文氏の支持率が前週比1.3ポイント低い20.9%に」

警察の鎮圧も不可能に

鈴置:保守運動の指導者の趙甲済(チョ・カプチェ)氏が、自身が主宰するネットメディアに「『下野か戒厳令か』に行く前に」(10月28日、韓国語)を載せました。

戒厳令!?ですか。

鈴置:このままなら、そうなりかねない、との主張です。その部分を要約しつつ訳します。箇条書きで書かれていまして、文頭の数字は項目の順番です。

  • 12.朴槿恵大統領の取り得る手段は多くない。第1に(事件の核心である)崔順実(チェ・スンシル)母子を一刻も早く帰国させ、捜査に協力せねばならない。2つ目は「自分も調べを受ける」と宣言すべきだ。3番目。青瓦台秘書室の人事を一新せねばならない。4番目。与党、セヌリ党を脱党すること。5番目。後は国務総理に日常的な業務を任せ、自身は経済再生と北朝鮮の核問題への対処と(2017年12月の)大統領選挙の公正な管理に専念すると宣言する。6番目。下野はしないことを明らかにする。
  • 13.このような措置が行われるのか? 行われたとしても(国民から)受け入れられるのか? 今は問題が民主的な制度の場内に留まっている。メディアと国会が状況を主導している。もし、場外(街頭)集会が始まれば問題はさらに複雑になる。狂牛病暴動のようなことが再演されれば、今度は警察力による鎮圧が不可能になるかもしれない。国民の支持がなければ警察も踏ん張れない。デモ隊が青瓦台を包囲し、警察が無力化すれば、大統領は「下野か戒厳令か」の選択の岐路に立つかもしれない。

阻止線を突破したデモ隊

朴槿恵政権の命運はデモ隊が握っているということですね。

鈴置:その通りです。韓国では直接行動が威力を発揮します。歴代政権が最も神経を使ってきたのは、青瓦台をデモ隊に取り囲まれないかということでした。

 1960年、初代の李承晩(イ・スンマン)政権はデモで倒れました。この政権は「戒厳令」で大衆運動を抑え込もうとしましたが、最後は米国の圧力で「下野」したのです。

 1987年には数十万人ものデモ隊が連日、ソウル市内で大集会を開き、軍出身の全斗煥(チョン・ドファン)政権は民主化を受け入れざるを得ませんでした。この時の政権は任期を全うしました。が、全斗煥大統領は退任後、刑務所に送られました。

10月29日の夜、ソウルでは2万人のデモが行われたそうですが。

鈴置:ええ、趙甲済氏がこの「警告」を載せた翌29日に、韓国では「朴槿恵退陣」と「真相究明」を要求するデモが各地で起きました。

 参加者は1980年代の民主化運動と比べれば、1ケタ少なかったのですが注目すべきは、ソウルでデモ隊が機動隊の阻止線を突破したことです。

 デモ隊は一番の大通り、世宗路の青瓦台のそばまで進出しました。1980年代の激しいデモでも、そんなことはまず、ありませんでした。