外国人シェフが和食に魅せられたわけ
「和食ワールドチャレンジ2016」ファイナリスト10人の横顔(前編)
農林水産省が主催し、世界各国・地域で日本料理に取り組む外国人シェフの才能を発掘し、日本料理の魅力をさらに世界に広げていくことを目的に開催する日本料理のコンペティション「和食ワールドチャレンジ」。4回目となる2016年は、書類審査と試食審査を経て選ばれた世界9カ国・地域10人のシェフが、その技術を競う。決勝は、12月15日(木)に服部栄養専門学校(東京・渋谷)で行われる。
日本料理のどこに魅力を感じ、なぜ日本料理に情熱を傾けて修業を重ねているのか――。予選を突破した外国人シェフの横顔を紹介する。前編は、米国の2人とマレーシア、スコットランドのシェフを取り上げる。
金融業界から料理人に転身
多様な味噌の魅力を引き出した一品で勝負する
ブライアン・S・エンペラーさんが初めて日本を訪れたのは、大学時代。東京・桜美林大学の交換留学生として来日したのだ。時は1990年代の初め。「当時はまだ留学先としてヨーロッパを選ぶ学生が多かった。だから、まだ知る人が少ない日本に行こうと思ったんだ」と話す。
大学で経済学を専攻していたエンペラーさんは卒業後、米大手証券会社だったリーマン・ブラザーズで日本の顧客相手の仕事を担当。このことが、彼の人生を大きく変えることとなる。仕事で度々訪れた日本で高級料亭の料理を味わう機会を得、和食の素晴らしさに目覚めたのだ。「留学生時代は味わうことのなかった季節を見事に取り入れた料理に驚くばかりだった」と言うエンペラーさん。
料理への思いは彼の中で大きく膨らみ続け、金融業界で7~8年働いた後、ついにアメリカの名門料理大学、カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカに入学することとなる。同校では、卒業までに実店舗で研修をしなくてはならない。そこでエンペラーさんは同校生徒として初めて、日本にある料理店を実習先として選んだ。前例がなかったため、受け入れ先を探すのに苦労したという。焼肉店や釜飯を出す店などで研修したが、「実際に日本の店で働くことで、テレビや本でしか情報を得られなかった和食について、多くのことを学ぶことができた」と振り返る。
学校を卒業してからは、ニューヨークの創作和食料理店「NOBU」などで経験を積み、中国・北京の日本料理店のシェフを務めるなど、国内外の店で料理の腕を磨いてきた。2008年には、ロンドンで開催されたオリジナル寿司コンペティション「寿司アワード 2008」に出場、3位に輝いた。またその頃、京都の老舗料亭「菊乃井」にて約2カ月研修する機会も得た。「『菊乃井』の料理だけでなく、ご主人の村田吉弘さんから料理に対する姿勢を学ぶことができた上、お店に出入りする魚やカツオ節など素材のプロの方々と話をすることができ、短い期間だったが、実り多い経験をすることができた」と言う。京都で働くのは初めてであったため、地方によって料理も素材も大きく違うことを発見できたことも大きな収穫だった。
「キングサーモンの石焼きと冬野菜の味噌バター添え」
「和食ワールドチャレンジ2016」出品料理は、「キングサーモンの石焼きと冬野菜の味噌バター添え」。フライパンで皮をカリッと焼いたキングサーモンにレンコンなどの冬野菜を華やかにあしらった一品だ。「初めて日本を訪れた際、何十種もの味噌が並んだ専門店を見た時の驚きが忘れられない」というエンペラーさんだが、料理には味わい、色、食感が異なる4種類の味噌を合わせたソースが添えられている。皮目がパリッとしたキングサーモンとどうバランスを取るかが難しかったというこのソースには、バターも少し混ぜ込んだ。バターの脂肪分は料理に濃厚さを加えるだけでなく、味噌の味わいをより長く舌にとどめる効果があるからだ。
現在は、コンサルティングシェフ(店の立ち上げのコンサルティングなどを受け負うシェフ)としてさまざまなプロジェクトに関わるエンペラーさんだが、夢は自分自身がオーナーであるレストランを開くこと。和食をベースとしながらも中国で仕事をした経験なども生かし、自分の人生経験を余すことなく反映した店をイメージしているという。
技術よりも大切にする「お客様への真心」
日本人客からもらった最高の賛辞
マレーシアの首都クアラルンプールには、20年ほど前から日本料理店ができはじめた。全く文化の異なる日本の料理は若者にとって魅力的で、チョン・チェン・ロンさんは高校を卒業してから約半年間、昼間学校でホテルマネジメントの勉強をしながら、日本料理店で働いたという。最初に口にした和食は、その頃に食べたしょうゆラーメン。煮卵のおいしさが特に印象に残った。マレーシアの華僑であるチョンさんは、中華の麺料理とは異なる繊細さに目を見張り、その調理法に興味を引かれた。
現在、彼が勤めるのは2014年にクアラルンプールにオープンした「寿司 織部」。それまでに、高級ショッピングモールであるスターヒルギャラリー内の店をはじめ、数店の日本料理店で鉄板焼きや寿司、天ぷら、会席料理などを学んできた。「和食の魅力は、新鮮な食材の良さを最大限に引き出しているところだ」と語るチョンさん。特に会席料理の美しさに心を奪われた。また、料理は「目で楽しむ」ものであり、器の美しさも大切であることも、和食ならではのこだわりだと感じた。
「寿司 織部」では主人の折付秀明さんから、日本料理に対する情熱や最高のおもてなしをするための食材の選び方、料理の技を学んだ。そして、「何よりも大切なのは『料理の技よりも、料理を通してお客様に真心を伝えることだ』と折付さんに教えられた」と話す。
お客の要求にいかにして答えるか、折付さんは厳しくチョンさんを指導した。ある日、なじみの日本客がランチ時に握り寿司をおまかせでオーダーした際、彼が考えて出した組み合わせを「僕の好みをよく分かっているね」と言ってくれたこと――それが、うれしい記憶として今もチョンさんの心に刻まれている。
「和食ワールドチャレンジ2016」への出品料理は、「アカムツのけんちん焼き」。けんちん焼きとは、豆腐や野菜を白身魚などで包み焼いた料理のことだ。このメニューを選んだのは、外国人がよく知る天ぷら、すき焼き、丼物ではない料理を作りたかったから。また、伝統的な料理であるにもかかわらず、普通の煮物のようにありきたりではないこともポイントとなった。けんちん焼きには、彩りや食感にバラエティを持たせることを意識して、枝豆の天ぷらや芯をくり抜いて軟らかく煮たカボチャを詰めたゴボウを添えた。「和食には、みなが知らないこんな料理もあるのだと、マレーシアの人たちに伝えたかった」とチェンさんは言う。
決勝大会で自身にとって一番重要なのは、勝ち負けではなく世界各国から来たトップクラスの料理人の技術を見て学び、自分が成長することだ、とチョンさんは考える。夢は、クアラルンプールに京都の町屋をイメージした日本料理店を開くことだ。「いつか、美しい桜が咲く春の京都を妻と訪れ、参考になる建築を見て回ったり、町屋を利用した店を視察したりしたい」と、未来に思いをはせる。
「天下の台所」大阪で和食に目覚める
本名を改名するほどのめり込んだ日本文化
スコットランド出身のジョー・キムラさん。父方・母方いずれの祖母も料理上手で、子供の時から夢は「シェフになること」だった。両親がフランスに移住したため、同地の学校で伝統的なフランス料理を習い、同地の店やイギリスの著名シェフ、ゴードン・ラムゼイ氏の店などで料理人としての腕を磨いた。通っていた小学校で、日本人の子供たちとの文化交流を体験して以来日本に興味を抱いていたキムラさんが、初めて「本当の和食」に触れたのは2006年。「天下の台所」と呼ばれていることを知った大阪を訪れたのだ。最初に口にした「和食」はなんとタコ焼き。「タコがまだ生きていて鉄板の上で踊っているように見え、おっかなびっくりだった。でも、とてもおいしかったよ」と笑う。
キムラさんは、2カ月間の滞在を通して、和食がそれまで故国で味わってきたものとはまるで違うことに衝撃を受ける。例えば、さまざまな材料を使ったロンドンの寿司とは異なり、日本の寿司は米とネタだけでとてもシンプルなのに奥深い味わいがあった。以来、「和食を究めたい」という思いが募り、帰国してからは創作和食店「NOBU LONDON OLD PARK LANE」や同地の日本料理店で経験を積む。和食の基本を学ぶ中で、特に印象的だったことのひとつは包丁の扱い方。「西洋では道具に敬意を払うという考え方はなく、『正しい』包丁の手入れの仕方、扱い方を習うことはなかった」からだ。
実は「キムラ」という苗字は、元々は和食をはじめとする日本文化にのめり込む彼を見て、ある店の日本人料理長が付けたニックネーム。しかし、「自分の3分の1は日本人」と言う彼は、2年前に本名を「キムラ」に改名。そして、15年にはデンマークに渡り、首都コペンハーゲンに日本料理学校「オイラン」を開校する。イギリスではなくデンマークを選んだ理由は、同地では和食に必要な昆布をはじめとする海藻類が手に入りやすいこと。また、シンプルで食材を大切にする北欧の料理に、和食に通じるものを感じたからだ。
「『サバの味噌煮』、リンゴ、ショウガ、冬野菜添え」
キムラさんの「和食ワールドチャレンジ 2016」出品料理は、「『サバの味噌煮』、リンゴ、ショウガ、冬野菜添え」。コンテストの時期を考え、冬に最も脂がのるサバを用いた和食の定番料理をベースに、サバのヒレに見立てたリンゴのスライスをあしらった一品だ。サバの脂とリンゴの酸味のバランスに腐心。どの種類のリンゴが一番良い効果を生むかを探るため、試作を重ねたという。
17年には日本料理の本の出版も予定しているというキムラさん。これから、さらに多くの日本人料理人たちとの交流を通して知識を深め、真の和食を西洋の人々に伝えていきたいと意気込む。
京都の石庭で悟った料理の本質
「冷製」ブリ大根で別の味わいの世界を開く
高校時代、スノーボードを買うお金を工面するため、アメリカの地元ニュージャージーの小さなレストランでアルバイトをしたことが、ジョシュ・ディケリスさんが料理に目覚めたきっかけだ。そして、アメリカ屈指の料理大学であるカリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカで料理を学んだ後、20代前半でサンフランシスコに移り住んだことで、今度は和食に目覚めることになる。
サンフランシスコでは、オーストリア生まれの有名シェフ、ウルフギャング・パック氏の店「ポストリオ」でスーシェフとして働いていたが、ある日デート相手の女の子と一緒に、彼女が働いていた寿司店を訪れ、衝撃を受ける。東海岸で食べたことがあった、「いい加減なロール寿司」などとはまったく異なる、別の食べ物だったからだ。お米も魚も素晴らしく、本物の出汁を使った料理に引き込まれ、「和食についてもっと勉強したいと思うようになった」と言う。
パリのミシュラン三ツ星レストラン「アルページュ」やニューヨークの「ユニオン・パシフィック」などでの経験を経たディケリスさんの大きなキャリアの転換は2003年、日本の人気アーティスト、ドリーム・カム・トゥルーがニューヨークにレストラン「スミレ」をオープンするにあたり、同店のシェフとして働くことになったことで訪れる。レストラン開店前に長期にわたり日本に滞在し、東京・渋谷の店で和食の経験を積み、さまざまな店を食べ歩くことなどで和の料理や食材、調味料について徹底的に学んだのだ。
そして、ある日訪れた京都の寺の石庭で、ディケリスさんは“啓示”を受ける。「石庭を眺めていたら、木々が庭を囲む塀の内側に枝を伸ばし、見事に自然と人の手によって作られた石庭が共存していた。それを見て料理とは、いくつものソースを重ねて素材の味を分からなくするなど料理人の主張ばかりが全面に押し出されるべきものではなく、素材を料理人がどう引き立てることができるかが大事なのだと悟った」。
「和食ワールドチャレンジ 2016」出品料理は、「茹でた大根と寒ブリ」。伝統的な冬の料理であるブリ大根に着想を得た一品だ。本来は温かい料理であるブリ大根の素材を使いながら、ディケリスさんはこれを冷製料理に仕立てた。ブリは、頭、カマ、頬肉も使いこれらを軽くたたき、しっかりと煮汁を含ませてから冷やしたダイコンと合わせた。懐かしさを感じる一方で、冷製であることや、合せて用いたユズ果汁の酸味やおろしショウガの刺激で、まったく別の味の世界が開けるよう考えた。
17年1月には、元銀行だった建物を改装、ニュージャージーに、初めてオーナーシェフとしてレストランを開業する予定だ。「最高の食材を使い、どんな枠にもとらわれない料理を提供していきたい」と言うディケリスさんの声には、自分の行く道に迷いのない力強さがあった。
※メディアでご関心のある方は、「和食ワールドチャレンジ2016」のホームページ(こちら)からお問い合わせください。本イベントでは一般観戦は募集しておりません。ご了承ください。
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