ネルー首相は感激し、南インド・カルナタカ州の旧都マイソールで材木運びをしていた15歳の牝象を選んだ。ネルー首相は、娘の名をとってインディラと命名し、日本に送った。インディラは、1949年8月にカルカッタ(現在のコルカタ)を出発し、9月に芝浦に到着、歩いて上野に向かった。深夜の行進であったが、沿道には市民が群がった。10月1日の贈呈式には5万人が集まった。めったにこの種の式典に出ない吉田茂首相も上野動物園にやってきた。インドのムルハルカー駐日代表代理がネルー首相の手紙と吉田首相への贈呈書を読み上げた。象のインディラは日本人に愛され、1983年、49歳でこの世を去った。

 当時、ネルー首相の後を継いで首相になっていたインディラ・ガンジー首相は、このニュースを聞いて直ちに動いた。翌年には、自ら命名したアーシャ(ヒンディー語で「希望」)とダヤー(同じく「慈悲」)の2頭の牝象を上野動物園に送った。いま上野動物園にいるもう1頭、スーリヤ(ヒンドゥー教の太陽神)は、2001年に親日家として知られるフェルナンデス国防大臣が「日いづる国・日本」のためにと贈ったものである。くしくも、フェルナンデス大臣のパートナー(事実上の妻)は、少女時代に駐日インド政府代表部(まだ大使館はなかった)の高官の令嬢として、インディラ象の上野動物園の寄贈式に立ち会っていたのであった。

インド独立を支援した日本

 「日本とインドの間には、過去に幾度か、お互いを引き合った時期がありました。

 ヴィヴェーカーナンダは、岡倉天心なる人物――この人は近代日本の先覚にして、一種のルネサンス人です――が、知己を結んだ人でありました。岡倉は彼に導かれ、その忠実な弟子で有名な女性社会改革家、シスター・ニヴェーディター(Sister Nivedita)とも親交を持ったことが知られています。

 明日私は、朝の便でコルカタへ向かいます。ラダビノード・パール(Radhabinod Pal)判事のご子息に、お目にかかることとなるでしょう。極東国際軍事裁判で気高い勇気を示されたパール判事は、たくさんの日本人から今も変わらぬ尊敬を集めているのです。

 ベンガル地方から現れ、日本と関わりを結んだ人々は、コルカタの空港が誇らしくも戴く名前の持ち主にせよ、ややさかのぼって、永遠の詩人、ラビンドラナート・タゴールにしろ、日本の同時代人と、いずれも魂の深部における交流を持っていました。まったく、近代において日本とインドの知的指導層が結んだ交わりの深さ、豊かさは、我々現代人の想像を超えるものがあります」

(2007年8月22日、インド国会における安倍首相の演説から)

 安倍首相の言う「コルカタの空港が誇らしくも戴く名前の持ち主」とは、スバス・チャンドラ・ボースのことである。ボースは、インド独立運動のリーダーの一人だった。

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