トヨタ勝利、“マキネン流”強いチームの3条件
トヨタWRCチームのマキネン監督、ラトバラ選手らに聞く
(前編はこちら)
7月27日~30日の4日間で開催された、WRC (FIA世界ラリー選手権)第9戦ラリー・フィンランドで、トヨタ(TOYOTA GAZOO Racing)が今季2度目の勝利を挙げた。
ユバスキュラの町に設置されたサービスパークの様子。ラリーフィンランドはかつて“1000湖ラリー”と呼ばれていたこともあり、この地域を中心に国全体に湖が点在する。実際の数は1000以上あるという(写真:藤野太一)
フィンランドでのラリーは中部の町ユバスキュラを中心に開催され、ホテルやカンファレンスセンターなどが集う商業地に、長い1日を走り終えたマシンが戻ってくるサービスパークが置かれている。大きなTOYOTA GAZOO Racingの広告が掲げられ、そこには「WELCOME TO MY HOME ROADS」の文字が見える。
トヨタが今年からWRCに復帰するにあたり、パートナーとして選んだのが、かつてのWRCワールドチャンピオン、トミ・マキネン氏率いるTMR(トミ・マキネン レーシング)だ。チーム本拠地は、このサービスパークがあるユバスキュラから北へ約15kmのプーポラという町にある、まさにホームロードでのイベントと言えるものだ。
ちなみに、ラリー・フィンランドはWRCの中で最もSS(スペシャルステージ)の平均速度が高いグラベル(未舗装路)ラリーである。スピードが乗るコースでは最高速は未舗装であっても200km/hを超える。スピードを競い合うSSの数はトータル25本あり、その合計距離は314.20km。リエゾン(移動区間)を含めた総走行距離は1425.96kmにも及ぶ。4日間に渡ってこれを走り抜き、今回のラリーフィンランドで優勝したラッピ選手(トヨタ)と2位のエバンス選手(フォード)との差は36秒。さらに2位と3位のハンニネン選手(トヨタ)との差に至っては、なんと0.3秒! 4日間、グラベルを飛びまくり、ドリフトしまくってその差なのだから、いまのWRCではどれほど熾烈な争いが繰り広げられているか、お分かりいただけると思う。
いつもの生活道路がコースとなり、沿道には数多くの人が応援に駆けつける。フィンランドの国土の大部分は永久凍土に覆われ、タイガ(針葉樹林帯)が広がっていて、舗装しても割れてしまうことが多く、いまも未舗装路が数多く残されている。ターマック(舗装路)ラリーの割合が増えている中、貴重な場所だという © Red Bull Media House
今回は3日間をかけてラリーを追いかけ、8つのSSを見ることができたのだが、実際のところ、すさまじいスピードで走っているラリーカーの姿をすべてのSSで見学することは不可能だ(できるとするならばラリーカーより速く走るしか手はない)。1日走りまわって、3~4つのSSを見るのが精一杯で、しかもトップチームのマシンは数秒で目の前を走り抜けてしまう。
“ラリーは国技”のフィンランドで絶大な信頼
しかし、“ラリーは国技”とも言われるフィンランドだけあって、緑奥深い地にもたくさんの観客が訪れていた。フィンランドの国旗とそしてTOYOTA GAZOO Racingの旗がよく目につく。そして、驚くほど頻繁に地元の人から話しかけられた。皆「トヨタ車はいいね!」とサムアップしてくれる。長く参戦が途絶えていたとはいえ、フィンランドでのトヨタ=ラリーのイメージは絶大だ。それはまたトヨタの市販車の“壊れない”、“保証が充実している”、こととうまくリンクしているようだ。
サービスパークにある各メーカーのガレージの中でも、トヨタの注目度は圧倒的だった。壁のモニターには整備に使える残り時間が表示されており、時間ぎりぎりまで整備が続けられる。そしてドライバーが乗り込みここから出発すると大きな拍手が沸き起こる。できるだけ多くの人が近くでサービスの様子を見られるようにと、マキネンのアイデアでブースが設けられており(写真奥側)、今日のメカニックが顔写真付きで紹介されていた。ラッピ選手の12号車の担当に日本から来た、凄腕技能養成部の松山大介氏の名があった(写真:藤野太一)
トヨタのWRCへの初参戦は、1970年代に遡る。1975年、TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ・いまのTMGの前身、TMGについては後述)がカローラレビンで初優勝を遂げる。そのときのラリーもフィンランド(1000湖ラリー)だった。1980年代後半にはグループA規定により4WDのセリカGT-Four(映画「私をスキーに連れてって」の劇中車でもある)をベースとしたラリーカーが登場。90年代前半はカルロス・サインツ、そしてフィンランド出身のユハ・カンクネンといった名ドライバーによってトヨタはチャンピオンを獲得している。
90年代後半はカローラをベースにWRCに参戦。通算ドライバーズタイトル4回、マニファクチャラーズタイトル3回という輝かしい結果を残し、1999年シーズンをもってラリー活動を中止する。その理由はF1参戦だった。
2002年シーズンからはじまったF1活動は2009年までの8年間で最高が2位、コンストラクターズは最高4位という成績だった。結局、F1では一度も勝利できずに活動を終えている。
そして、2015年にWRCへ復帰するプロジェクトが立ち上がった当初は、従来どおりTMG(Toyota Motorsport GmbH・ドイツにあるトヨタのモータースポーツ拠点)が主導で動いており、車両とエンジン製作の両方を担当。すでにテストも開始されていた。
しかし、実は今回優勝した現在のチームはこの延長上にはない。すでに動き始めていたTMG主導のプロジェクトをいったん止めて、トミ・マキネン氏のもとに再編されたもの。そしてわずか2年で成果を出している、というわけだ。
2015年にWRCへの復帰が発表されたときのTMG製ヤリスWRC(手前)と、1999年にWRCから撤退したときのカローラWRC(写真:トヨタ自動車)
現在、トヨタのすべてのレース活動を統括するGRカンパニーのプレジデントである友山専務はこんな話をしていた(前編参照)。
ファクトリーは「マキネンさんの家」そのもの
「マキネン氏にチームを任せることには、相当な抵抗勢力がありました。最終的にはTMGにはエンジン開発を担当してもらって、トヨタ本体は彼のチームをサポートする体制となったのですが、豊田社長の強力な支援と不退転の意志がなければ、この短期間で勝てるチームを作ることはできなかったと思います。マキネン氏は『できるだけコンパクトなチームを作りたい。ドライバー、エンジニア、メカニック、サポート、経理をするスタッフなども含めてファミリーなんだ』と話していました。ファクトリーにいけばわかりますが、TMGにくらべてすごく小さくて、町工場みたいなところです。きっと驚くと思います」
これまでにいくつものレーシングファクトリーを見てきたが、いわゆるワークスチームのものは、どこもモダンでクリーンだ。レースの翌日、TMRのファクトリーを訪れて本当に驚いた。なんと“マキネンさんの家”そのものだった。
右に見える大きな家がいわゆるオフィス棟。まだ外装工事が終わっていない状況だがすでに稼働している。地下は会議室で1階はマキネン代表の部屋をはじめマーケティング、経理、ロジスティックスなどのスタッフが、2階にエンジニアやデザイナーなど開発チームが入っている。左奥に見える茶色の建物がガレージ。欧州仕様の3ドアのヤリスのホワイトボディをベースに、ここでWRCマシンのボディが作られている。ロールバーなど数々の補強が入っているが、ボディの純正比率は38%と意外に高い(写真:藤野太一)
マキネン家が所有する、納屋のような農場施設を改築したファクトリーで、約80人が働いている。トヨタからも責任者の堀川龍雄氏をはじめ凄腕技能養成部からメカニックやエンジニアなど5人が出向、現地採用の2人を含め、計7人の日本人が働いている。また若手ドライバー育成プログラムとしてオーディションをパスした新井大輝選手と勝田貴元選手の2名が、TMRからWRCの下位カテゴリー(WRC2)に参戦し経験を積んでいる。
現場を共にする堀川氏はこう振り返る。
「トミーを信じて一心同体でやるしかなかった。この短期間で勝てたのは家族主義的なチーム体制もあるが、彼のビジョンが素晴らしかった。最初からしっかりとした骨格がありました。トミーはドライバーとしてでなく、エンジニアのセンスもある人で、相当“持って”ます。ツキも含めて(笑)」
このガレージの奥にはマキネン氏の生家があった。右奥に見えるのがマキネン家の私道で、そのままよく試走に行くという。どうりで運転がうまくなるはずだ…(写真:藤野太一)
ファクトリーではレース後に車両を分解、ボディの補強、パワートレインの組み立てなど、作業のセクションごとにいくつかの建屋に分かれている。レギュレーションで年間のマシンの使用台数が定められているため定常的に作っているわけではないが、約4週間で1台を組み上げることが可能という。奥に見えるランエボがマキネンらしい(写真:藤野太一)
ここで少しトミ・マキネンチーム代表にも話を聞くことができた(写真:藤野太一)
1年目にして予想以上の成績を挙げているように思えますが、ご自身ではどうですか。また、うまくいっている要因はなんだと思いますか?
トミ・マキネン:ある程度は予想していた。テストはしっかりできているし、計画的なプログラムが用意してあって1歩1歩着実に進んでいる。実は(前戦の)ポーランドでも自信はあったがうまくいかなかった。でも、今回はうまくいったね
ヤリスのいいところ、悪いところは?
マキネン:小さな修正箇所はあるし、もちろん妥協するところもあるが、大きな問題はないよ。いい点は、サスペンションが良くて空力もいいのでグリップ力が高いし、とにかく運転しやすい。それがドライバーの自信にもつながっていると思う。速くするためのアイデアはまだまだたくさんあるし常に開発もしているので、もっと速くなると思うよ。
三菱、そしてスバルのドライバーとして活躍し、現在はトヨタとタッグを組んでいて、日本のメーカーと馴染み深いわけですが、それぞれの特徴の違いってありますか?
マキネン:もちろん、どれもすべてがグッドだよ(笑)。スバルは割りと小さな組織でスペシャルな4WDをもつ、テクノロジー中心のイメージだった。それに比べるとトヨタは大きな組織でスバルほどスポーティではないが、とても信頼性が高い。WRCへの復帰でこれからはもっとスポーティなイメージが生まれることを期待しているよ。
マキネンさんにとってのベストなラリーカーは?
マキネン:前もって言っておくと「クルマは常に進化している」ということだ。1996年の三菱(ランサーエボリューション)はこれまでドライブした中でベストな車両の1つだし、最後にドライブしたスバル(インプレッサ)も素晴らしかった。でも、一番速いクルマはどれかと聞かれたら、いまのトヨタ(ヤリス)だね。クルマにとってもっとも大切は要素は、運転しやすいことだ。具体的には、正確で、素晴らしいステアリングフィーリングを持っていることだね。
では、「いいチーム」「いいドライバー」とは、どういうものですか?
マキネン:何かに例えるとするなら、侍もいればその刀を研ぐ人もいる、どちらも大事だ。大切なのは自分を信じること。そしてまわりのスタッフの力を信じること。日本人のもつ侍スピリッツに通じるものじゃないかと思う。
最初に「トヨタとラリーをやらないか」と誘われたとき、どう思いました?
マキネン:最初からポジティブだったし、その気持はいまも続いているよ。トヨタとTMGと3社の関係もとても緊密だし、良好だ。TMGはいいエンジンを作ってくれていて、すでに結果も出ている。クルマを速くするために重要なことは、オープンなコミュニケーションのもとで一緒に働くことだ。これからの目標は日本をはじめもっとWRCの認知を高めて、全体をレベルアップさせたいね。
マキネン氏が語った、3つの条件
先の友山専務がマキネン氏についてこんな話しをしていた。
「今年の第2戦でいきなり優勝したときに、強いチームを作る上で大事なことは何か、マキネンさんに聞いてみたんです。そのとき3つの条件を話していました。
1つはレスポンシビリティ(responsibility)だと。入ってきて1年目のエンジニアやメカニックであってもしっかりと責任をもたせる。1年目で、整備のときに床だけをきれいにするスタッフもいるわけです。でも彼は床をふくだけではなくて、例えばへんなところにオイルが垂れていないか、部品が残って床に落ちていないかにまで気を配る。それが勝つために必要なレスポンシビリティだ、と。
2つ目がトランスペアレンシィ(transparency)。すべての人が同じ目と耳をまるで持っているかのように情報を共有していること。そして最後がトラスト(trust)で、プロとして互いに信頼し合っている関係をつくること、だと」
レースの翌日、エースドライバーのヤリーマティ・ラトバラ選手にも話を聞く機会があった。実は彼はトップクラスのラリードライバーである前に、すごいラリーマニアでもあり、さらにトヨタマニアでもあるのだ。偶然とはいえ、こんなところにもトヨタとWRCの相性の良さを感じる。
ヤリ-マティ・ラトバラ選手 フィンランド出身。2002年よりWRCに参戦。通算16勝、3度、年間ランキング2位を獲得している。2016年まではVWで参戦するも、VWのワークス撤退を機にトヨタへ移籍。今年第2戦のスウェーデンで優勝。このフィンランドでもマシントラブルでリタイヤするまでは、トップを快走していた(写真:藤野太一)
残念ながらリタイヤでしたが、チームは2勝目を挙げました。ヤリスというクルマの印象はどうですか?
ラトバラ:トラブルはとても残念だったが、でもヤリスWRCはとても快適にドライブできるし、フィーリングも素晴らしい。次のドイツはターマック(舗装路)なので、まだデータがなく勝つのは難しいかもしれない。ただ、カタルニア(スペイン)や、オーストラリアでは勝つチャンスもあると思う。
ラトバラ選手は個人的にたくさんのラリーカーを所有していると聞いたことがありますが、トヨタのクルマもたくさんお持ちですか?(あまりにも多くのラリーカーを所有しているため、個人でミュージアムを作るまでになり、コレクションの一部を一般公開しているという)
ラトバラ:1999年にラリー・フィンランドでカルロス・サインツがドライブした「カローラWRC」、1996年にラリー・スウェーデンで、ユハ・カンクネンがドライブした「セリカST205」、それからカローラレビン、AE86。僕はこれでラリーをはじめたんだ。それからいまヒストリックラリーカーをレストアしているよ。「セリカST165」。最初のグループAラリーカーだね。
やっぱり日本でWRCを開催すべきだよ
ラトバラ選手にとって、トヨタはどういうイメージなんでしょうか?
ラトバラ:トヨタにはラリーのヘリテイジがある。小さな頃からの憧れだったし、ラリーをはじめたのもトヨタ車だった。(ラリー翌日の新聞の一面広告を見ながら)これはフィンランドで一番メジャーな新聞だけど、ラリーはフィンランドではすごく大きなイベントだし、一般の人にとってもトヨタのブランドイメージはすごくいいものだ。
具体的に言えば、めったに壊れないし、壊れたときの修理対応もいい、だから保険の条件もいいんだ。実際にフィンランドのある顧客満足度調査でも一番の結果が出ていたよ。
翌日、フィンランドで最大の発行部数を誇るという新聞「Helsingin Sanomat」に掲載されたTOYOTA GAZOO Racingの一面広告(写真:藤野太一)
残念ながら、日本ではトヨタがこれほど活躍しても、WRCはそれほどメジャーではないんです。どうすればもっと人気が高まると思いますか?
ラトバラ:それはやっぱり、日本でもWRCをやることだろうね。以前は北海道でも開催されていたよね。
トヨタは日本のメーカーだし、ヤリスWRCは本当に素晴らしいクルマだよ。だから、先回りしておくと、次にコレクションに欲しいマシンは、もちろん「ヤリスWRC」だよ(笑)。いつか、チャンピオンシップを取ったらね。
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実はこの日、レースの翌日だというのにトヨタはファクトリー近くのいつものテストコースで、ラトバラ、ハンニネン、ラッピという豪華な3人のワークスドライバーの助手席に乗るという超絶体験を用意してくれた。
テストコースといっても生活道路なので、ストリート名もあれば、周囲には民家ももちろんある。ちょっと軒先を借りるくらいにテントを広げて、支線を封鎖してテストが行われるのだ。ここは雪がたくさん積もるエリアでもあり「年間を通じて何度もテストを行っている場所だよ」とスタッフはこともなげに言う(写真:藤野太一)
マシンはカラーリングは施されていないもののラリー・フィンランドを走ったものと同じ仕様。フィンランドでは申請すると一般道を封鎖してテストをすることが日常的に認められているのだという。助手席に座り、近所の子どもたちが手を振り見届ける中で味わったのは、もう笑うしかないくらいにカッ“飛んだ”世界だった。“道が人鍛え、クルマを鍛える”というが、まさにそのとおりだ。
筆舌に尽くし難いので、こちらは動画をどうぞ。
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