90年代後半はカローラをベースにWRCに参戦。通算ドライバーズタイトル4回、マニファクチャラーズタイトル3回という輝かしい結果を残し、1999年シーズンをもってラリー活動を中止する。その理由はF1参戦だった。

 2002年シーズンからはじまったF1活動は2009年までの8年間で最高が2位、コンストラクターズは最高4位という成績だった。結局、F1では一度も勝利できずに活動を終えている。

 そして、2015年にWRCへ復帰するプロジェクトが立ち上がった当初は、従来どおりTMG(Toyota Motorsport GmbH・ドイツにあるトヨタのモータースポーツ拠点)が主導で動いており、車両とエンジン製作の両方を担当。すでにテストも開始されていた。

 しかし、実は今回優勝した現在のチームはこの延長上にはない。すでに動き始めていたTMG主導のプロジェクトをいったん止めて、トミ・マキネン氏のもとに再編されたもの。そしてわずか2年で成果を出している、というわけだ。

2015年にWRCへの復帰が発表されたときのTMG製ヤリスWRC(手前)と、1999年にWRCから撤退したときのカローラWRC(写真:トヨタ自動車)

 現在、トヨタのすべてのレース活動を統括するGRカンパニーのプレジデントである友山専務はこんな話をしていた(前編参照)。

ファクトリーは「マキネンさんの家」そのもの

 「マキネン氏にチームを任せることには、相当な抵抗勢力がありました。最終的にはTMGにはエンジン開発を担当してもらって、トヨタ本体は彼のチームをサポートする体制となったのですが、豊田社長の強力な支援と不退転の意志がなければ、この短期間で勝てるチームを作ることはできなかったと思います。マキネン氏は『できるだけコンパクトなチームを作りたい。ドライバー、エンジニア、メカニック、サポート、経理をするスタッフなども含めてファミリーなんだ』と話していました。ファクトリーにいけばわかりますが、TMGにくらべてすごく小さくて、町工場みたいなところです。きっと驚くと思います」

 これまでにいくつものレーシングファクトリーを見てきたが、いわゆるワークスチームのものは、どこもモダンでクリーンだ。レースの翌日、TMRのファクトリーを訪れて本当に驚いた。なんと“マキネンさんの家”そのものだった。

右に見える大きな家がいわゆるオフィス棟。まだ外装工事が終わっていない状況だがすでに稼働している。地下は会議室で1階はマキネン代表の部屋をはじめマーケティング、経理、ロジスティックスなどのスタッフが、2階にエンジニアやデザイナーなど開発チームが入っている。左奥に見える茶色の建物がガレージ。欧州仕様の3ドアのヤリスのホワイトボディをベースに、ここでWRCマシンのボディが作られている。ロールバーなど数々の補強が入っているが、ボディの純正比率は38%と意外に高い(写真:藤野太一)

 マキネン家が所有する、納屋のような農場施設を改築したファクトリーで、約80人が働いている。トヨタからも責任者の堀川龍雄氏をはじめ凄腕技能養成部からメカニックやエンジニアなど5人が出向、現地採用の2人を含め、計7人の日本人が働いている。また若手ドライバー育成プログラムとしてオーディションをパスした新井大輝選手と勝田貴元選手の2名が、TMRからWRCの下位カテゴリー(WRC2)に参戦し経験を積んでいる。

 現場を共にする堀川氏はこう振り返る。

 「トミーを信じて一心同体でやるしかなかった。この短期間で勝てたのは家族主義的なチーム体制もあるが、彼のビジョンが素晴らしかった。最初からしっかりとした骨格がありました。トミーはドライバーとしてでなく、エンジニアのセンスもある人で、相当“持って”ます。ツキも含めて(笑)」

このガレージの奥にはマキネン氏の生家があった。右奥に見えるのがマキネン家の私道で、そのままよく試走に行くという。どうりで運転がうまくなるはずだ…(写真:藤野太一)
ファクトリーではレース後に車両を分解、ボディの補強、パワートレインの組み立てなど、作業のセクションごとにいくつかの建屋に分かれている。レギュレーションで年間のマシンの使用台数が定められているため定常的に作っているわけではないが、約4週間で1台を組み上げることが可能という。奥に見えるランエボがマキネンらしい(写真:藤野太一)
ここで少しトミ・マキネンチーム代表にも話を聞くことができた(写真:藤野太一)

 1年目にして予想以上の成績を挙げているように思えますが、ご自身ではどうですか。また、うまくいっている要因はなんだと思いますか?