「私大の両雄」としてライバル関係が何かと話題になる早稲田と慶應。受験、学生生活、就職など、実際のところはどうなのか。現役学生や卒業生への取材、各種統計データの収集・分析により、徹底比較を試みた『早稲田と慶應の研究』という新書を著したオバタカズユキ氏が、現役生、OB、OGを集めて改めてそれぞれの思いを聞き出した。
早慶比較もさることながら、親世代と現役学生との「常識」の違いが興味深い。20~30年前と今とでは、人気の学部学科が異なり、学生像もかなり変化したという。まずは3時間におよぶ熱い語りが展開された、慶應義塾大学の座談会からお読みいただこう。
【座談会参加者】
- 大江梨生さん (総合政策学部2年、幼稚舎→塾高)
- 西岡航平さん (法学部政治学科2年、地元の公立小中→塾高)
- 江波戸水紀さん (法学部法学科3年、幼稚舎→塾高)
- 武田正則さん※仮名 (97年文学部卒、99年大学院卒、都内新聞社勤務)
- 進行:オバタカズユキ(『早稲田と慶應の研究』著者)
関西圏での慶應大学の認知度は6割?!
オバタ:みなさんに拙著を読んでおいてもらいました。本のご感想から聞かせてもらえますか。
学生大江:僕は、「知っている大学ランキング」にびっくりしました。関西エリアでの慶應義塾大学の認知度が、まさか6割ちょっとは……。
オバタ:驚きですよね。リクルート進学総研が毎年行っている調査で、全国の高校3年生にその大学を知っているかどうか尋ねた結果なのですけど、慶應の場合、関東エリアでは91.9%、東海エリアで72.3%、関西エリアは63.4%。関西だと4割近くが、下手したら大学名自体を認知していない。
学生大江:すべての地域で、早稲田に認知度が抜かれている。ほぼ同率だろうと思っていたので、「えっ、そうなんだ」と驚きです。
オバタ:関東エリアでの知名度は1位が早稲田で、2位が慶應。ところが、東海エリアだと1位は名古屋、関西エリアの1位は近大。地域によってぜんぜん違う。日本は意外に広いっていうか、大学ってローカルな存在なんだっていうことがわかりますよね。合格者ベースで見ても、慶應は圧倒的に一都三県出身者が多い大学。東京と神奈川では超有名な地域限定ブランド大学ともいえなくない。
左から、大江梨生さん、西岡航平さん、江波戸水紀さん
OB武田:関西地方、東海地方だと、慶應の認知度は明治と上智と青学に負けていますねえ。
オバタ:明治は人気上昇株なので、理解できます。青学は駅伝効果でしょう。上智はなんでだろう。東海地方では南山大学と姉妹校関係なので、その流れで認知されているのかもしれません。
学生西岡:慶應の付属校が地方にないことも関係しているでしょうか。早稲田には、早稲田佐賀や早稲田摂陵がありますけど。
学生江波戸:僕は体育会に入っているんですが、AO制度などの推薦制度を利用して入学した地方出身者がけっこう多くいます。彼らから、「慶應、地元だと知らない友だちが多いんだ!」とよく聞いていたから、この調査結果で裏づけが取れたと感じました。
田舎の優等生には「早>慶」だった
OB武田:今日のメンバーの中で地方出身者は私だけです。なので、ここは当事者として言わせてください。私は東北の県立高校に通っていましたけど、東海や関西のこの結果は、しっくりくるんですよ。やっぱりそうだよな、って。
僕自身は、第一志望の国立大に落ちて慶應の文学部に入ったのですが、受験当時に私大の文系でまず頭に浮かんだのは、早稲田でした。僕の高校で上位層が私立文系のどこを目指すかといったら、圧倒的に早稲田。次に明治、理系だと東京理科大。青学や上智などのおしゃれな大学は目指さない。慶應は、すべり止めという意味ではなくて、「なんかついでに受けとくか」と選ぶ大学というのが一般的でした。
オバタ:国公立志望者の場合、入試内容や日程的に、早稲田より慶應のほうが併願しやすいけど、そういう意味で慶應は選ばないんですか?
OB武田:選びませんでしたね。東大、京大、東北大を受けている子もいっぱいいましたけど、その場合の併願はみんな早稲田なんです。
オバタ:昔の早稲田は、専用の対策をしないと落ちたでしょ? 特に社会が重箱の隅をつつくような難問奇問だらけでしたから。
OB武田:そうそう。日本史などで、大変特殊な問題を出していましたよね。マニアックなクイズみたいなの。旧帝大は社会が二科目出されるし、その対策をしながら、早稲田の社会の対策もしなきゃいけなかった。でも、その割に合わなさが、当時の地方の受験生にはよくわからなかった。ネットもない、大手予備校もない、受験情報が少ないので。結果、私も早稲田を受けて、落ちました。
オバタ:どうして地方では慶應の知名度が低いんですか?
OB武田:えっとね……、それはとにかく「東京の私大」といえば「早稲田」だから(笑)。単にそういう話なんですよ。メディアに出ることが多いのもあると思います。学生スポーツでよく出てきますし、有名人の卒業生も多い。慶應も有名人の卒業生が大勢いますが、早稲田のほうがボリューム感を覚える。90年代前半までは、確実にそうだったと思います。
で、1990年にSFC(湘南藤沢キャンパス)ができたことで、慶應の知名度が地方でもじわじわ上がってきて、今に至る。私のときもSFCはすでにあって、存在は知っていました。だけど、結局、慶應という全体のブランドイメージ「おしゃれで、田舎もんは行くところじゃない」っていう印象で、受けづらいんですよ。行っても、馴染めないんじゃないかみたいな。私が通っていた高校は男子校だから、どちらかといえば「バンカラ」だったんです。
オバタ:受験生当時、武田さんは慶應に対して、「おしゃれ」以外にどういうイメージを抱いていましたか?
OB武田:「日本の中枢にある大企業(商社、銀行、証券会社など)の社員を目指す人が行く大学」っていう慶應像でした。人材輩出分野が狭く、特化しているイメージがあった。今だったら、そんなことないと思うんです。たとえば、国家公務員になりたい人も行くでしょうし、弁護士、会計士、外交官になりたい人も行くでしょう。当時の私は、そこら辺がごっそり視野から抜け落ちていましたね。
それと、慶應には、「日本株式会社」とカギカッコ付きにしたくなるような、いわゆる大企業で金儲けをして、貧乏人を安くこき使って、高いものを売りつけてっていうイメージがぼんやりあった。慶應の本質は、福澤諭吉の『学問のすゝめ』なわけですから、実際は違うんですけどね。でも、入るまではそういう先入観もありました。
オバタ:今の武田さんのお話、現役慶大生としてはピンとこないですよね。古い世代の少なからずが未だに描いている「資本主義の走狗」みたいなイメージのことですが、今の若者の間にはもうそんな慶應像はないはず。
学生一同:(ゆっくり頷く)
オバタ:ただ、どうですか。『早稲田と慶應の研究』の取材でつくづく感じたのですが、慶應の男子学生は「慶應ボーイ」と呼ばれることをとても嫌う。その拒否感っていうのは、資本主義の云々といった話となんらか結びついている気がするんです。みなさんは「慶應ボーイ」って呼ばれたことありますか?
「慶應ボーイ」というレッテル貼り
学生大江:僕は小学校から慶應の幼稚舎なんですけど、自宅付近には年配の方が多くて、「慶應に通ってる」って言うと、「慶應ボーイだね」っていう言葉が、最初に来ました。
オバタ:小学生の頃に、原体験がある?
学生大江:ありますね。自分が慶應に通っているっていう話が広まるにつれ、「慶應ボーイが、あの辺に住んでいるんだ」みたいな声が聞こえてくる。
オバタ:そこには、やっかみみたいなものもあるのかな?
学生大江:少しあるように感じました。「あそこの家は、慶應ボーイだから……」といった定型の言い方があるんです。手の届かないところにいる子、みたいな見方をされる方々がわりといました。僕ら、ペンマークが入った制服とランドセルで行ったり来たりするんで、わかっちゃうんです。小学生の低学年の頃から感じていて、僕自身、あまり良くは思っていませんでした。要は、「見世物」にされているわけですから。
オバタ:ご実家のお仕事は?
学生大江:父は電鉄会社勤務で、元々バスの運転手をしていました。だから、高い給料をもらっている大企業の役員などではないです。父も母も慶應関係者ではなく、「たまたま受かっちゃった」から幼稚舎に行った珍しいパターンなんです。
オバタ:ああ、そうなんだ。同じく幼稚舎出身の江波戸さんは?
学生江波戸:僕は、「慶應ボーイ」って言われることが稀にあるぐらいです。というのも、住まいが日吉で、慶應生がたくさんいる地域ですから。ただ、「慶應ボーイ」と呼ばれるのを嫌がる慶大生が多いのはわかります。今の慶大生は、「慶應ボーイ」にいいイメージは持っていないと思います。今は、奨学金もらいながら大学で勉強している人も多いですから、「お金持ちで、のんびり遊んでいるわけじゃない!」と反発を感じる。
OB武田:だいたい年長者から言われることが多いですよね(大江、江波戸頷く)。遠い親戚や近所の人といった、なんとなく顔を知っている人から、レッテル貼りをされやすいんでしょうね。
学生西岡:僕は慶應義塾高等学校からの内部進学ですが、けっこうな頻度で「慶應ボーイ」って言われますね。普通の家庭で育ってきているのに……って、思います。家は鎌倉で、一応、近くにSFCはありますが、さほど慶應との縁が深い地域ではないので目立ちやすいのだと思います。
自分と同じくらいの世代の人からもチェックされますね。たとえば、アルバイト先で大学名が知られたら、「慶應ボーイだね」って絶対言われます。
オバタ:そういうとき、どういうニュアンスが含まれているように感じましたか?
学生西岡:「育ちが良い」みたいな。その言葉の奥には「お金持ち」イメージがあるので、「全然そんなことないですよ」と言うんですけど、向こうは「いやいや、でもそうなんでしょ?」って信用してくれない。
OB武田:私は、会社の中でおっさんたちから「慶應ボーイ」って言われることが多いですね。ニュアンスとしては、「小奇麗で、育ちがよい」。社会人になると、「人当たりがよい」というイメージも強くなると思います。
あとは、「社交性がある」。社交性とは、人の話を受け止めて、自分の言葉を返すような、コミュニケーション能力の高さですね。「如才がない」「こなれている」という言葉に近いかもしれない。そして、言われたことはちゃんとやる「素直」な印象を持たれることもある。「摩擦係数が低い」っていうイメージ。方々を取材した感触では、どんな企業でも塾員(慶應の卒業生)はそうふうに見られているのかなって思いますね。
オバタ:慶應を批判的に見ていた受験生時代とは、武田さん自身の慶應観もずいぶん変わったみたいですね。
OB武田:今の私は、「慶應ボーイ」と言われることをポジティブに受け止めています。結果として慶應に合っていたな、自分の中にも慶應ボーイに通じるものがあるのかなって思っているから。学生のみなさんの気持ちはわかりますよ。でも、「お金持ちで、育ちが良い」というイメージで見られることを、イヤって思ってもしょうがない、その環境でやるしかないなって、大人として受け止めるようになりましたね。だから、「ありがたい」って思う面と、「イヤだったな」って思う面と裏腹な気持ちがあります。愛憎半ばしている。
福澤諭吉の教えとは何か
オバタ:愛憎の「愛」はどんなところにありますか?
OB武田:なんでしょうね……。真面目に言っちゃうと、やっぱり福澤諭吉が創立した学校に通えてよかった。要するに、現代の世の中をつくる最初の作業に関わったキーパーソンの一人に近づける。そこまで遡って意識できちゃう。福澤諭吉は、薩摩や長州のように権力を握った人たちとは違って、政府に入ったりせずに、新聞作ったり、本を書いたりしていました。官じゃなくて、民の人だったわけですね。しかも、「勉強しようよ」とか、「議論しようよ」とか、「ビジネスでお金稼ぐの大事だよね」とか、「サイエンス(実学)をやろうよ」とか、現代国家を築くために重要なポイントを考えていた人かなって思います。
学生大江:今もSFCには「慶應義塾入門」という授業があります。看護医療学部は必修でとらなければいけないようです。幼稚舎では、6年生のとき、福澤諭吉先生の生い立ちを学ぶ授業があります。中高(普通部と塾高)では授業でそういうことを教わる機会は特にないのですが、先生方は意識されているようで、「福澤諭吉先生の教えはこういう教えだ」ということを授業外で注意されることはあります。
学生西岡:高校の廊下で「わー!」って騒いでいるときに、先生が通りかかって、「福澤先生の気品の泉源が……」と注意されたことがあります。
オバタ:そこでいう「気品」はどんな意味?
学生大江:品位、品格。独立自尊につながる何か。自分の行動に責任を持って、何事も自分の判断で行うっていうことですね。
OB武田:大学生や院生として過ごすだけだと、それを言ってくれる先生っていうのはいなかったですね。福沢諭吉の教えは、自分から本で学びに行ったという感じです。
オバタ:たまたま今日の学生さん3人は、みな内部生なわけですけど、外部生との差はやっぱり大きいものですか?
学生江波戸:内部生らしさ、外部生らしさの違いはあると思います。本の中に、「幼稚舎出身で、本当に遊んでいる人はサークルに入らず、内輪のグループを作っている」という記述がありましたけれど、これは納得しましたね。内部生のチャラさは、世間的にいわれているようなチャラさとは違う気がします。
学生大江:外部生でチャラいっていうのは、テニサーみたいなところに入って、ただ単にハメを外したい人たちのこと。
OB武田:飲み会で、イッキコールをして盛り上げる感じですよね。
学生大江:そうです。それに対して、内部生でチャライ人は、チャラいと思ってチャラいことをしていない。たとえば、クラブでDJをしていたとしても、それは生まれ育つ中で自然とそういう環境にいるということなんです。
OB武田:自然と、普通に、それをしている。背伸びをしているわけじゃないんだ。
学生西岡:自分に自信があるっていうオーラが出ていますね。内部生は、自信をまとったうえで遊ぶ。特に幼稚舎出身だとそうです。
OB武田:私の学生当時には「大学デビュー」という言葉があった。受験が終わって、テニサーに入って、わーっと遊ぶ。私らの頃の慶應には、テニスサークルだけで40団体はありましたね。その中に当然ヒエラルキーも存在し、体育会系→準体育会系→公認→非公認の序列になっていた。私は、底辺である非公認のテニサーの一つに入っていました。女子の勧誘で、白百合大や東洋英和大に行ってましたね。時代は、バブルの余韻が残っていた。90年代前半のキャンパスは、やっぱりまだチャラかった。イッキ飲みもバカバカやってたし。
オバタ:やたらとイッキ飲みをしていたのは早稲田もそうですよ。慶應との違いは、最終的に女の子が絡むか絡まないか、かな?
「内部生」は満ち足りたコミュニティ
OB武田:なるほど。たしかに、慶應の場合は絡んでましたね(笑)。ただ、おいしい世界と、そうじゃない世界がキャンパスの中にもあったと思いますよ。慶應の中にも世界が何層かあった気がしていて、私の理解では、その上位層の一つが内部生的なコミュニティだと思うんです。外部生からすると、そこで何か行われているなというのはわかるんだけど、具体的には見えない。本当においしい世界なのかどうかは不明なんだけれども、当時は、彼らはいい思いをしているんだな、と意識していました。
さっきの「愛憎半ばする」という話につなげると、そういうコミュニティが見えていたのは「世の中ってこういう別世界もあるんだ」って感じて面白い経験だったなとも思えるし、逆に「なんだよ!」ってむかつく気持ちでもあるんですよ。
学生西岡:おっしゃる通り、今も内部生同士でつるむことは多いです。でも、それは外部生を受け入れないとかそういうことではなくて……。
学生大江:外部生からすると、内部生たちに混じりづらいという話は聞きます。1年生だけじゃなくて、それがずっと続きますね。
OB武田:続いてたなぁ……。たしかに。
オバタ:内部生はなぜ、そういうふうに閉じちゃうんだろう?
学生江波戸:意識して閉じているわけではないので、あえて開こうっていう気もないんです。コミュニティが足りているから、そうなるのじゃないですかね。たとえば、塾高であれば一学年に800人もいるので、卒業後に大学デビューしてコミュニティを探す必要がない。それは、別に閉じているとかじゃなくて、新たに別の世界を開く必要がない、っていうことかもしれません。
OB武田:うんうん、わかります。そこは変わってないのかなー。キャンパスの中で、ゼミのような学問を基準としたコミュニティもある一方、サークルもある。そのどちらでも、地方から来た子が「なんだよ!」と塾高出身者に対する反発心を見せている場面はけっこう見ました。でも、それは外部生側からの一方的な感情なのかもしれない。内部生からすれば満ち足りているので、自然体なのかもしれない。
学生江波戸:この本にも、「幼稚舎出身者は何かに打ち込んでいる子が多い」と書いてありましたが、要は新たなコミュニティや友だちを作る必要がないから、自分の好きなことに打ち込める。人目を気にしなくてよくて、自分の好きなことが出来るのかもしれません。
OB武田:そうか。私は学生時代、内部生と外部生、首都圏出身者と地方出身者で壁を感じていました。首都圏出身者の場合、周囲に同じような地域から来ている子がたくさんいるから、さほど友だち作りをがんばらなくていい。けど、内部生よりは作らなきゃいけない。私の出身県の場合、全学部あわせても1学年で10人くらいしかいなかったから、おニューな友だちを作らなきゃ話にならないわけです。壁というより、単純にその違いなのかもしれない。
学生江波戸:サークルに入る目的はいろいろあるけど、友だち作りがメインではありますよね。そういう意味では、内部生がサークルに入るメリットって特にない。だから、内部生はテニスサークルに入る率が少ないんです。
学生西岡:僕も実際そうでして、試験勉強のときに友だちノートを見せてもらうとしても、高校時代の知り合いがいっぱいいるので、そっちで足りてしまう。悪い言い方にはなりますが、わざわざ新しく仲良くなる必要はない。
OB武田:クールに自然体で足りてるってことだよね。それを十分にわかった上で、意地悪な質問をすると、私の時代はテニスサークル40団体のうち、内部生中心のサークルというのもあったわけです。それぞれのサークルに条件が設定されてるの。出身高校を条件にして入部許可を出すテニサーもあった。それは、ちょっと差別っぽくないか? と思うんですよね。そういうサークルは今でもあるのかな?
学生江波戸:そういうのはまったくありません。昔は、慶應の付属校であることをブランドもののように扱う人たちがいて、「自分と同じ高校出身の人たちとしか話したくない」と考えて、そういうサークルを作ったのかも。それが、「慶應ボーイ」のへんなイメージを作っていたのでは。
学生西岡:今は、「このテニサーは、テニス好きが集まっている」「このテニサーは、飲みサーだ」みたいな話を聞いて、選ぶという感じです。
OB武田:今は、中身で選ぶんですね。
オバタ:どうやら健全になっているみたいですね、昔より(笑)。
OB武田:自分の認識、やばいなー(笑)。
(後編に続く)
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