人間なら誰しも失敗、挫折、失望といった経験は避けられず、そこからネガティブな気持ちに陥ることがある。しばらくの間それを味わうのも人生の醍醐味かもしれないが、しかるべき時に立ち直り、抜け出し、再び人生の目標に向かって行動を起こさなければならない。
ところが人によってはネガティブな気持ちに陥ったまま抜け出せなくなる。うつうつとした気分のまま部屋にこもり、自分や他人を責める言葉を頭の中で繰り返す。止めようと思っても止められず、気がついたら朝を迎えてしまい、寝不足のまま仕事に行くものの、疲れがたまる一方になる。
特に4月から今頃にかけては就職や転職、転勤や異動がある時期だ。「五月病」という言葉があるように普段はメンタルの不調など感じない人でも「何をやっても気持ちが晴れない」「後ろ向きの考えばかり浮かぶ」といった状態に陥る危険がある。
自分を非難する声が頭の中で四六時中鳴り響く
私はまさにそうした典型例だった。さかのぼること15年前、20代の頃に心身の不調に陥り、精神科に通い始めた。色々な症状があったのだが、一番辛かったのは自分を非難する声が頭の中で四六時中鳴り響くことだった。
幸いにも40代の今、メンタルの問題はほぼ100%克服したと言っていい。もちろん常にポジティブでいることは難しく時折ネガティブな気持ちになるが、そこにとらわれて何も手に付かなくなる時間は以前よりも大きく減った。
少なくとも克服するための有効な手段を持っている自信はある。その手段とは「頭の中で流れる言葉をひたすら手で書きなぐる」こと。この手段を知ってから15年間、20代の終わりから40代半ばの今に至るまで、数々の精神的な危機を書くことで乗り切ってきた。
経験を積めば積むほど、私は「手書きは心身の不調を克服し、思考の健全さを保つことに役立つ」と確信するようになった。その効用を説く専門家も出てきている。
非難の声は両親や小学校時代の教師
20代に調子を崩した際、一番辛かった「自分を非難する声」は何か行動を起こそうとするたびに出てきた。その声は「できるわけがない」「くだらない」といった突っ込みを私に入れつつ、「失敗したらどうしよう」と不安を助長する。
声の主が頭の片隅に棲(す)みついているようで、なかなか消せない。「ここも駄目、あそこも駄目」といった非難が繰り返され、私の心の中で未来に対する漠然とした不安が行き交う。しかも「あの時駄目だったじゃないか」という声と共に、過去の失敗が鮮明な映像として頭の中に再生された。
非難の声も鮮明に聞こえ、誰の声か分かった。両親であったり小学校時代の教師であったりした。幼い頃の権威者の声である。両親も小学校時代の教師も当時の私の仕事や生活のことなど何一つ知らなかったから、そうした声は私の妄想以外の何ものでもなかった。非難の内容も後から考えれば「そういう見方もできるが正しいかどうかは分からない」という程度であった。
しかし当時の私は冷静に考える余裕などなく、頭の中に響く声や映像にしばしば心を奪われていた。何か行動を起こすときには、頭の中で鳴り響く声や映像を何とか振り切って、ようやく実行に移していた。
そのため、仕事を含む生活全般において動きが遅くなってしまった。当時の上司から「君の仕事にはスピード感が足りない」という批判を度々受け、やり場のない悔しさを味わっていた。
批判の声は私が起きている間、ずっと頭の片隅で聞こえた。仕事や用事が済んで一人きりになると声のボリュームが大きくなる気がした。休日も全くリラックスできなかったが、月曜日が来ると何とか仕事に行った。今から思えば20代の若い体力で乗り切っていたのだろう。
不思議なことに声に悩まされていた当時の私は「他の人もそうなのだろう」と思い込んでいた。後になって職場の同僚に苦労話のつもりで打ち明けた際、「そんな声など生まれてから一度も聞いていない」と言われ、驚いたことを覚えている。
欠勤にまでは至らなかったものの、仕事の約束の時間や集合場所を間違えることや、重要な会議の予定をすっかり忘れてしまうことが増えてきた。さすがにまずいと考え込み、意を決し、精神科の戸を叩いた。15年ほど前は私の記憶によれば精神科に通うことにどちらかというとネガティブなイメージがつきまとっていた。
禅の書画を掲げた精神科医との出会い
精神科医に相談したところ、薬を処方されたが私に合わなかった。吐き気や眠気が出るし、日中ふらつく感覚まで出てしまい、どうにも受け入れられなかった。
「薬をなるべく飲まないで自分の状態を改善する方法はありませんか」と精神科医に聞いた。すると「定期的に心理カウンセラーに通い、認知行動療法に取り組んではどうか」と提案してくれた。認知行動療法は個人の物事の受け取り方や考え方を変えることで心の緊張を緩和させていくものだ。
「あなたが本気で治したいなら、自分の認知の癖を変え、人生で起きてくる出来事の捉え方を根本から変えること。それにはカウンセラーのサポートの下、御本人の努力が欠かせません」。
その精神科医は禅に関心があったようで診療室の奥に達磨(だるま)の掛け軸や書画の「円相」が掲げられていた。そのせいかどうか、上記のアドバイスを受けたとき、修行を積んだ禅僧から言われたように感じた。
精神科医の診療と並行しつつ、紹介された心理カウンセラーのところに通い始めた。血液検査を含む身体測定と心理テスト、生育環境のヒヤリングの後、感情や思考を自分で制御するイメージトレーニングの方法などを指南された。だが当時の私にはしっくりくる感覚が薄く、途中で挫折してしまった。
それでも心理カウンセラーと対話できたことで「自分の頭の中に自分の意図に反して、根拠なく自分を非難する声が鳴り響く」状態と向き合う姿勢がとれるようになった。
東洋思想に「陰極まって陽生ず」といった言葉がある。当時の私はその言葉が示す転機に差し掛かっていたのだろう。
「自分の頭の中で何が起きているのか。なぜこんなにも根拠なく自分を非難する声が頭の中で常に鳴り響いているのか」。その理由を知りたい一心で、精神医学、心理学、宗教、哲学、自己啓発関連の話題、といったことを手当たり次第に調べ始めた。
「書きなぐり」始めて人生が変わった
そのとき一冊の書籍に出会った。『書きながら考えるとうまくいく! プライベート・ライティングの奇跡』(PHP研究所、マーク・リービー著、森重優実訳、現在絶版)である。その本のキーメッセージは次のように簡潔であった。
「タイマーで制限時間を設定し、今、頭の中で浮かんだ言葉をひたすら紙に書き出せ。支離滅裂な文章でも構わない。制限時間内は手を止めずに書き続けなさい。それが次第に人生を変えることになる」。
その本を読みながら「それで人生が改善できるなら苦労しないよ」と思ったものだ。それでも当時の私はよほど自分を変えたかったのだろう、同書の内容を素直に実践し始めた。
まず書籍が推奨していたキッチンタイマーを雑貨屋で購入した。仕事用のノートとは別に、なぐり書き専用のノートを常に持ち歩いた。空き時間を見つけてはタイマーを3分あるいは5分に設定し、頭の中に浮かんでくる言葉をひたすら紙に書きなぐるようにした。
人は言葉を使って物事を考える。諸説あるが1分間に数十から数百もの思考作業を並行して言葉を使い、処理していると言われる。放っておくと頭の中でとりとめもないことを考え続けてしまいかねない。そうした頭の中をとめどなく流れている言葉をとらえて、ひたすら手で紙に書いていく。
当時、私は出版社に勤務し、既に5年目に突入していた。仕事として文章を書くことを選んでいたにもかかわらず、記事でもない、企画書でもない、自分の頭の中に浮かんでくる言葉をひたすら書く行為に当初は戸惑った。
それでもほぼ毎日続けられたから、自分として何かピンとくるものがあったのだろう。しばらく続けていくと、書くことから爽快感が得られると自覚できた。当時味わった爽快感は15年経った今でも覚えている。
手で書きなぐることによる爽快感が功を奏したのか、この頃から少しずつ行動力が増し、仕事を含めた生活全般の質が上がり始め、次第に精神科に通う頻度が減っていった。
体を鍛えることに関心を持つようになり、喫煙の習慣も止められた。スポーツクラブのプールで軽く泳いだ後、カフェに行ってノートを開き、「頭の中に浮かんでくる言葉を書きなぐる」ことが生活の楽しみになった。こうして仕事や生活で前向きな目標を持てるようになっていった。
2種類の「頭の中に浮かぶ言葉」
頭の中に浮かんでくる言葉を紙に書き、そのノートを見返す。頭の中でどんな言葉が紡がれているのかをそのまま「見える化」する行為と言える。
見える化とは、改善の対象を客観的にとらえ、改善に寄与する箇所を特定することを指す。「頭の中に浮かんでくる言葉を書きなぐる」ことを始めた当時の私は、書き付けた紙を読み直して、「自分の思考の状態や心理状態を客観視し、妥当性を検証する」ようになった。こう解釈できる。
紙に書いてみると頭の中に浮かんでくる言葉は2種類に分けられた。1つ目は自分の発想、考察、所感である。「あれをやろう」「これをやろう」「これはこうしたほうがもっと良くなるのではないか」「このやり方ではうまくいかなかったから次回はこうしよう」といったものだ。
これらは仕事や生活上のアイデアやポジティブな見解であり、何か行動を起こす際に役に立つ。建設的であり、「自分の人生を作る言葉」と表現して良いだろう。
2つ目は「こんなことをやってもうまくいかない」といった、自分に「駄目出し」をする否定的な言葉である。過去の嫌な記憶の無意味な再生ループや、そこから紐付いた「将来こんな失敗をしそうだ」といった妄想、「失敗したらこんなことを言われて嫌な思いをするかもしれない」といった懸念などである。私の場合、これらには大概、鮮明な映像や音声が伴っていた。
後者は「自分の人生をとどまらせる言葉」と言えよう。思考のループが始まり、自分が行動を起こす前から「あれはいけない、これはいけない」と危険や懸念にばかり着目し、行動をとどまらせるからだ。
後ろ向きの言葉を「クリア」する
書きなぐるノートの冊数が進むに従って、「自分の人生をとどまらせる言葉」の発生をコントロールできれば、自分の頭の中で建設的な思考が増え、心身の状態は改善するのではないか、と気付いた。
それ以来、「人生をとどまらせる言葉」をコントールするために、瞑想やヨガ、あるいはビジネス書に書かれているメンタルトレーニング手法を探究し続けてきた。様々な手法を試してきたが、当時から今に至るまで、私がやっている主な手法は単純で次のようになる。
ネガティブな思考をそのまま言葉にしてコピー用紙に書き付け、すぐにクシャクシャと丸めてゴミ箱に放り込む。「そんなことで」と思われたかもしれないが、これだけで案外、気分が切り替わる。気分が切り替わることで「人生をとどまらせる言葉」のボリュームは下がり、声を潜めてくれる。
最近は「ブギーボード」(キングジム製)という携帯型の電子黒板を持ち歩いており、ここにネガティブな感情を書きなぐり、本体上部の消去ボタンを押して消す、というやり方も気に入っている。消去ボタンを押すと「クリアした」気分になる。
「サイコ・サイバネティクス」と呼ぶメンタルトレーニングの手法の中で、このような「忘れる」「クリアする」動作が提案されている。サイコ・サイバネティクスは米国の形成外科医だったマックスウェル・マルツ氏が開発したもの。同氏の書籍は日本語訳が複数出ているので興味を持たれた方は参照していただきたい。
ペンや鉛筆で手書きするほうが爽快
「頭の中に浮かんでくる言葉を書きなぐる」ことを15年ほど続けてみて、重要な点は「文字を手で書くこと」だと思っている。手にペンや鉛筆を持ち、一つひとつの文字を書きつけていくほうが、パソコンのキーボードで入力するよりも爽快感を得やすい。
文字を書きつける媒体はやはり紙がベストである。高級な綴ノートを持ち歩いてもいいし、一般的なコピー用紙も手軽で使いやすい。
散逸しやすいコピー用紙に書いた内容を記録しておきたいと感じたら、スマートフォンのカメラ機能で撮影し、クラウドサービスのEvernoteに記録している。ブギーボードの内容についても同様だ。
ただし記録を取り出して振り返ることはあまりない。大事なことなら手で書いただけで内容が記憶に定着するようだ。
手書きの道具の例。左はA4のコピー用紙。ラフに書き散らしたいときに使う。左から2番目はA4サイズ無地のルーズリーフ。仕事用のノートとしても使い、保存したい場合にはバインダーに収める。中央にあるのが携帯型電子黒板「ブギーボード」(キングジム製)。上部に円形の消去ボタンがある。右は携帯型のノート型ホワイトボード「CANSAY ヌーボード」(欧文印刷製)。
内なる自分が発する言葉を書きつける
「頭の中に浮かんでくる言葉を書きなぐる」ことに取り組み始めてから4~5年後の30代半ばになると「頭の中で鳴り響く批判的な言葉」はかなり減った。
40代半ばの現在、困難な状況やネガティブな事象に面したときを別にすれば、日常で「自分の人生をとどまらせる言葉」が頭の中に出てくることはほぼ皆無となった。
ここまでに至る間、私は勤めていた出版社を退社してフリーランスのライターになり、今年で9年目になる。苦労はあるものの破綻することなく仕事と生活を営めている。お陰様でもう15年近く、あの精神科の診療室に掲げられた書画は見ていない。
今では以前ほどの頻度で頭の中に浮かんでくる言葉を書きなぐっているわけではない。それでも、仕事や私生活で壁に直面し、不安、苦しみ、悲しみを感じる時には3分でも5分でもタイマーを設定し、その時間内は集中して紙に書き出す。これで相当スッキリする。
紙に書かれた言葉が「自分の意外な本音」だと自覚できたり、「親身なアドバイスをくれる友人」のような感覚が生まれたりして、勇気づけられることもある。
こうした感覚が生まれてきたので「頭の中に浮かんでくる言葉を書きなぐる」という言い方より、「内なる自分が発する言葉を書きつける」という柔らかな表現のほうがふさわしいと最近では考えている。
書きつける習慣は文章力を上げる
「書きつける」習慣を通じて私は精神の不調を脱すると共に、ビジネスパーソンにとって重要な文章力が向上した実感がある。出版社で勤務していたため仕事柄、文章を書くことは得意だと思っていたが、「頭の中に浮かんでくる言葉を書きつける」行為を習慣にしたことで文章を書くのに必要な言葉が以前より浮かびやすくなった。
文章を書く行為は自分の思考内に浮かんでくる言葉を捉えて論理性と一貫性のある一つのストーリーとして完成させる作業と言い替えられる。ところが、思考内に止まっている言葉はもやもやしており、捉えどころがない。それではなかなか文が書けない。
「頭の中に浮かんでくる言葉を書きつける」行為は言葉の輪郭を素早く捉える行為と見なせる。その行為をほぼ毎日実施したことで文章執筆に必要な“思考回路”が鍛え上げられたのだと思っている。
先に述べた通り、メンタル不調の経験を機に、私は手で書くことを続けつつ、仕事の合間を縫って、瞑想やヨガ、あるいはビジネス書に書かれているメンタルトレーニング手法を探究した。30代の私的な時間はほぼ全て、メンタルトレーニングに類する手法の調査と試行に費やしたと言っていい。
その結果、瞑想も有効だと分かり、30代に突入した頃から、短時間だがほぼ毎日取り組んでいる。10年ほど前、瞑想は宗教と同一視され、「なんだか怪しい」と避ける人も少なくなかった。その瞑想がここまで一般に知られ、ビジネス誌などで特集記事が組まれるようになった。世の中の変化に素直に驚いている。
そんな中、私はここ数年、興味深い変化を感じ取っている。心理学の専門家やビジネスコーチングの専門家たちが、頭の中に浮かんでくる言葉を書きつける効果を学術的な検証結果を交えて主張し始めていることだ。
「手で書く」「手で描く」ことを推奨する専門家にインタビューをしたので、次回は、専門家の意見や取り組みを紹介したい。
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