イヤホンが音楽を聴くための道具から、超小型コンピューターに進化し始めた。複数のセンサーを駆使してスマホを操り、装着している人物を認証して決済にも使う。同時通訳の実現も間近。イヤホン無しでは生きられない世界も現実味を帯びてきた。
(日経ビジネス2018年3月26日号より転載)
スマートイヤホンが実現するサービス
●各社のスマートイヤホンが搭載する機能
(写真=スタジオキャスパー)
「この曲はもう飽きたな。次の曲にしよう」。スマートフォンで音楽を聴きながら、首を右にさっと振る。すると、要望通り次の曲が再生された──。ソニーモバイルコミュニケーションズのイヤホン「Xperia Ear(エクスペリア イヤー)」を装着すれば、「声」と「首の動き」を使ってスマホを操作できるようになる。
指で簡単に操れることでスマホは爆発的に普及した。だが「手が塞がる」「視野が狭くなる」といったデメリットもあり、「歩きスマホ」は社会問題となった。そこで脚光を浴びているのが、様々なセンサーを内蔵した「スマートイヤホン」だ。
Xperia Earのイメージは、耳に入れて持ち歩ける「AIスピーカー」だ。価格は約2万円と、一般的なイヤホンと比べてかなり高いが、これまでにない機能を数多く備えている。
イヤホンを耳に装着すると、スマホと連動して最新ニュースや天気を読み上げる。ショートメッセージやLINEの読み上げにも対応し、声で文面を入力してそのまま返信することもできる。「渋谷駅まで行きたい」と音声で指示すれば、スマホがルートを探して、音声で行き方を案内してくれる。
こうした一連の操作で、スマホの画面を見たり指でさわったりする必要はほとんどない。米アマゾン・ドット・コムや米グーグルが投入したAIスピーカーの機能を、スマホと連携しながら耳元で実現している。
イヤホンを使い異言語間で会話
簡単な操作なら声すらいらない。首を縦に振ると「はい」、横に振ると「いいえ」の意味。電話がかかってきたら、うなずくだけで応答できる。音楽再生中に首を右に振れば、次の曲に進むこともできる。Xperia Earは加速度センサーやジャイロセンサーを内蔵し、首の傾きや動きをリアルタイムで検知しているからだ。
「日常生活でも『はい』と返事する代わりに、うなずくことがある。首の動きで操作するのは、声よりも自然かもしれない」(ソニーモバイルのスマートプロダクト商品企画の青山龍氏)
ソニーモバイルコミュニケーションズ●2月に発表した「Xperia Ear Duo」
装着する部分を空洞に加工し、耳を塞がずに音楽を楽しめるように工夫した
同社は2月、スペイン・バルセロナで開かれた世界最大のモバイル機器展示会で、最新機種「Xperia Ear Duo」を発表した。特徴は、「スマホではなくイヤホンに搭載するCPU(中央演算処理装置)でセンサーなどの情報を処理する」(ソフトウエア開発担当の廣瀬洋二氏)こと。イヤホンは超小型の「コンピューター」へと進化しつつあるわけだ。
“賢く”進化したイヤホンは、スマホの操作手法だけでなく、人々のコミュニケーションのあり方すら変える潜在力を秘めている。
背景にあるのが、省電力技術の進展だ。スマートイヤホンの多くは、有線ではなく無線でスマホと接続するため、独自電源が必要になる。音声や情報をやり取りする際に電力を消費するが、大容量電池を搭載すると重くなり、イヤホン自体の使い勝手が悪くなる。「Bluetooth Low Energy」など低消費電力の無線規格が普及したことが、新技術に道を開いた。
ここに商機を見いだしたのはソニーモバイルだけではない。国内外の様々な企業がイヤホンの機能開発に乗り出している。
LINEと韓国ネイバーが狙うのは「同時通訳」の実現だ。相手が話した言葉を瞬時に自動翻訳し、イヤホンからは別の言語の音声が聞こえるといった仕組みだ。ネイバーの翻訳システム「Naver Papago翻訳」をイヤホンに搭載できるよう開発を加速。2018年内に、韓国で発売する予定だという。イヤホンのみで同時通訳が可能になれば、相手の顔を見たまま話すことができ、より自然なコミュニケーションがとれる。
NEC●NECのイヤホン(試作品)が搭載する主なセンサー
スマートイヤホンが扱うのは、音に関する情報だけではない。NECはGPS(全地球測位システム)や地磁気などのデータをイヤホンで分析して現在地を特定し、道案内などに活用する計画に乗り出した。カギを握るのが音響版の「AR(拡張現実)」技術である。
人間の聴覚は、極めて高い「補正機能」を持っている。目を閉じていてもどの方向から足音が近づいてくるかが分かり、体の向きを変えても同じ場所から音が聞こえてくるように感じるのは、脳が様々な情報を組み合わせて分析しているからだ。この仕組みをイヤホンだけで再現するのがNECの狙いだ。
左右のイヤホンから出る音量を変えるだけでなく、両耳の鼓膜を震わすタイミング、高音や低音の減衰具合などを細かく制御。それに位置情報を加えることで、イヤホンを装着した人物が歩き回っても、特定の位置から音が出ているかのように「人間の脳を誤解させる」と、新事業推進本部ヒアラブルグループの古谷聡氏は説明する。
想定しているのは、美術館などでの展示説明だ。左右どちらを向いても、正面の絵画が語りかけるような演出ができ、音源からの遠近感も工夫できる。トイレを探している人に対して「右側を向いてください」と、直感的に分かりやすく案内することもできる。18年度中の実用化を目指すという。
さらに注力するのが、イヤホンを装着している個人を特定する技術だ。NECは耳の構造が一人ひとり異なることに注目し、イヤホンを使って個人を認証する取り組みを進めている。
個人で異なる耳のつくりを認証に生かす
●NECの耳認証の仕組み
耳認証の仕組みはこうだ。まずイヤホン内蔵のスピーカーから音を流す。耳の穴から入った音は、外耳道を通って鼓膜を震わせる。その外耳道の内部で反響する音をイヤホン内蔵マイクで拾い、分析する。外耳道は立体的で複雑な構造をしており、そのサイズや形状は千差万別。反響音も人によって異なるため、個人を特定できる。
「耳の内部の構造は外部から見えないため、コピーは困難だ」と、NECデータサイエンス研究所の荒川隆行主任は指摘する。同社の調べでは、耳認証の精度は99.99%と他の生体認証に比べても高いという。
「顔パス」の次は「耳パス」に?
もう一つのメリットは、イヤホンを装着しているだけで認証が完了すること。指を読み取り装置にかざすなどの動作は不要だ。NECは2月、人間の耳には聴こえない「非可聴音」で個人を識別する技術を開発したと発表した。非可聴音なら利用者の意識を邪魔することなく、常時認証し続けられる。
耳認証の特徴を決済サービスに生かそうとしているのが、電通子会社の電通ライブだ。同社は17年11月、サッカースタジアムで観客にイヤホンを貸し出し、売店でビールを販売する実験を実施した。ビールとおつまみを買うと両手が塞がり、支払いに時間を要してしまう。将来は、「顔パス」どころか「耳パス」でクレジットカード情報を読み出し、決済するのも夢ではない。
老舗音響メーカーも負けてはいない。スマホの普及を追い風に「イヤホン市場は拡大している。高価でも良い製品を求める消費者も増えている」と、オンキヨー&パイオニアイノベーションズの足達徳光・商品企画部課長は話す。
同社は「HearThru(ヒアスルー)」という機能をイヤホンに搭載。この機能をオンにすることで、音楽などを聴いていても、電車内のアナウンスやクルマの接近音など特定の音が聴こえやすくなる。イヤホン装着時でも、周囲に注意を払える工夫をこらした。
イヤホンはもはや、音楽を聴くためだけの道具ではない。これまでとは逆に、装着することで注意力と判断力を高められる可能性すらある。一度使ったらスマホを手放せなくなるように、イヤホンなしでは生きられない時代が到来するかもしれない。
(白井 咲貴)
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