エイズ患者の症状を改善

 ゲノム編集は既に、臨床でも応用が始まっている。米国のバイオベンチャー企業、サンガモバイオサイエンシズは、ゲノム編集を使ってエイズの治療法を開発している。

 エイズは、ヒトの免疫機能の要となるT細胞にHIVウイルスが感染することで発症する。HIVは、T細胞の表面にある特種な突起を足がかりにして細胞内に侵入し、増殖することが分かっている。ゲノム編集で、この突起の生成に関与する遺伝子(CCR5)をノックアウトすれば、HIVが増えにくくなる。

 具体的には、エイズ患者の血液からT細胞を取り出し、体外(ex vivo)でCCR5遺伝子が働かないようにゲノムを編集する。その後、編集したT細胞を大量に培養して患者に戻せば、HIVに感染しにくいT細胞が体内で大半を占める状態を作り出せる。すると、HIVは患者の体内で大量に増殖できなくなる。

 サンガモは既に臨床試験(フェーズⅡ)に取り組んでおり、複数の患者で症状が改善したり、服薬を中止したりできるようになった。

 エイズは現在でも、ウイルスの増殖を抑える薬剤を飲めば症状の悪化を抑えられる。ただ、患者は薬を一生飲み続ける必要があり、めまいや下痢などの副作用にも苦しんでいる。ゲノム編集でHIVをコントロールできるようになれば、人類はエイズの克服に一歩近づいたことになる。サンガモは数年以内の実用化を目指している。

 ゲノム編集の医療応用は世界中で急ピッチで進んでいる。今年5月、記者は米ワシントンで開催された米遺伝子細胞治療学会(ASGCT)を取材した。ゲノム編集の演題は去年が30本程度だったのに対し、今年は100本以上に増えていた。全演題の1割以上を占めるほどで、シンポジウムによっては立ち見も出るほどの盛況ぶりだった。

 エイズ以外にも白血病や鎌形赤血球症などの治療に、ゲノム編集が使われ始めていることがASGCTで発表された。中でも記者が注目したのが、患者の体内(in vivo)で直接ゲノム編集を行う研究だ。

 患者から細胞を体外に取り出してゲノム編集するのに比べて、工程が煩雑でないこと。さらに体外に取り出せない細胞も遺伝子改変の対象にすることができる点で明らかにメリットがある。より広範な疾病に対し、より安価に治療法を提供できる可能性が高まる。

 ゲノム編集の医療応用で先頭を走るサンガモの幹部はASGCTで「今後はin vivoでのゲノム編集療法の開発に力を入れる」と表明していた。同社は既に、肝臓だけで治療用遺伝子を発現させる独自の技術を開発している。将来的には人工酵素を静脈に注射するだけで、肝臓のみで治療用遺伝子を働かせる治療法を考えているようだ。

食料の生産を革新する

 基礎研究と医療応用に加え、ゲノム編集は農業や畜産、そして水産分野の品種改良をも劇的に変え始めている。

 例えば、ゲノムの構造が複雑で、従来の遺伝子組み換え技術では改変が難しいとされてきたコムギ。中国の遺伝学・発生生物学研究所の研究チームは2014年、うどんこ病に関連する複数の遺伝子を同時に欠損させることで、うどんこ病にかかりにくいコムギの開発に成功したと発表した。