狼煙とモバイルは同じ? これからの情報社会とは

佐々木:情報環境の変化でいうと、ソーシャルメディアにシェアの機能がついて、同じ情報が繰り返し拡散されるようになりましたよね。そうなったのは、ここ5年くらいのこと。その変化にまだ全然人間の認知処理能力がついていけていないのではないか、と認知科学者の鈴木宏昭先生がおっしゃっていたんですよね。それはすごくおもしろい観点だなと。

鷲田:テレビでも、ワイドショーなどで繰り返し同じニュースをやることによる刷り込み効果はあったと思いますが、それがソーシャルメディアでさらに強化された、ということでしょうか。

佐々木:テレビ以前、以降で分けるのか。もしくは、ソーシャルメディアによるコピー・拡散が用意になったネットワーク化以前、以後で分けるのか。どこからが大きな変化とみなせるのかは、わかりません。

鷲田:博報堂の生活総合研究所の所長だった関沢英彦さんが、あるとき「囲炉裏と堀りごたつとテレビはそんなに変わらないと思う」と言ったんです。この言葉は僕がメディアや情報環境を考える時の原点になっています。「お茶の間」として考えれば、その3つは同じだということですよね。囲炉裏でグツグツ煮えてる鍋を見ているのと、テレビのバラエティ番組を見ているのは、同じフォーマットの上にあるものだと。だから、お茶の間がなくなったその先は、別の情報環境だと考えることができます。

佐々木:なるほど。

鷲田:そのとき僕は、モバイルについて研究し始めたときだったんです。それに対しては、「モバイルと狼煙はどう違うか考えたほうがいい」と。遠くに上がっている煙を見て何かが起こっていることを知るのと、手元の端末で遠くの人とコミュニケーションするのは、そんなに違わないという考え方です。それを敷衍(ふえん)すると、江戸時代の狂歌師の田原坊が、宮城県・松島の景色に感動して「松島や ああ松島や 松島や」と詠んだことと、女子高生がクリームたっぷりのパンケーキの写真をとって「まじやばい」とかってツイートするのは、同じようなことと言えるのではないか。あの俳句を書く短冊が、スマホの画面です(笑)。

佐々木:行動としてはそんなに変わらないかもしれませんが、それがネットワーク化されたということが決定的な違いではないでしょうか。ネットワーク化されて、情報発信の閾値が下がり、コピーが容易になったこともあいまって、情報過多が進んでいく。ただ、その先どうなるかはわかりません。100年後の人がその帰結について評価を下すということになるのでしょう。

(了)