「局所的に最適化」の行く先は…

鷲田前回、佐々木さんはウェブが登場した時代から比べると、だんだん投稿者のクリエイティビティが下がってきているのでは、と危惧されていましたよね。たしかに、インターネットやソーシャルメディアの発展によって、情報が氾濫することにより、クリエイティビティが失われていっている一面もあるのかもしれません。僕が先程出したような、ファッションの画一化などの現象を見ると、そんなふうに考えられなくもない。でも、日本でテレビ放送が始まった80年ほど前にも、「こんなものを皆が見るようになったら、クリエイティビティは失われる」と言われていたんじゃないかと思うんです。

佐々木:うーん、そうかもしれませんが、テレビとウェブサービスは違うと思うんですよね。フィルターバブルの件もそうなのですが、ウェブサービスはテレビに比べて、サービスの設計者が利用者の行動データをもとに、機能やユーザーインターフェースを素早く変更することが可能です。どんな情報がユーザーに提供されるかは、アルゴリズムによって決められている。そのアルゴリズムは、「もっと滞在時間を延ばしてほしい」「もっとクリックしてほしい」という、サービスの収益を上げるという観点で設計されています。逆に公共性や倫理の観点が抜け落ちやすい。僕はそこに危うさを感じているんです。

鷲田:儲けることが先に立って、社会的にこういう情報を広めたほうがいい、といった公序良俗の考えは抜けてしまっているのでは、ということですね。

佐々木:情報工学的な素養を持った人たちが、そのサービスを拡大させるために局所的に最適化を進めているのではないか、と思うんですよね。もちろん、サービスによって考え方は違っていて、スマートニュースでは、アプリを開いた時にかならずハードなニュースも並んだトップタブを表示するようになっています。そこには個人の嗜好にかかわらず「これを読んだほうがいい」と思われるコンテンツが出るようになっている。紙の新聞を代替する、というミッションをある程度意識されているのでしょう。でも、Facebookなどはそのあたりを強く考慮してはいないと感じるんです。2017年に入り、Facebookも自分たちを容れ物であるプラットフォームというよりも中身にまで責任を持つべきメディアである、という風に考え方を変え、事実に反すると思われるニュースの伝播を問題視するようにはなりましたが、そもそもフィルターバブルのような問題が存在していることも多くの人は知らない。

鷲田:Facebookはよりその傾向が強いかもしれませんね。

佐々木:アルゴリズムに頼る程度は低いですけれどTwitterでもそうなんですよ。『ツイッターの心理学』で分析をしましたが、公式リツイートを生み出しやすい感情というのは、「おもしろい」が抜きん出ていて、ついで「楽しい」「好きだ」「すてきだ」があがります。そうやって、良質なあるいは触れるべき情報よりも、おもしろい情報ばかりが流通する世の中というのは、どうなのかなと。僕はもともとペシミストなんですが、これからの情報社会に対しては悲観的になってしまっているんですよね。

鷲田:うーん、佐々木さんの懸念はもっともだと思います。でも、『ツイッターの心理学』を読んだときに感じたのですが、人間のクリエイティビティや良心というのものは、危うい橋を渡り続けるんだと思うんですよ。失われそうになったら、何かしらのカウンターが現れて復活する。そういうことを繰り返しているのではないか、と僕は考えています。

(次回へ続く)