ツイートは単なる「言いっ放し」ではない

鷲田:『Twitter カンバセーション・マーケティング』に出てくるユニバーサル・スタジオ・ジャパンのマーケティング担当の方も「FacebookやLINEは相手の顔を見ながらしゃべるイメージがありますが、Twitterはまわりになんとなく人がいる環境で、斜め45度を見ながらつぶやくイメージ。注目されたいけれどかまわれたくない、という微妙な感覚を持つ日本の若者に受け入れられている」とおっしゃっています。

佐々木:そう、でも少しは注目されたいんですよね。『ツイッターの心理学』では、人がなぜツイートを投稿するのか、人はなぜリツイート(ツイートを自分のフォロワーへ転送)するのか、について分析しています。その結果、6人に1人が明確な理由や意図がなくツイートしており、多くの種類のツイートは読み手を特に想定せずに投稿されている、ということがわかりました。

鷲田:ザイールの農耕民の「ボナンゴ」という発話形式との類似が書かれていましたね。大声で誰に話すでもなく話す、「投擲(とうてき)的発話」であると。

佐々木:発話者の近くを通るときも、ボナンゴには反応を示さないのが適切な態度であるように振る舞うそうです。ボナンゴについて記した人類学者の木村大治さんは、その態度を「儀礼的無関心」という概念になぞらえて、Twitterとの類似性を指摘しています。でも、ツイートがボナンゴなのかというと、そうは言い切れないというのが僕の見解です。というのも、テキストマイニングをした結果、ツイート投稿の理由や意図として「~して欲しい」という他者への期待を表す語が多くみられたからです。また、ツイートにリプライを「週に1回程度」以上する人は38.6%、非公式リツイートを含めたリツイートを「週に数回」以上する人は27.1%いました。さらに分析対象としたツイート数の26.1%はメンション(他のアカウントに言及しているツイート)でした。ここから、本当に利用者がボナンゴに対するような「儀礼的無関心」を貫いているのかは疑問だと考えています。

鷲田:人からの反応を期待したり、自分が反応したりしている割合が多い、ということですね。

佐々木:リツイートされたり、「いいね!」されたりすると、通知が来ますからね。ツイッターは、そこそこの頻度で、自分が書いたものに反応をもらえるツール。反応があることで、満足感を得ているのだと考えられます。隅々まで読んだり、すべてに返信したりしなくてもいい。でも、ちょっとした反応は返ってくる。それが、気遣いしすぎる日本の一般的な若者の心性にフィットしたんじゃないでしょうか。ただ、他の国のツイッターの利用についてここまで分析したわけではないので、日本に特有なのかどうかはわかりません。

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