ボストンコンサルティンググループ(BCG)の日本代表を務めた経験を持つ、早稲田大学ビジネススクールの内田和成教授。製造業として過去最大の赤字を記録した日立製作所を立て直した川村隆相談役。企業経営やガバナンスのあり方に詳しい両者の特別対談を2回に分けてお届けする。日本企業がどう変革していくべきか、熱い議論が繰り広げられた。(構成:宗像 誠之)
早稲田大学ビジネススクールの内田和成教授(右)と日立製作所の川村隆相談役(写真:陶山勉、以下同)
早稲田大学ビジネススクールの内田和成教授(右)と日立製作所の川村隆相談役(写真:陶山勉、以下同)

内田和成氏(以下、内田):川村さんは最近、『100年企業の改革 私と日立』という本を出版されました。本を読んで私自身が感じたことを中心に、いくつかお話しさせていただこうと考えています。

 まず1つ目は、沈みかけていた日立製作所グループを、川村さんが辣腕を振るって改革をされた話から聞きたいのです。私の問題意識としては、川村さんが日立を改革した事例は、似たような問題を抱えている他の日本企業にも処方箋になり得るのかどうかというところなんですよね。

川村隆氏(以下、川村):ありがとうございます。日本の高度成長期から振り返ってお話しさせていただくと、あの頃は政府が所得倍増計画を出したり、日本のインフラも未整備でたくさんつくらなければならない時期でした。新幹線の整備など、日本の国内に需要がいろいろあって、その需要の高まりに乗じて日立製作所も含め、多くの日本企業が成長したわけです。そのなかで海外の仕事も一緒にくっついて出てくるような感じでした。

 この流れが続いていた1980年代までは本当に良かったんですけど、1990年代初頭にバブル経済が弾けた。その後はかなり問題があったと思います。それは本の中でも書いたんですけれども、バブル後に20年間も経済が低迷したというのは、ちょっと長すぎたかなと思っています。

 やはり日立も含めた日本企業が全体的に、その後の努力が足りなかったところが相当あると思うんですよ。その頃、国内が伸びないからということで、頑張って海外に布石を打ち始めていたのはトヨタ自動車くらい。だからトヨタは今も、日本の会社の中ではダントツに業績が良い。それ以外の日本企業はやっぱり、日本の中で横にらみをしながら右往左往していたという感じです。

 我々日立は、2009年以降はだいぶ改革をしましたけど、ああいう改革はもっと早く、1990年代でもできたなと思っています。今にして思うと、ということですが…。

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