離れた場所にいる医師と患者を情報通信機器でつなぎ、遠隔で診療する。技術の発達で「遠隔診療」の環境が整い、先進的な医師が導入し始めた。だが、課題も山積しており、遠隔診療の可能性を広げる工夫が必要だ。
遠隔診療中の黒木春郎・外房こどもクリニック院長(左)。スマホ画面越しに会話する金子俊之医師は、リウマチ専門医(右)(写真=右:都築 雅人)
「遠隔診療」と聞いてどんなイメージが浮かぶだろうか。過疎の村や離島など、医師がいない地域向けの医療を思い浮かべる人も多いだろう。
これは間違いではない。1997年、厚生省(現厚生労働省)が発表した「遠隔診療通知」の留意事項に直接の対面診療が困難な場合として「離島や僻地」を例示していた。「遠隔診療=過疎地向け」というイメージはここに由来する。
さらに遠隔診療の対象は、糖尿病やぜんそくなど「9つの疾患の在宅患者」と例示した。そのため都市から離れた無医村の限られた患者にだけ、遠隔診療が適用されるという認識が広がってしまった。
だが、この20年の技術発達が状況を大きく変えた。スマートフォンやタブレットなど情報通信機器の普及により、医師と患者を高精細のテレビ電話でつなぐのも容易になった。また厚労省は2015年8月、従来の例示を必要以上に狭く解釈する必要はないと、各都道府県知事宛てに通達を出した。多くの医療従事者や医療関連サービスを手掛ける企業は、通達を「遠隔診療の事実上解禁」と解釈している。
2016年に入ると、複数のITベンチャーが遠隔診療向けのアプリを発表した。こうしたシステムを活用し、遠隔診療に先駆的に取り組む医療機関を取材した。その結果、その課題と可能性が浮き彫りとなった。
房総半島東部に位置する千葉県いすみ市の「外房こどもクリニック」は、2016年6月に遠隔診療を始めた。千葉県の10万人当たりの小児科医の数は61.8人で、東京の121.0人のおよそ半分。クリニックの周囲にも小児科はなく、県の小児専門病院から50km以上も離れている。そのため複数の小児科医が在籍する外房こどもクリニックには、30km離れた市町村から子供を連れてくる親も珍しくない。
こうした人たちが遠隔診療に適しているようにも見えるが、利用者は近隣の住民が多い。例えばクルマで10分ほどの距離に住むAさん一家。ぜんそくの1歳児に問診を受けさせるため、Aさんは乳幼児3人を連れて行かなければならず負担が大きかった。やはり近くに住む10代の患者は、体が不自由なため通院のたびにヘルパーの介助が必要だった。
外房こどもクリニックの黒木春郎院長は、「『遠隔』という言葉に違和感を覚えている」と話す。実際、同クリニックでは「オンライン通院」と呼び、近隣住民に対しても遠隔診療を推奨している。
遠隔診療は原則、「初診は対面」となっている。それでも2回目以降は通院の必要がないので、患者のメリットは大きい。
遠隔診療によって潜在的な患者を掘り起こすこともできる。典型例は「新六本木クリニック(東京・港)」だ。同クリニックは遠隔診療の事実上の解禁を受けて、来田誠院長が2016年1月の開業後すぐに導入した。精神科診療に加えて、保険外診療の禁煙外来が忙しい会社員に人気だ。禁煙プログラムのように継続性が重要なものほど、通院のハードルを下げるメリットは大きい。
それぞれの事例から分かるのは、病院が近くにあっても様々な事情から通院しにくい人は少なくないということだ。こうした個別の事情に加えて、日本では「医師不足・偏在」が長年、社会問題になっていた。
“解禁”となった遠隔診療の概要
遠隔診療とは、スマートフォンなどのテレビ電話機能などを使って、医師と患者が離れた場所にいても可能な診療のこと。患者は専用アプリをインストールして、クレジットカードを登録する。大半の病院で診察時間は対面診療と同じ。処方箋は患者が指定する薬局などに電子メールで送る。
- 初診では対面の診察が必要
- 対面診療と比べて診療報酬の加算が少ない
- 対象は病状が安定した患者(以下は例)
内科:高血圧、痛風、糖尿病、花粉症
皮膚科:水虫、ニキビ
整形外科:骨粗しょう症、関節痛
精神科:うつ病、統合失調症
その他:禁煙外来、男性型脱毛症、勃起不全(ED)
埼玉の医師は京都の半数
経済協力開発機構(OECD)加盟国の人口1000人当たりの平均医師数は2.8人。日本の2.3人はオーストラリア(5.0人)の半分に満たない。
絶対数の不足だけではなく、地域による偏りも目立つ(下の表参照)。埼玉県は、人口10万人当たりの医師数が全国トップの京都府のほぼ半分。麻酔科医の数は増えてきたのに、産婦人科や外科医の数は横ばいといった診療科別の偏在も生じている。
遠隔診療は「医療過疎」の解決につながる
●人口10万人当たりの医師数
出所:厚生労働省
医師の偏在は難病の患者にとってより深刻だ。難病の専門医の多くは都市部の大学病院に勤めている。「とうきょうスカイツリー駅前内科(東京・墨田)」の金子俊之院長はかつて、都内の大学病院でリウマチ・膠原病診療に携わってきた。当時、地方から通院する患者もいたために遠隔診療の必要性を痛感。独立後は、積極的に取り組むようになった。
だが、現状の遠隔診療の枠組みに限界も感じている。例えば、血液検査が必要な場合には対応できない。患者が最寄りの病院で採血し、その病院が血液データを都市部の病院に送る仕組みが確立していないからだ。
診療以外でも不満はある。「医療事務が基本的に紙とハンコの世界であるため手を焼いている」(金子院長)。例えば、指定難病の医療費補助を受けるために必要な難病手帳への記入だ。遠隔で診察すると、病院側が手帳を受け取り、記入して返却するという作業を別途しなければならない。
とうきょうスカイツリー駅前内科では事務員が特製のシールを用意し、それを患者に郵送する。受け取った患者はシールを手帳に貼り付ける。これを病院側の記入の代わりにしている。だが、難病手帳は発行する自治体によってサイズや記入方式が異なる。現状、患者ごとにシールを用意せざるを得ない。
課題は1つずつ解決するしかないが、参考になる制度がある。数年前から一部の企業は薬局で健康チェックサービスを提供してきた。利用者は自ら店舗で血液を採取し、血液検査の結果を後日受け取るというものだ。
サービス内の「簡易キットによる自己採血」は医師法違反と取り沙汰されたこともあったが、産業競争力強化法で定めた「グレーゾーン解消制度」によって「各関連法に抵触しない」という判断が下りた。遠隔診療においても課題を集約し、早期に解決することが必要になる。
遠隔診療に潜在的なニーズがあるのは間違いないが、医師側にとって導入のインセンティブ(動機)は働きにくい。なぜならば、診療報酬の点数が対面に比べて低いからだ。
外房こどもクリニックや新六本木クリニックはITベンチャー、メドレー(東京・港)が開発した遠隔診療アプリ「クリニクス」を活用している。医療機関が同社に支払うシステム利用料は月額3万円で、予約から問診、診療、決済まですべてオンラインで完結する。
ポイントは、遠隔診療の際に予約料を徴収できること。外房こどもクリニックの場合、予約手数料として400円を設定した。病院に出かける手間、交通費、待ち時間から解放されるメリットを考えれば、妥当な水準と言っていいだろう。
遠隔診療に取り組んでいる医師たちは「病院の経営を考えると対面診療だけの方が有利」と声をそろえる。そもそも、外房こどもクリニックやとうきょうスカイツリー駅前内科は、来院患者だけでも十分混み合っている。現状は、遠隔診療に意義を感じた医師によって何とか成り立っている。
限界集落での導入に課題
それでも上記の3つのクリニックは遠隔診療を導入する上で環境に恵まれていると言える。とうきょうスカイツリー駅前内科の膠原病患者の多くは若い女性。外房こどもクリニックの患者の親も、多くは20~40代の子育て世代だ。スマホのアプリをダウンロードして、クレジットカード情報を入力することにさほど抵抗がない。新六本木クリニックに至っては土地柄、IT企業の社員が多い。
一方、限界集落のような高齢化が進む地域ではスマホを持たない患者も珍しくない。IT企業のポート(東京・新宿)は、2016年6月から宮崎県日南市と遠隔診療の実証実験を続けている。対象地域は厚労省が定める無医地区。従来は市中心部から医師が巡回していたが、病院の負担が大きかったという。
実験に参加したある高齢の女性は、病院に通うのにバス3本を乗り継ぎ2時間もかかっていた。遠隔診療を希望する患者は、公民館などに設置されたタブレット端末越しに医師の問診を受ける。タブレットの操作などは看護師や事務職員が助ける。ポートの春日博文社長は「過疎地こそ遠隔診療が役立つ。実証実験で抽出した課題を、今後の改善に生かしたい」と意気込む。
患者と医師を結ぶ遠隔診療以外でもスマホを活用した医師偏在の解消に向けたサービスが生まれている。
エクスメディオの「ヒポクラ」は、「DtoD」と呼ばれる医師同士を結び付けるサービスだ
エクスメディオ(高知市)が運営する遠隔医療アプリ「ヒポクラ」は、「DtoD」と呼ばれる医師同士をつなげる仕組みだ。皮膚科や眼科の領域について質問すると、両科を専門とする医師が平均30分以内で回答する。
事業の着想は、医師である物部真一郎社長の個人的な体験から得ている。精神科病棟で働いていた時、患者が目や皮膚の病気になったものの、院内に専門医がおらず苦労した。皮膚科や眼科の疾患の場合、スマホの画面を見れば症状を判断できる場合が多いため、ヒポクラを開発した。
安倍首相は推進派
安倍晋三首相は昨年11月の未来投資会議で遠隔診療について言及。医療関係者は診療報酬改定への期待を寄せている(写真=朝日新聞社)
遠隔診療の事実上の解禁から1年半がたち、徐々にではあるが環境が整ってきた。2017年が「遠隔診療元年」になるかどうかは、2つの課題が避けて通れない。
一つは診療報酬の問題だ。昨年11月、安倍晋三首相は未来投資会議において「ビッグデータや人工知能を最大限活用し、予防・健康管理や遠隔診療を進める」と発言している。2018年度の改定で対面診療と遠隔診療を同等に扱うことが決まれば、導入する医師は確実に増える。
もう一つは、IoTやウエアラブル機器をいかに遠隔診療と組み合わせていくかだ。現在、体に装着してあらゆるデータを測定・送信できる技術の開発が進んでいる。例えば、東京医科歯科大学では、唾液から血糖値を測るマウスピース、涙からグルコースの含有量を測るコンタクトレンズを研究中だ。
こうした新技術は遠隔診療の幅も広げていく。そのためには「遠隔診療では何をどこまでやってよいのか」というガイドラインの整備を早急に進めなければならない。
健康支援サービスの裾野は広い
医師による遠隔診療以上に、スマホなどを使った健康支援サービスは拡大しそうだ。調査会社のシード・プランニングは、2020年度に関連の市場規模は現状の倍以上である114億円に成長すると予測する。遠隔での保険診療と自由診療を足した見込みが62億円(下のグラフ)。食事や運動の指導といった医療の一歩手前にあるサービスの方が裾野は広い。
3年で3倍になる可能性も
●遠隔診療の市場規模予測
出所:シード・プランニング
下のグラフの通り、若い世代ほど運動不足が目立つ。潜在的な市場を狙って、数年前から多数の健康管理アプリが登場してきた。その大半は個人向けサービスであるため、開発企業は利用者の獲得で火花を散らす。そんな中でBtoB市場の開拓に力を入れてきたのが、FiNC(東京・千代田)だ。
現役世代は運動不足
●運動習慣のある人の年齢別比率
注:運動習慣とは、「1回30分以上の運動を週2回以上実施し、1年以上継続」を指す
出典:厚生労働省「2015年国民健康・栄養調査」
法人顧客は大企業の人事部や健康保険組合だ。企業側の狙いは従業員の生産性向上や離職率低下などにある。三井物産健康保険組合では35歳以上の組合員8400人がFiNCの健康増進プログラムを利用できる。遠隔診療と異なり、健康管理サービスでは制約が少ないため新技術も取り込みやすい。例えば、FiNCのアプリでは利用者からの健康相談に対してAI(人工知能)が回答する機能もある。
明治安田生命保険は、FiNCとともに健康関連の新サービス開発に向けた共同実験を始めている。健康保険組合が開催する生活習慣改善キャンペーン参加者に歩数や睡眠時間を測れるウエアラブル端末を配布。アプリに蓄積されたデータの解析から生活習慣改善につながる事象を見つけるという。明治安田の薄井大輔・企画部イノベーション推進準備室主席スタッフは「予防医療分野の新規事業に結び付けたい」と語る。
(日経ビジネス2017年1月30日号より転載)
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