需給によって変わるモノやサービスの価格決定に、ビッグデータが使われ始めた。客観的なデータを正しく分析すれば、高くても顧客が納得する価格がはじき出せる。IT専門誌「日経ビッグデータ」から、国内外の最新事例を紹介する。
「福岡ヤフオク!ドーム」では2016年シーズンから、需要に応じて観戦チケットの値段が動的に変わる仕組みを導入している(写真=©SoftBank HAWKS)
「あ、高い(温かい)鍋」──。鍋が恋しくなる季節、今年はこんなダジャレが流行した。秋以降、野菜の値段が軒並み高くなったからだ。夏場に複数上陸した台風と日照不足の影響が重なり、農作物の収穫量が大幅に減った。供給より需要が多ければ、モノの値段が上がることを消費者は改めて実感した。
ただ、世の中には価格が変わりにくい商品もある。例えば、プロ野球の観戦チケットはシーズン開始前に価格を決めてしまうのが一般的だ。スタンド席や外野席など、座席の場所(席種)に応じて価格帯を変えて値付けする。この価格が、シーズンを通じて全試合に適用される。
コンサートなどのチケットも価格が固定されている。S席やA席など大まかに分類されてはいるものの、S席の中で前方と後方では価値が異なる。
チケット価格が毎日、変わる
チケットの転売問題に揺れる音楽業界でもダイナミックプライシングに注目が集まっている
価格の硬直性は経営の重しとなる。イベントの日程が迫ってチケットが売れ残っていたとしても、価格を下げて販売するのが難しいからだ。チケットの価格は印刷したり、情報誌に掲載したりするので、その時点で価格が決まってしまう。買ったタイミングで価格が異なれば、「損をした」と文句を言う客も出てくるかもしれない。
この状況に一石を投じたのが、ヤフーと福岡ソフトバンクホークスだ。2016年シーズンに「福岡ヤフオク!ドーム」で開催される試合の観戦チケットの一部を対象に、AI(人工知能)を活用した価格の最適化に取り組んだ。
「同じクラスの席でもそれぞれの価値は異なるはず。いい席を評価して購入していただけないかと考えた」(ヤフーチケット本部チケット推進部の稲葉健二部長)。
2016年シーズンは列ごとに評定して、異なる価格を付けることにした。その判断の根拠となるのは、(1)過去にその席がヤフオクドームの5万2000席の中で何番目に買われたかの実績値(2)現在の対象チケットの売れ行き(3)天候やホークスの順位、相手チーム、開始時刻や曜日──。これらのビッグデータを活用した(図1)。
需給に応じて価格を柔軟に変える
●図1:観戦チケットの価格を決める要素(左図)
●列ごとに異なる価格(右図)
(画像提供=ヤフー)
価格は100円単位で上下させた。例えば、9000円のチケットが列によって9900円で販売されたり、試合日が近づくにつれて値段が柔軟に変わったりするように設定した(図2)。需要が低ければ、価格が下がる場合もある。チケットは、ヤフーが運営する電子チケットサービス「PassMarket(パスマーケット)」を通じて販売した。
買ったタイミングで500円以上の差
●図2:購入時期で変わるチケット価格
2016年シーズンは100席で試験的に取り組んだため、収益への寄与は限定的だった。来シーズンは「対象とする席と種類を増やしたい」(稲葉部長)。
参考とするデータとしては上記の3つのほか、相手チームの成績や、選手の「2000本安打」などのイベント、登板予定のピッチャー、残り試合数なども来シーズンは入る可能性がある。観戦したいと思う人の数に合わせて、チケットの価格が動的に変化する仕組みを構築しようとしている。
リクルート、相場価格を指数化
ITを活用して、適正価格の精度を上げる技術を「ダイナミックプライシング」と呼ぶ。顧客の購入意欲に応じて商品・サービスの価格と割当量を変えることで収益の最大化を図る。
価格を1つに固定してしまうと、販売数はおのずと上限が形成される。潜在的な顧客の中でも、高くても買う層と安くないと買わない層がいる。価格をダイナミックに変化させることで、こうした層の購入意欲を高め、全体の収入を増やす(図3)。
複数価格の設定で収益を最大化
●図3:ダイナミックプライシングの概念
このダイナミックプライシングにとりわけ関心を示しているのが、スポーツやエンターテインメント業界だ。興行主としては人気に応じて適切な収益を確保したいと考えるのは当然だ。消費者も人気のチケットが入手しやすくなればメリットがある。
戦略的な値付けに乗り出す各社に共通するのが、外部データの活用による精度向上への期待だ。
例えば、リクルート住まい研究所は住宅情報誌に掲載した価格などの情報と販売期間、場所や駅からの距離などの物件情報などを基に、2000年代初頭に住宅価格指数を開発。住宅関連企業や金融機関などに提供してきた。当時開発を担当したリクルートホールディングスR&D本部RIT推進室の清水千弘フェローは「購入者の実態を反映したよりリアルタイムな指数を目指した。家を購入して後悔する人をなくしたいという思いがあった」と説明する。
リクルートは住宅指数を無償で公開するほか、購入者アンケートの結果など蓄積した情報を分析して住宅情報誌やサイトへの広告を出稿する企業には基本的に無料で提供している。
現在は、「事業者がマンション向けに購入した土地に関連し、どのような条件の物件を建設すればどのような収益になるのかシミュレーションできる仕組みを検討している」(清水フェロー)という。
エアビーは価格を自動決定
エアビーアンドビーでは部屋を貸し出すホストが「スマートプライシング」を利用して価格を決める
売り手と買い手の価値に対するギャップを埋める橋渡し役として、客観的なデータを活用する動きもある。先行するのが米Airbnb(エアビーアンドビー、以下エアビー)だ。一般人が自宅の一部を宿泊者に貸し出す民泊サービスでも、ビッグデータが生かされている。
エアビーの宿泊料金は、日々大きく変動している。宿泊料金を決めているのは、部屋を貸し出している「ホスト」ではない。エアビーが機械学習によって生成したアルゴリズムが、都市の宿泊需要動向や物件ごとの「価格弾力性」を予測し、売り上げが最大になる宿泊料金を1日ごとに決定している。
エアビーは部屋を貸し出すホストに対して、宿泊料金設定を支援するツール「Smart Pricing(スマートプライシング)」を提供している。ホストは宿泊料の上限と下限、受け入れたい宿泊客の数という3点をシステムに入力するだけでいい。アルゴリズムが適切な宿泊料を設定する。
「オーナーにとって宿泊料の設定は非常に難しい作業だった。様々な情報を集めて、毎日価格を更新し続ける必要があるからだ。そのような苦労を取り除きながら、オーナーの収入を最大化するツールの提供を考えた」
スマートプライシングのプロダクトマネジャーであるカーラ・ペリカーノ氏はそう説明する。
アルゴリズムは、(1)都市における宿泊需要(2)物件が存在する場所(3)物件の内容や価格弾力性──の3つから、宿泊料金を決定する。価格弾力性とは、宿泊料金の上下に伴って需要が増減する変動幅の大きさのことを言う。
アルゴリズムが1日単位の宿泊需要や価格弾力性の予測に使用するデータは数百種類に及ぶ。そして予測アルゴリズムは全て、機械学習によって開発した。学習データの件数は数十億件以上で、予測モデルの「特徴」の数も数十万個に達するという。
都市におけるイベントの有無なども、アルゴリズムが直近の宿泊予約動向から予測。人間がイベントスケジュールを入力するといったことはしない。
需要よりも価格弾力性が重要
エアビーが米サンフランシスコで設定している街区。通りやエリアごとに細かく価格帯を変えて、最適な値付けに利用する
同社のデータサイエンティストであるバー・イフラー氏は、「宿泊の料金を決定する上では、需要の動向よりも、物件の価格弾力性の方が重要だ」と説明する。
例えば、宿泊需要がスポーツ大会などのイベントに起因する場合、宿泊料金を上げても需要は減りにくい傾向がある。宿泊客の側に「どうしてもその都市で宿泊したい」という強い動機があるからだ。
一方、宿泊需要がホリデーシーズンの宿泊などレジャー目的である場合は、宿泊料金を上げると需要は急減する。宿泊客は他の物件や都市を選んでしまうためだ。
エアビーが管理する数百万件の物件それぞれの価格弾力性も、これまでの宿泊実績データを基に予測している。物件の価格弾力性は、駅やバス停までの距離やその物件が立地する都市のブロック(街区)、これまでの宿泊客による物件のレビューやその内容によって変動する。
例えば、宿泊客によるレビューの文章が全くない物件よりも、1本でもレビューがある物件の方が、需要の高まりに応じて宿泊料金を引き上げる「強気」の価格弾力性が設定される。レビューの本数そのものは宿泊料金に影響しないが、「三つ星」の評価が多い方が宿泊料金は強気になる。
米国では物件の住所も宿泊料金に大きな影響を与える。サンフランシスコのような都市圏では、ストリートが1つ違うだけで、街の雰囲気や治安が大きく変わってしまうからだ。
スマートプライシングは、オーナーの営業方針も考慮して宿泊価格を決める。エアビーのオーナーは、あくまでも一般人だ。部屋の稼働率を最大化したいオーナーがいる一方で、本業に影響しないよう宿泊客の受け入れをあまり増やしたくないオーナーもいる。
そこでスマートプライシングは、稼働率を上げたいオーナーの場合はアグレッシブな値付けを、そうではないオーナーには低い稼働率のままで収入を増やせるような値付けを推奨する。
ビッグデータはAIで分析
スマートプライシングのシニア・ソフトウエア・エンジニアであるチャン・リー氏は「予測に人間が関与することはほぼない」と語る。人間の関与を排除することで、エアビーが管理する数百万件の価格弾力性を1日単位で予測することが可能になった。
エアビーは機械学習のシステムを外部に公開している。2015年5月に、自社で開発した「Aerosolve(エアロソルブ)」をオープンソースソフトウエア(OSS)として公開した。スマートプライシングの予測アルゴリズムの開発にも使用した。スマートプライシングは、エアビーの強みがそのビジネスモデルだけではなく、技術力にあることも示している証拠と言えそうだ。
価格の最適化は運輸や不動産など一部の業界では長年取り組まれてきたが、他の多くの業界ではほとんど進んでいないのが実態だ。原因は様々あるが、その一つは増え続けるデータに対処しきれていないことにある。
価格を決める要素としては天候や日程、ライバル商品との価格差などさまざまある。IoT(モノのインターネット)の活用が広がれば、今後データは爆発的に増えるのは間違いない。膨れ上がるデータに対応する1つの解が、AIの活用となる。利益を最大化させる、最適な値付けは古くて新しい経営課題と言える。
(日経ビジネス2016年12月5日号より転載)
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