2020年の東京五輪開催を控え、テロ対策強化が重要課題となっている。特に競技会場の入り口や、駅、空港など人の出入りが多い場所は重点的なチェックが必要だ。高精度かつ高処理能力の不審物探知システムの開発が急がれている。
日立製作所が開発した爆発物探知装置。利用者は足を止めることなく、不審物検査とチケットやIDカードのチェックを受けることができる(写真=背景:アフロ)
1日当たり92万人。東京都が試算した五輪開催期間中に予想される来場者の数だ。会期は17日間の予定なので、延べ1600万人弱。単純計算すると、東京都の人口(約1360万人)を超す人数が観戦に訪れる。
当然、会期中の安全確保は重要課題。「政府の総力を挙げてテロの未然防止に強力に取り組む」。安倍晋三首相も今国会の所信表明の際に力強く語った。五輪開幕まであと4年。東京に押し寄せる人波の中から危険人物を探し出すシステム作りが、日本に与えられたミッションだ。
しかし大会開催中は競技会場や駅、空港などで、一人ひとりの持ち物チェックに時間をかけ過ぎては、大会運営や交通機関に混乱を引き起こすリスクが生じる。より速く、かつ正確に。革新的な技術が求められている。
「爆発物を所持しているか、3秒で判別できます」。リオデジャネイロ五輪の閉幕から1カ月。9月に日立製作所がお披露目した入場ゲートに注目が集まった。
ゲートの名称は「ウォークスルー型爆発物探知装置」。見た目は駅の自動改札機とさして変わりはない。ゲート入場者が足を止めることなく、チケットやIDカードの確認と不審物検査を同時に行える。
特徴はチケット差し込み口の内側。上下から空気を噴射して、チケットに付着する微粒子を、装置内部に設置された高感度分析器まで送り込む。爆発物の微粒子が検知されたらアラートが出て、ゲートが閉まり通過できなくなるという仕組みだ。
米国国務省の調査によると、2015年に世界で発生したテロ事件のうち52%が爆発物による攻撃だった。爆発物対策はテロ対策の最重要項目となっている。爆発物に直接触れた人物以外にも、爆破計画に関与する人物と接触するだけで、微粒子が検出され不審者と特定できるという。
米同時多発テロが転機
従来の爆発物検査では、X線検査装置で持ち物の中身を調べたり、カバンの持ち手などの表面を専用の布で拭き取り、成分検査装置で調べたりする必要があった。1人当たりの検査に最低でも1~2分はかかった。
日立の探知装置では時間を短縮し、「全ての人を対象にした検査が可能になった」(花見英樹・制御プラットフォーム統括本部セキュリティセンタ長)。装置の重量は200kg程度。当初は原子力発電所やデータセンターの入退場ゲート向けとして開発されたが、競技会場などでの設置も可能という。
この探知装置は、文部科学省が2007年に立ち上げた安全・安心科学技術プロジェクトの採択案件。2001年の米同時多発テロ以降、政府の後押しを受けながら不審物探知システムの開発が進められている。
マスプロ電工(愛知県日進市)も、同プロジェクトの採択を受けた企業の一つ。テレビ向けの受信アンテナを主力とする同社が研究開発したのは空港の保安検査場などで使用されるボディースキャナー装置。液体爆弾やプラスチック爆弾、セラミックナイフなど、通常のX線検査装置では見つけにくい危険物を服の上から検知できる。
マスプロ電工が販売するボディースキャナー装置。前後2カ所に装置を設置することで、空港で乗降客の足を止めることなく不審物チェックができるようになる。体に触れることなく服の下の不審物検査も可能になった
装置では人が放出するミリ波帯(波長1~10mm)の熱に関する信号を画像化する。ミリ波帯の信号は衣服を通過できる半面、プラスチックや液体などでは遮断されやすいため、衣服に危険物を隠し持っていた場合、モニター画像上から異常が検知できる。これまで、主に海外の軍事用途向けなどに研究が進められてきた技術だ。
従来、同様の不審物検査は警備員が服の上から手で触る「触手確認」が主流だった。ただ、1分程度の時間を要するため全ての人への実施は難しい。
さらに「宗教的な理由や性別などの問題で、触手確認を嫌がる人も多かった」(高木尚樹・カメラ事業プロジェクト副部長)。装置の実用が広がれば、こうした問題も解決に向かう。
既に成田国際空港で実証試験を行ったほか、今年開催された伊勢志摩サミットでは携帯可能な簡易タイプが警備に使われた。
マスプロ電工は技術の研究を進めるほか、技術交流する米ブリジョット・イメージング・システムズ製の装置を国内で代理販売している。
コンテナに隠された核物質を探知
●港湾での検査の流れ
五輪に向けては、港湾での不審物の輸入にも注意しなくてはならない。東京港では貿易向けのコンテナが1カ月で30万~40万個(20フィートコンテナ換算)取り扱われる。凶悪犯がコンテナ内に核物質を隠し、日本に持ち込む可能性も否定できない。水際での対策も必須だ。
「理論上はコンテナを開けずに高精度で内部検査できる技術は整った」。こう話すのは京都大学エネルギー理工学研究所の大垣英明教授。放射線の一種であるガンマ線などを活用した検査システムの開発に取り組んでいる。
国内の一部港湾に導入されているX線検査装置。ガンマ線検査装置などと併せて使えば核物質探知の精度が高まる(写真=共同通信)
核物質の種類まで特定
システムの仕組みは次の通りだ。まず、運ばれてきた全てのコンテナを、遮蔽壁で囲まれた大型の検査施設に入れる。そこで中性子を周囲から放射し、内部に不審物がないか調査する。所要時間はコンテナ1個当たり3分程度。ここで、核物質が隠されている可能性の有無を判別できる。
問題が見つかったコンテナは続いて、X線検査に回される。X線は内部にある物質の質量の違いなどを識別でき、質量の重い核物質の具体的な位置を特定することができる。
そして最後に約10分のガンマ線検査となる。ガンマ線検査を利用すれば、ウランやプルトニウム、コバルトなど核物質の種類の違いに加えて、同じウランなどの物質のなかでも原子構造の違いまで識別が可能になる。これによって、コンテナを開けて検査員が内部調査する前に、対処策などを練ることができる。
「短時間で大まかな調査ができる中性子と、詳細な検査が可能なガンマ線を組み合わせることで効率的な検査を可能にした」(大垣教授)。1m四方のコンテナを使った実証実験を既に成功させており、現在は実用化に向け準備を進めている。
2020年に開催される東京五輪。都の調査チームによると、警備関連の費用だけでも2000億~3000億円が見込まれる。大会の安全確保は国の威信にも関わる重要事項。最新技術が貢献できる余地は大きい。
リオから引き継がれた五輪旗(右)。東京五輪でも安全確保が最重要ミッションだ(写真=共同通信)
(日経ビジネス2016年11月21日号より転載)
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