“He that will thrive must rise at five.”成功したいなら、睡眠時間を削って5時に起きなければならない――。童謡『マザー・グース』でも語り継がれている「成功の掟」は、日本よりはるかに残業や過労が少ない米国でも、企業幹部やウォール街のトレーダー、エリート弁護士層などの間で信奉されてきた。成功への階段の傾斜が険しさを増すなか、睡眠もままならず、体を壊したり、うつ病になったりする人は世界規模で増えている。成功のためには睡眠を犠牲にすべきだという「成功の掟」は必要悪なのか、「集団的妄想」なのか――。米ハフィントン・ポスト創業者で、昨年『スリープ・レボリューション 最高の結果を残すための 「睡眠革命」』(邦訳版は2016年11月発売)を上梓したアリアナ・ハフィントン氏に、睡眠の大切さについて語ってもらった。過労で倒れた自身の経験を踏まえ、世界一睡眠時間が短い働きすぎの東京人に送るメッセージとは――。(肥田美佐子=NY在住ジャーナリスト)
アリアナ・ハフィントン氏
『ハフィントン・ポスト』創設者、スライブ・グローバルの創設者・CEO。ギリシア出身。16歳で英国に渡り、ケンブリッジ大学を卒業(専攻は経済学)。21歳のとき、世界的にも名高い同大討論会の会長となる。近年では、タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」、フォーブス誌の「世界で最もパワフルな女性100人」に選ばれたことがある。また、タクシー・ハイヤー配車サービスのウーバー・テクノロジーズや、非営利の調査報道組織センター・フォー・パブリック・インテグリティなど、多数の企業および組織で役員を務めている。2016年8月、「“成功するには燃え尽きという代償が不可欠”という集団妄想を終わらせ、人々の働き方と生き方を変える」ことを理念に掲げ、新会社スライブ・グローバルを設立。同社は、人々の健康と生産性向上のため、最新の科学的知見にもとづくトレーニング、セミナー、eラーニング講座、コーチング、継続的サポートなどを世界各地の企業および個人に提供する。(写真/Peter Yang)
睡眠危機に直面する現代人
現代人と睡眠との関係は危機的状況にある。睡眠不足は、世界的に蔓延する大規模な公衆衛生上の疫病だ。睡眠不足は経済に巨額の損失をもたらしている。睡眠不足が「アブセンティーイズム(常習的欠勤)」や「プレゼンティーイズム(出勤していても生産性が上がらない状態)」というかたちで米国経済に与えている生産性の損失額は実に年間630億ドルを超える(Sleep.2011 Sep 1;34(9):1161-71.doi:10.5665/SLEEP.1230)。心身の健康や全般的な幸福感に照らすと、睡眠不足のツケは、さらに大きくなる。
十分に眠らないと、最悪の場合、どんな弊害が起こりうるのか。長期的な睡眠不足は、死に直接つながりかねないだけでなく、癌や糖尿病、心臓病、うつ病など、非常に多くの病気と深く関連している。
最近の最も重要な発見の一つは、睡眠中に脳の掃除が行われているということだろう。
言ってみれば、睡眠は脳に夜間清掃スタッフを送り込んでいて、彼らが、日中に脳細胞の間にたまった有害なタンパク質(アルツハイマー病にも関連がある)を除去してくれるが、睡眠不足の人は除去が不十分になりかねない。ロチェスター大学トランスレーショナル神経医学センターの共同責任者マイケン・ネーデルガードがこの清掃機能のメカニズムを研究している。
また、オーストラリアの研究によれば17~19時間眠らずにいると(多くの人にとって日常のことに違いない)、認知能力は血中アルコール濃度が0.05%(米国の多くの州の酒気帯び運転基準よりわずかに低い値)のときと同程度まで低下するという。さらにあと2~3時間起きていると、0.1%、つまり酒気帯び運転と同程度に達する。もちろん、飲酒運転については路上で検査が行われるが、睡眠不足運転にそのような検査はない。
短時間睡眠を礼賛する人たち
ビジネス界には短時間睡眠を自慢する人が少なからずいるが、それは「私は酔っぱらったまま意思決定している」と吹聴しているのに等しい。睡眠不足になると、判断力、反応時間、状況把握能力、記憶力、コミュニケーション能力が大幅に低下する。6時間未満の睡眠を2週間続けるだけで、私たちの能力は24時間眠っていないのと同じくらい低下することを示唆した研究もある(SLEEP 26 (2003): 117-26)。つまり、慢性的な睡眠不足の状態では正しい意思決定は期待できず、当然、称賛や報酬の対象にはならない。むしろ、逆であり、その意思決定には赤信号が灯っている。
睡眠不足が蔓延しているのは、ここニューヨークだけではない。トロント、パリ、東京、ソウル、マドリッド、ニューデリー、ベルリン、ケープタウン、ロンドンでも状況は同じだ。睡眠不足は新たな世界共通語になっている。
成功のために睡眠を犠牲にしている悲劇的な例の一つが、私生活を犠牲にしてまで会社に尽くそうとする日本の「サラリーマン」だろう。サラリーマンは、自分の仕事が終わっても上司が帰るまでは帰らない。こうした慣習は、グローバリゼーションや、労働者のストレス増大、自分の生活を第一に考える若者の増加などによって薄らいでいるようだが、睡眠を軽視するサラリーマン文化は根強く残っている。
そういう私自身も、かつては睡眠の重要性を軽視していた。成功するためには睡眠を犠牲にしなければならない、睡眠は無駄時間であり、できることなら眠らずにその時間をほかの活動に充てたいと本気で思っていた。
過労で意識を失い、顔を骨折
実際、睡眠時間を削って仕事にのめり込んだ。ハフィントン・ポストという私の名前を冠した新事業を起こしたばかりで必死だった。毎日100通余りのメールに返信し、読みごたえのあるブログ記事も書かなければならない。本の執筆や講演もある。昼間は、子育てもしながら母としての責務を完璧にこなそうとした。本来は眠るべき時間に、1日分の仕事を何とか押し込もうとし、午前3時頃、目を開けていられなくなると3~4時間眠る。そんな日々の連続だった。
そして2007年4月のある晩、睡眠不足と過労とバーンアウト(燃え尽き)で意識を失った。気がついたときは、血の海の中にいた。デスクに思い切り顔面を打ちつけ、頬骨を骨折していたのだ。
当初は、どうして倒れたのか理解できなかった。その理由が知りたくて、さまざまな医師を訪ね、話を聞いていくうちに、それまでの自分の生活や考え方が根本的に間違っていることに気づいた。
それからというもの、睡眠に関する文献を読み、研究者に会って話を聞き、広範な知識を身に付けた。睡眠は非常に大事な営みで、生活の中での最優先事項の一つであることを身をもって知った私は、1日7~8時間眠るようになってから、瞑想や運動が楽にできるようになり、判断力が高まった。また、自分自身とも他者とも、より深くつながれるようになった。
本当に豊かになりたいのなら、まず十分な睡眠をとることから始めなくてはならない。睡眠は、健康で幸福な生命が通過しなければならない門だ。
睡眠時間の世界最短は東京
世界の大都市の中で、一晩あたりの睡眠が最も短いのは東京だ。リストバンド型活動量計を製造しているジョウボーンの製品「UP」シリーズの装着者のデータを集計によると、東京の睡眠時間は5時間45分だ。次に短いのがソウルで6時間3分、以下、ドバイ6時間13分、シンガポール6時間27分、香港6時間29分、ラスベガス6時間32分と続く。
そんな睡眠不足が蔓延している東京のビジネスパーソンにメッセージを送りたい。働きすぎが当たり前の世界にあって十分な睡眠を取ることは一筋縄ではいかない。そこで、睡眠を最優先事項の一つとして、再認識していただけないだろうか。
仕事のために、睡眠を優先事項のリストから格下げする人は多い。だが、よく眠ると、あらゆる面でパフォーマンスが向上することは、科学的にも明らかだ。創造性や生産性が上がり、学習速度も速まり、よりよい意思決定を下せるようになる。
いい仕事をしたいならよく寝ること――。そう気づくことがカギなのだ。
(次回に続く)
※本原稿は著者の了解を得て、一部、書籍『スリープ・レボリューション』から引用しています。
睡眠不足のとき、脳は酒気帯びと同じ状態に陥り、判断力も生産性も低下する。それが続くと、糖尿病や癌、認知症など病気のリスクも高まる。睡眠は、ほかのどんな方法よりもプラス効果がきわめて高い「究極の健康法」で、睡眠を犠牲にして何かするのは、「愚かな選択」だ。睡眠の質を高めることで健康だけでなく生活も、仕事も人間関係も劇的に改善する。人生を豊かにする「睡眠革命」に今すぐ取りかかろう!
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