池上:三河地震は、1945年1月つまり終戦の年に、愛知県の三河湾を震源地として発生したマグネチュード6.8の直下型地震です。死者行方不明者2300人を超える大地震でした。ところが、戦争真っ只中の日本は、この地震が発生したことを敵国であるアメリカに知られたくない。そこで三河地震のニュースは国内でも伏せられ、現地で直接被害を受けた人以外はほとんど知られなかったのです。ところが戦後、アメリカ空軍は三河地方がこの地震によって津波の被害を受けているのをきっちり航空写真におさめていた。皮肉にも日本政府側はアメリカに見られまいと隠そうとしたためほとんど記録を残さなかったけれど、アメリカのほうはばっちり航空写真を詳細に撮っていて地震の被害も津波の被害も日本よりも知っていた。
最相:地方局が制作するドキュメンタリー番組には、優れた作品がけっこうありますね。愛媛県のローカル局である南海放送が1954年のビキニ水爆実験で被曝していたのは、第五福竜丸だけではなく、多数のマグロ漁船が被曝していた、という事実を9年間かけてドキュメンタリーのかたちで報道したのは記憶に新しいところです。
池上:優れたテレビ番組を表彰するギャラクシー賞の大賞を2013年に受賞しましたね。私たちは何となく、ビキニ水爆実験と聞くと第五福竜丸をイメージするけど、実は1000隻もの船が被曝していた。
最相:そもそもなぜ第五福竜丸だけが注目されたんでしょう?
池上:第五福竜丸が注目されたのは、静岡の焼津港に戻った乗組員が「ピカドンを見た」と言うのが、読売新聞焼津通信部の記者の耳にたまたま入ったからです。そのころ読売新聞は「ついに太陽をとらえた」という、原子力の平和利用をテーマにした連載を行っていて、焼津の工業高校に通っていたある高校生はその連載を読んでいました。するとその高校生の母親が、「戻ってきた人がピカドンを見たと言っている」「具合が悪いようだ」という話を聞いてきた。そこで高校生は核実験ではないかとピンときて、たまたまその家に下宿していた、読売の焼津通信部の記者にそれを伝えたんです。ただ、焼津通信部の記者は核実験のことなど専門ではないから、話を聞いても何のことだかさっぱりわからない。そこで読売の東京本社に電話をしたら、電話口に出てきたのがたまたま原子力平和利用の連載担当者だった、というわけです。
最相:そうだったんですか。なんという偶然。
科学的な視点が新しい問題解決への手がかりに
池上:同じ体験をして高知県に戻った船もいたのだけれど、そこでは焼津のようにニュースになることはありませんでした。おそらくはマグロの遠洋漁業を行っていた日本全国の船員の中に、第五福竜丸の船員同様に被曝して酷い目にあった人たちがいたはずです。でも、伝えるべきメディアと接していなかったらニュースにはならない。「ないのといっしょ」になってしまう。
最相:そのかつてニュースにならなかった人たちに、南海放送の方たちが「生涯を賭けるテーマ」として光をあてていったわけですね。
池上:ジャーナリズムにも「生涯を賭けるテーマ」を持った方たちがいて、その人たちが隠された真実を明かしてくれる。南海放送のドキュメンタリーはまさにそのお手本でした。
そろそろ私への質問はおしまいにして、最後にもう一度最相さんに質問をいたしましょう。最相さんは理系の研究者の方に取材するケースが多いですね。それはなぜなんですか?
最相:物事を考えるときに、科学の視点から眺めた方がよく理解できることがあります。私自身がそういう思考回路を持っている。自分は科学者ではないけれど、その意味で私はサイエンスの考え方が好きで、さらにいえばサイエンスを追究する研究者の話を聞くのが好きなんです。ただ、サイエンスが産み出した技術を解説したり、ニュースを追いかけたりする仕事は、テレビや新聞や科学誌の記者の方がしています。じゃあ、私に何ができるんだろう? 何かわからないことがあったとき、科学者が重要なヒントをくれることがある。科学的な視点が新しい問題解決への手がかりになったりする。そのために取材するというのが、私なりの科学の伝え方なのかな、と思っています。

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