最相:福島第一原発の事故は、工学がつくりあげたものがマイナスの意味で直接的に私たちの命や生活に影響が与えることがあるんだ、ということを工学系の専門家自身に突きつけたと思います。池上さんがこれを機に理系大学で教鞭をとられたことが代表例ですが、日本における科学や工学の伝え方、というものが、あの原発事故を機に変わっていったのではないかと思っています。

池上:まだまだだとは思いますけど。たぶん、理系の知識、工学の知識をどうやって伝えていくのか、当事者たる専門家も私たちジャーナリズムも、ようやくスタートラインに立ったばかりで、まさにこれからレベルを上げていかなければいけないんだと思います。その意味で、理系の人たちの言葉を噛み砕いして伝えようとする最相さんのお仕事は最先端を走っているのではないでしょうか。

最相:まだとても十分ではありませんが。

柳田邦男さんの『マッハの恐怖』と『空白の天気図』

池上:そして、最相さんの今回の書籍『東工大講義 生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか』(ポプラ社)を読んで個人的にすごく嬉しかったことがあるんです。柳田邦男さんの『空白の天気図』が挙げられていたことです。あの本は、柳田さんがNHKの社会部を辞めて最初に書いた本です。

最相:池上さんは柳田さんと一緒に仕事をされた時期はおありになったんですか。

池上:私が新人研修を受けているときに、柳田さんはNHK社会部のバリバリのエース記者でした。新米の私たちに研修で記者の心得を話してくれたのをよく覚えています。言葉が立っているし、仕事はできるし、ハンサムだし、新米記者たちで「柳田さん、かっこいいなあ」と憧れの目線で研修を受けていました。

最相:そうでしたか。

池上:その後、柳田さんはNHKの記者時代に、飛行機事故をテーマにした『マッハの恐怖』を書いて大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、さらに『続・マッハの恐怖』を出版しています。彼はNHKの社会部の遊軍記者として航空事故のニュースを担当し、全日空の羽田沖墜落事故をはじめ数々の航空事故を追いかけていました。もちろんニュースにしたり番組にしたりしていたのですが、テレビでは描ききれない要素を盛り込んで活字にして出版したわけです。最初はどこの出版社も相手にしてくれなかったそうです。NHKの新人記者だった私は『マッハの恐怖』をすぐに買い求めて読んで、記者とはここまで綿密に取材をするものなのかと驚愕しました。柳田さんの薫陶を間接的に受けた影響はとても大きかったですね。飛行機事故もまた考えてみれば理系や工学系の事故と人災とが重なっているものですから。原発事故と構造が似通っている部分がある。

最相:たしかにそうですね。

池上:その後、柳田さんは東京の社会部から福岡放送局へ、管理職として転勤せよという辞令を受け取ります。そのときに、自分はノンフィクションライターとしてやっていきたいとNHKを辞めるんですよ。たしか柳田さんは40歳の手前だったはずです。そして『空白の天気図』を書かれたんですね。

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