池上:はい。そこで今度は東工大と大岡山の話をするんです。
 ――東工大は、東急電鉄大岡山駅の目の前にあります。大岡山商店街の人にとっては東工大生は大事なお客さん。だから皆さんが酔っ払って粗相をしても、あまり無下にはできない、と思っています。JR九州の水俣駅を下りると目の前にあるのは、チッソという会社の水俣工場の正門。水俣市はチッソの企業城下町だったのです。地元最大の企業ですから、地元の人はチッソを邪険にはできません。すると、水俣病が発症して(もしかすると、チッソの工場に原因があるんじゃないか?)という話になっても、それが面と向かってチッソに訴えられることがない。

最相:当時だと企業のほうが圧倒的に強者でしたからね。

池上:さらにいうと、チッソは戦前の日窒コンツェルンの中心企業で、国策会社の顔を持っていました。戦後はプラスチックの可塑剤で大きなシェアを持ち塩化ビニールを生産していました。高度成長期に欠かせぬ企業ということで、行政もチッソには甘かった側面がありました。
 つまり、地元経済からも、国家戦略からも、チッソはつぶすわけにはいきません。何か怪しいことがあっても、あの会社の経営を傾かせてはまずい、という空気が社会全体にありました。かくして、チッソの廃水に問題があるのではとは指摘しにくい雰囲気があった、と教えます。

最相:まずは公害を起こした企業と国との関係を学生たちに示すわけですね。

あなたがいつか「選ぶ」ときのための教養を

池上:そしていよいよ大学の問題に踏み込みます。実は、地元の熊本大学医学部の水俣病研究班は水俣病の原因はチッソの廃水に含まれる有機水銀だと指摘したんです。一方で、別の説を唱える学者が出てきたんです。なんと東工大の教授です。この教授は、「有毒アミン説」を打ち出したのです。
 対立する二つの説が出てきましたが、専門知識がないメディアは、どちらの説が正しいかわかりません。なんとなく、地方の一大学である熊本大学の先生が言うことよりも、東京の東工大の先生が言うことの方が正しいのではないかという雰囲気になりました。それが結果として、原因究明をますます遅らせることになったわけです。

最相:ここで東工大と水俣病がつながるわけですか!

池上:ここですかさず学生たちにこう言うんです。
 「東工大というネームバリューは、こうやって使われてしまうことがあるんだよ」と言うことにしています。この先、君たち学生が研究者になったとき、ある会社から委託研究費を出してもらうことがあるかもしれない。研究をしているうちに「先生、最近こんな困ったことを言う奴がいるんです、ちょっと何とかしてもらえませんか」とその会社から頼まれたら、さあ、どういう態度を取るのか? 研究者にはならず、どこかの企業に入ったとしても同じことです。その企業が東南アジアに持っている工場で働いていたら、その工場の廃水によって、川の下流の方で妙な病気が流行りだした。さあ、どういう態度を取るのか?

最相:なかなかハードな問いかけですね。学生の反応はどうでしたか?

池上:学生の顔つきが変わります。単なる現代史の勉強、ニュース解説だと思っていたのが、自分の将来にもかかわってくる理系で仕事をする人間の生き方についての講義になるからです。居住まいをただしますよ。

最相:そこまで自分の身に引きつけて考えさせると、昔のニュースが我が事になりますね。就職先の企業を決めるときにも役に立つ目線ですね。自分が行くかもしれない企業の過去と現在をちゃんと調べてから未来を見据えるようになる。

池上:企業といえば、そのときそのときの人気企業は実は衰退産業になりうるんだよ、という話をします。戦後の石炭から石油へというエネルギー革命の話をするときに、当時の人気企業の話をしてあげるんですね。戦争直後、大学生に一番人気の就職先は石炭業界でした。成績が優秀な人から石炭業界に就職しました。石炭が日本にとって最重要エネルギーだったからです。その次に優秀な学生は砂糖業界を目指しました。まだまだ食料不足の世の中で、人々は甘いものが欲しがっている。これから砂糖の需要はもっと増えるだろうというわけです。黒の石炭と白の砂糖が人気だった。それが戦争直後だよ、と。時代が変わると、今度は繊維業界が人気を集め、成績優秀な学生が殺到します。その後、さらに経済が発展すると繊維業界は頭打ちになり、重工業系に人気は移っていきます。

最相:池上さんが学生の頃はいかがでした?

池上:私が卒業したのが1973年で、経済学部出身の私の周りでは、一番優秀な学生は銀行に入り、その次に優秀なのは商社へ行き、箸にも棒にも掛からない人間がマスコミに行きました。その話を学生にするとびっくりします。
 ところが、大学卒業後に20年ほどして大学のクラス会をしたら、最初に就職した銀行にいる同期はゼロでした。業界にも企業にも寿命があって、入るときに人気があっても、衰退することがある。むしろ人気があるということはそれが最盛期で、あとは衰退するだけということもある。こういう話をすると、学生は困った顔をするのですが。

最相:池上流の「すぐに役に立たない教養」の教え方、よくわかりました。今、大学での教育についていろいろ議論されています。文系学部は不要だ、それよりも実学を優先するべきだという意見も出てきています。聞きようによっては、理系大学の一般教養も切られかねないような。

池上:東工大は、そもそも実学を修めるためにできた学校です。だからこそそれだけではいけない、教養をきっちり学生が修めなければいけない。あえて、すぐに役に立たないことも教えようと東工大では私がこの3月まで在籍していたリベラルアーツセンターを中心に文系教育、教養教育に力を入れてきました。江藤淳、永井道雄といった教養人たちが東工大で教えていたのも、不思議な縁ですね。

(次回に続く)

構成:片瀬京子