池上:いわゆる大学の博士課程を終えて博士号をとったあと「ポスドク」で非常勤講師になったとしても、1校の給料ではとても生きていけない。いくつもの大学をかけ持ちしなくては生活できません。

最相:博士号をとってそれですからね……。日本の大学の未来を考えるうえで、本当に深刻な問題だと思います。お金の話をし始めると時間が足りなくなるので、話題を変えましょう(笑)。池上さんは以前から、自著の中で「すぐ役に立つことはすぐ役に立たなくなる」とおっしゃっていますよね。

池上:ええ。たしか「なぜすぐに役に立たない一般教養を理系学生が学ぶ必要があるのか」という流れで出てきた言葉だったかと思います。

最相:池上さんは、この「すぐ役に立つことはすぐに役にたなくなる」というのを念頭にどうやって講義のテーマを選び、どんな風に教えていらっしゃるのでしょうか? おそらく単なる現代ニュースの解説ではなく、歴史を知る、文脈を知る、そして物の見方、考え方を教える、ということをやっていらっしゃるのかと。

焼け野原から始まり、水俣病に向き合う

池上:私は基本的に毎週2コマの授業を持ってきました。2015年度でいうと、前期は、日本の現代史と、社会科学的な常識の2コマを担当しました。後期は世界の現代史と、日々のニュースから現代史を考えるというテーマです。たとえば日本の現代史では、今の日本は廃墟になったところからつくられたという話はします。

最相:まず、何を見せるんですか?

池上:終戦直後の焼け野原の写真を最初に見せるんです。そして「この写真はどこだと思う?」と聞きます。「ある建物が写っていると、みんなすぐにわかるだろうから、あえてその建物が写っていない写真を選びました」というと、東工大の学生たちは勉強ができますから、「広島!」と答えが出るわけです。

最相:「ある建物」とは、原爆ドームのことですね。

池上:そうです。それからまた別の焼け野原の写真を見せます。1枚目と2枚目の焼け野原は、ほとんど同じに見えますが、2枚目は東京大空襲後の下町です。片や原爆、片や大空襲と原因は違いますが焼け野原になったのは、広島も東京も同じです。まさにこの焼け野原から、戦後の日本人は今の豊かな日本をつくり出した。だからいつの時代のどんな人も絶望することもないし、自信を失うこともない。そこから現代史の話をいたします。

最相:一枚の写真をきっかけに歴史の扉を開けるんですね。東工大生を特に意識したトピックはあるんですか?

池上:あります。たとえば「公害病」の話です。学生たちはみんな中学校のときに社会科で四大公害病を学びます。「水俣病」「新潟水俣病」「イタイイタイ病」「四日市ぜん息」とすらすら出てきます。でも、そこでおしまいなんですね。単語を覚えているだけ。「公害病」は日本の歴史上どんな文脈から生まれ、どんな意味があったのか。特に理系の視点から話をするようにします。

最相:なるほど、公害病はいずれも産業から生まれていますね。広い意味で理系の問題が大きくかかわっている。

池上:そうなんです。そこでこんな風に学生たちに話を投げかけます。
 ――水俣病はご存知ですね? 水俣病は、チッソという会社が水俣市の工場から水俣湾へとメチル水銀を垂れ流し、食物連鎖により地元の魚介類が汚染された結果起きました。メチル水銀に汚染された魚介類を食べた地元の人たちがさまざまな疾患に悩まされ、水俣病として世間に知られるようになったのです。でも、実は1956年に最初の患者が認定された水俣病の原因が、チッソによるメチル水銀垂れ流しによるものだ、と裁判で決定づけられるまで1973年までかかり、水俣病にかかわる特別措置法ができたのはなんと2010年です。なぜ、こんなに時間がかかってしまったのでしょうか?と疑問を投げかけます。

最相 水俣病の通り一遍の知識の「先」を問うわけですね。