今月20日から通常国会が招集され、自民党は衆参両院の憲法審査会の場で、改憲項目の絞り込みを進めるという。

 憲法改正を論ずるとは、この国の望ましい統治機構の在り方を模索することでもある。憲法改正の必要はあるかないかという入り口の議論ばかりではもったいない。具体的な論点についての議論を重ねれば、たとえ改正に至らなくても、国民の憲法に対する意識や「この国のかたち」について考えが進むはずだ。

 政治家たちが憲法問題を政局化せず正面から論じ、国民はその議論を追いつつ、自らの見識を深めていく。憲法改正論議は私たち国民にまたとない政治教育の場となるだろう。

 各党・議員の発言の中には、興味深い憲法改正の論点が含まれている。いずれも改正するかしないかは別として、そのような議論そのものが議会制民主主義の発展に資するものである。

 前回の「参議院の合区解消」に続き、今回取り上げる論点は、「内閣の衆議院解散権の拘束」だ。

(前回記事「改憲の論点1:参院合区と一票の格差の狭間」から読む)

安倍首相は2014年11月、消費増税の延期を含むアベノミクスへの信認を争点に、衆議院の解散・総選挙に踏み切った。(写真:AP/アフロ)
安倍首相は2014年11月、消費増税の延期を含むアベノミクスへの信認を争点に、衆議院の解散・総選挙に踏み切った。(写真:AP/アフロ)

司法判断が下されてない衆院の7条解散

 「内閣の衆議院解散権の拘束」という論点も重要である。

 現在、衆議院をいつ解散させるのかは内閣の専権事項とされている 。総理大臣の胸の内を忖度して、政治記事の中に「解散風が吹いてきた」のような表現が使われることも珍しくない。解散があるのかないのか、総理大臣周辺の議員が記者と禅問答のようなやりとりをすることもある。

 しかし内閣の解散権が憲法上、どのような根拠に基づくのか、憲法学の世界で長く議論の対象になってきた。

 憲法で内閣が解散できる場合を明示しているのは69条しかない 。

《69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない》

 この条文からわかることは、内閣が衆議院を解散できるのは、内閣不信任案が可決されるか、信任案が否決されたときである。戦後 、衆議院の最初の解散はまだ占領下にあった1948(昭和23)年12月23日に吉田茂内閣のもとで行われた。GHQが69条のみの解散に限定されるという解釈を示したため、与野党の話し合いで野党が内閣不信任案を提出して可決し、解散した(なれあい解散)。

 しかし戦後2回目は1952(昭和27)年8月28日、吉田首相が憲法69条によらず、同7条3号を根拠に解散をした(抜き打ち解散)。

《7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う。
 三 衆議院を解散すること》

 7条は天皇の国事行為を定めた規定であり、天皇は政治的権能を有しないから、これを根拠に解散することができるのだろうか。衆議院議員の苫米地義三氏は「抜き打ち解散」の無効の訴訟を提起した。だが最高裁は1960(昭和35)年、

《衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であって、(中略)、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべきことは(中略)あきらかである》

 と、いわゆる「統治行為論」を示して憲法判断を回避した(苫米地事件)。ここでも司法はボールを政治に投げ返している。

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