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 もともと日本の刑法は明治40年、大日本国憲法下で制定されたもので、刑法200条の趣旨は親を尊ぶ家族制度観・封建的制度を反映したものだった。戦後、日本国憲法が成立してから新憲法の理念に適合するよう一部の条文改正がなされたが、刑法200条はそのまま残っていた。
 しかし刑法200条が日本国憲法14条の「平等原則」に違反しているのではないか、という議論は当時からすでにあった。憲法14条1項はこうある。

【憲法14条1項】
《すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない》

 ここでいう「人種」などは例示列挙であり、これ以外の理由でも不平等、差別は許されない。「普通殺」と「尊属殺」を分けて考えて、尊属殺に重い刑罰を科すことは「不平等」ではないのか。最高裁判所はこの問い掛けに対して、1950(昭和25)年、合憲判決を下した。以降、大貫弁護士の調べによると毎年平均して34件の合憲判決が積み上がっていたという。
 だが果たしてAのようなケースにおいても、刑法200条を適用し、Aに実刑判決をくだすことは「正義」なのだろうか。

弁護士料は、リュックサック一杯のジャガイモ

 大貫弁護士は
 「オヤジも私もこらあえらい事件だと思った。これが実刑になったら大変だ。だって、可哀想じゃないか……実刑を逃れるには、200条を憲法違反にして無効にするしかない、と。合憲判決は高く厚く積み上がってましたからね、大きな挑戦でした」
 と話す。

 当時のことを想い出したのか、私に話をしながら大貫弁護士は涙を流した。弁護士料はYさんがリュックサック一杯につめてきたジャガイモだった。

 「貧しいお家だったから、お金なんて取れないですよ。ジャガイモはちゃんと美味しくいただきましたよ」

 親子二代に渡る最高裁までの長い道のり、日本憲法史上に輝く裁判は、ジャガイモで始まったのだ。

 Aはどのような人物だったのだろうか。XさんとAについて記憶を残す人を地元で見つけた。
 「XさんとAさんはてっきり夫婦だと思ってたよ。事件が起きて親子だと知ってびっくりした」
 と、その地元の人はいう。2人が暮らしていたのは玄関のドアを開けるとすぐ二間の部屋という狭いアパートだった。暮らしぶりはたいへんだったらしい。

 「Xさんの植木職人の腕は良かった。ただ1カ月のうち10日働いて、あとの20日間は酒飲んで暮らすという生活を送ってみたいだね。あのころ植木職人の手間賃はけっこう貰えたから、そういう生活も出来たんだろう」

 「貧しかったから、近所の人がよく畑で取れた野菜をあげていた。Aさんもそのお返しで畑の草むしりとか手伝ってたよ」

 「Aさんは体格がけっこう良くて、器量よしだった。ああいう悲惨な生活を送っていたとは思えなかったな」

 当時の記事では、Aの境遇に同情して、地元で減刑を願う運動が始まりそうという記述があったが、この地元の人は「記憶に無いねえ」と首をひねった。
 「ただ裁判の証人で地元の人間が宇都宮裁判所まで何回も行っとったよ。それはみんな同情するよ、人を殺したのはいけないけれど、ああいう父親だし……」

 実際、近所の主婦が参考人取調中に、
 「Aちゃんは可哀想な人だ。運の悪い星の下に生まれたんだ」
 と、突然両目に手をあてて泣くこともあった。
 Aが悲惨な環境で育ったように見えない、というのは大貫正一弁護士の印象とも合う。
 「暗いところがないんだよね。はっきり喋って、素直な女性という印象でした。あと記憶力が抜群に良かった」

 その記憶の良さがのちに裁判に生きた。
 先述した通り、刑法200条は1950(昭和25)年の最高裁で合憲判決が出ている。その論旨を紹介しよう。
 判決は憲法14条の平等原則があるが、

《このことは法が、(中略)道徳、正義、合目的性等の要請より適当な具体的規定をすることを妨げるものではない。刑法において尊属親に対する殺人、傷害致死等が一般の場合に比して重く罰せられているのは、法が子の親に対する道徳的義務をとくに重要視したものであり、これ道徳の要請にもとずく法による具体的規定に外ならないのである》

 として、さらに刑法200条が封建的制度の名残りという批判に対して

《(前略)夫婦、親子、兄弟等の関係を支配する道徳は、人倫の大本、古今東西を問わず承認せられているところの人類普遍の道徳原理、すなわち学説上所謂自然法に属するものといわなければならない》

 として退けた。「人倫の大本、人類普遍の原理」とは、大きな言葉である。
 合憲判決を下すに当たり、最高裁判事同士でも合憲派と違憲派でかなり激しい言葉のやりとりがあったという。
 大貫弁護士は一審で、実刑判決を免れるために、①刑法200条は法令違憲、②刑法200条の適用違憲、③傷害致死、④嘱託殺人、⑤正当防衛、⑥心神耗弱、⑦自首などの主張を並べた。
 特に本丸は①の200条を法令違憲とする作戦である。大貫弁護士は、事件の「特異性」を強調し、全てをさらけだす作戦に出た。

 「『判例は事実によって発展する』と言われています。合憲・違憲の議論はすでに尽くされており、裁判官にどちらを選ばせるか、心を動かすためには事件の『特異性』を強調するしかないと考えました」

 具体的には父Xさんの所業を詳述することで、合憲判決の「親子を支配する道徳は人倫の大本」を突き崩そうとしたのである。
 事件前の出来事から事件当日のことは、Aの記憶を手掛かりにした。一審の判決文からそこを抜き出してみる。

 まずAが印刷場で恋人Gと出会い、結婚を考えるに至る過程が述べられている。

 《被告人(=A)が印刷所に入所して二年余を経過した昭和四十三年四月、同印刷所にG(=Aの恋人)が印刷工として入所し、被告人と同じ職場で働くこととなったが、Gは、被告人の誠実で明るく振舞う態度に並々ならぬ好意をもち、進んで被告人の仕事を手伝ったりしたことから、被告人もまたGの人柄に愛情を覚えて、帰宅の途を共にするなどして語り合う機会を重ねた末、昭和四十三年八月下旬頃、被告人よりその心中を打ち明けたことから忽ち、相思の仲となり、被告人と父Xとの前記不倫の関係を知らないGは、真面目に被告人との結婚を望み、その決意を固めて、熱心に、反対する両親を説得してこれを動かそうと努めるとともに、被告人においても早急にその父親の承諾を得てくれるよう催促した》

 《このようにしてGの真情を知るに至った被告人は、ここに初めて暗澹たる生活に光明を見出し、内心、父の子をなした身をためらいながらも、Gの愛情を頼みとして、父Xのため一方的に強いられたことに始まった父との不倫の関係を断ち切って、現在の忌むべき境遇から脱却するためにも、この際父XにGとの間柄を打ち明けて、その了解のもとに円満にGとの結婚を成就したいと熱望するに至った》

 しかしAの願いは受け入れられず、父Xによって半ば軟禁状態に置かれてしまう。
 そして事件が起きる。