違憲立法審査権の明文規定がない合衆国憲法

 合衆国憲法は34カ条しかなく、廃止された規定もある。改正も難しい。それでどうやって200年以上もあの強大な国家を運営してきたのか。憲法によって作られる法秩序のことを「憲法秩序」という。そしてその憲法秩序が変わることを「憲法秩序の変動」と呼ぶ。憲法秩序の変動は憲法改正によってのみ行われるのではない。

「アメリカの憲法秩序の変動は判例によって行われています。憲法の条文が抽象的かつ少ないので、明文で禁止されていること以外は裁判所の法解釈によってどんどん補充していく」

 その端的な、大きな例のひとつが連邦最高裁による「違憲立法審査権の宣言」だろう。違憲立法審査権とは、法律が憲法に適合しているかどうかを裁判所が判断し、憲法に違反(違憲)としたときはその法律を無効にできる強力な裁判所の権限である。

 現代立憲主義の3要素のひとつとして考えられ(他は「人権規定」「三権分立」)、立憲主義を標榜する国家には欠くべからざる規定で、日本国憲法はもちろん、フランスにもドイツにも明文規定がある。その「発明者」が連邦最高裁なのだが、実は合衆国憲法には違憲立法審査権の明文規定がない。19世紀初頭の裁判の判決文で「我々には違憲立法審査権がある」と宣言して、始まったのだ。

 違憲立法審査権は、法的には微妙な問題を含んでいる。国民から選ばれた国会議員の多数が賛成して成立した法律を、国民から選ばれていない裁判官が多数決で(連邦最高裁は9人なので、5人の賛成があれば)、葬り去ることができるのだから。日本は日本国憲法第81条の明文規定があるので疑念を呈されることはないが、

「アメリカでは違憲立法審査権の明文規定がないから、正統性がないという人もいます。ですが判例としてすでに確立していて、明文化する必要も無いくらい当たり前になっていると思います」

連邦最高裁が立て続けに違憲無効としたニューディール関連法

 裁判所が違憲審査にあたって、憲法の価値や理念の維持のためには政治部門の判断に介入することを躊躇しない態度を「司法積極主義」と呼ぶ。逆に政策決定者たる政治部門の判断をできる限り尊重し、それに介入することはなるべく控えようとする態度を「司法消極主義」と呼ぶ。司法積極主義は政府との間に極度な緊張関係を生む。その例が1930年代後半、ルーズベルト大統領の時代にあった。

 ルーズベルトはニューディール(まき直し)政策のもと、数々の経済関係の立法を行った。それを連邦最高裁は立て続けに違憲無効としていった。連邦最高裁の態度に苦慮した大統領は、ある策を建てる。それがアメリカ憲法史上の有名な「コート・パッキング・プラン(court-packing plan、裁判所詰め込み案)」である。

ルーズベルト大統領は「司法積極主義」に悩まされた。(写真:Everett Collection/アフロ)

 連邦最高裁は9人の判事からなり、大統領から指名されて上院の同意をもって任じられる。任期は無く、死ぬか自分から辞めるまで続く(日本の最高裁は70歳定年制)。つまりいったん最高裁が「ひとつの色」に染まってしまうと、なかなか変えられないのである。

 そこでルーズベルト大統領は、「70歳を超えて引退しない裁判官については、総数で15名になるまで、大統領は新たな裁判官を任命できる」という法律の制定を考えた。いまいる連邦最高裁判事の意見を変えることはできない。とすれば、連邦最高裁に自分と政治的意見の近い人物を判事として送り込み(詰め込み)、物理的に多数派を形成してしまおうと考えたのである。

 しかしこの案はルーズベルトの支持者たちからも反対を受けて頓挫する。また連邦最高裁もこの後、今度は司法消極主義に転じて、ルーズベルトの法案に合憲判決を出していくようになる。

「ルーズベルトの支持者たちが『コート・パッキング・プラン』に反対したのは、まず司法の独立を脅かしてしまうこと。さらに当時はすでに海の向こうにヒトラーが誕生していたんです。このままではルーズベルトがヒトラーになってしまうという懸念もありました」