憲法改正の振る舞いを他国のやり方に学ぶ「憲法改正の流儀」、前回の
ドイツ編に続いて今回はフランスを取り上げる。人権の母国フランスは「憲法の実験室」と呼ばれている。フランス憲法について詳しい京都大学大学院法学研究科の曽我部真裕教授に聞いた。
曽我部真裕(そがべ・まさひろ)氏
1974年生まれ、京都大学修士。京都大学大学院法学研究科教授。専攻は憲法、情報法。主な著書・編著として『反論権と表現の自由』(有斐閣,2013年)、『古典で読む憲法』(有斐閣,2016年)などがある。
フランスは約200年の間で15もの憲法典(ないしはそれに当たる文書)を制定し、現行の1958年に成立した「第五共和制憲法」もこれまで24回も改正している。「憲法の実験室」と呼ばれるゆえんである(後掲南野論文参照)。
曽我部教授は
「フランスの憲法を巡る論議で若干日本と似ているのは、現行憲法を受け入れるかについて、長い間、賛否両論があったことです」
と語る。
日本国憲法について自民党は、いわゆる「押しつけ憲法論」の立場を取り、自主憲法制定を掲げる。私自身はそのような立場は取らないし、「押しつけ」という言葉は日本国憲法制定に尽力した当時の日本人への侮辱だとすら考えるが、制定時にわが国がGHQの強い影響下にあったことは事実であり、押しつけ憲法論を支持する人は今でもいるだろう。
では、フランス憲法がその正当性を疑われるに至った背景には、なにがあったのだろうか。
大統領就任直後に改憲草案を提出したド・ゴール
物語は1958年、第二次世界大戦の英雄、シャルル・ド・ゴールが政界に復帰したことから始まる。
ド・ゴールはそれまでの12年間、田舎にひっこみ中央政界から姿を消していた。しかし当時フランスの植民地だったアルジェリアの独立紛争が激しくなり、その対応の舵取り役としてド・ゴールに首相就任要請がもたらされたのである。ド・ゴールは首相就任の信任投票のわずか2時間後に憲法改正案を提出し、国民投票の結果、58年10月4日、現在の「第五共和制憲法」が成立する。同憲法はこの経緯から「ド・ゴール憲法」とも言われる。
ド・ゴールが期待されたのは、彼がアルジェリアの独立に反対する立場だと考えられたからである。大統領に就任直後、アルジェリアの広場のバルコニーから「君たちの言うことはわかった」と演説し、現地に住むフランス人たちを感激させた。
しかし実際に政権に復帰してからド・ゴールがやったことは正反対だった。1961年にアルジェリア人の自決を認める政策を示し、国民投票で75%の賛成を集める。不満をもった現地派遣軍の将軍たちが反乱を起こし、反乱軍のパラシュート部隊がパリを襲撃する恐れすらあったという。またOASという秘密軍事組織ができ、アルジェリア独立支持派の知識人やド・ゴールの命を狙い始めた。フレデリック・フォーサイスの小説で映画化された名作「ジャッカルの日」は、このときの政治的背景を元にしている。
ド・ゴールの“反省”から生まれた改正
ド・ゴールは憲法を改正して「大統領公選制」の導入を目論んだ。それまでフランスでは大統領を国民が直接選ぶのではなく、国会議員と地方議員たちが選出する方法を採っていた。これをド・ゴールは国民投票で選ぶ方式に変えようとしたのである。
なぜド・ゴールが大統領公選制の導入を考えたのかを語るには、なぜフランスが大統領公選制を採用してこなかったのか、を語る必要がある。
憲法にはその国の歴史的反省を集積した面がある。フランスにおいてそれは「ナポレオン」だった。ナポレオンは国民の熱狂的支持のもと領土を拡大していき、最終的に破滅した。ひとりの政治的リーダーに強力な政治権力を委ねてしまうと、国民的支持をテコに暴走してしまう。それでフランスは大統領公選制で選ばず、政治を議会中心主義で運営していくことに決めたのである。
「強い指導力が無い政治は弱い」と考えたド・ゴール大統領は、就任直後に憲法改正を成立させた(写真:AP/アフロ)
ではなぜド・ゴールが大統領公選制の途を開こうとしたのかといえば、ド・ゴールの考える「反省」が、この議会中心主義の政体にあったからである。
強い指導力が無い政治は弱く、だからあの第二次世界大戦でヒトラーに率いられたドイツに敗れたではないか。戦後出来た第四共和制もアルジェリア紛争に有効な手を打てず瓦解した。自分が大統領職を退いたあとでも、強力なリーダーシップを持った政治リーダーが生まれるように、統治機構を変えておく必要がある。そこで、憲法改正による、大統領公選制の導入を考えたのである。
一般の法律の成立規定を使った「違憲な憲法改正」
第五共和制憲法について曽我部教授が「国民の間に長くコンセンサスが成立しなかった」というのは、ド・ゴールが大統領公選制導入のために行った憲法改正の方法である。
第五共和制憲法の憲法改正規定(89条)は二通りの改正ルートを規定している。①上院下院で多数決で議決した後、国民投票に付す。あるいは、②上下院で多数決で議決したあと、さらに両院合同会議を開き、5分の3を獲得すること。いずれにせよ「議会で多数」という途を通らねばならず、少数派のド・ゴール派には難しかった。
そこでド・ゴールは憲法にある「重要な法律は国民投票で決める」という趣旨の規定(11条)を、憲法改正に流用したのである。憲法改正規定があるにもかかわらず、一般の法律の成立規定を使って、憲法改正を試みたわけだ。
これは憲法の名を借りたクーデターではないか。そんな大きな批判が起きるが、ド・ゴールは政治指導力で国民投票を実現させ、投票率77.25%、「大統領公選制」賛成61.75%という結果を得る。フランスには日本にない憲法院という一種の憲法裁判所といえる組織があり、法律が公布される前にその法律が憲法に適合しているか審査する「事前審査」という権限を持つ。当然この「違憲な憲法改正」も憲法院が審査したが、「国の主権の直接の表現」について自ら判断を下すのは適切ではないとの理由で判断を回避した。
ここに、ド・ゴールの「野望」は完遂し、憲法改正が成立する。以上のような経緯からその正当性は疑われたが、現在はそのような声はほとんどないという。
「改憲反対派の急先鋒だったミッテランが81年に大統領公選制で大統領に就任したからです。ここで第五共和制憲法が右派と左派を越えて認められるようになりました」(曽我部教授)
フランスの改憲に見る国民投票の怖さ
ここまでのフランスの憲法改正史で、日本国憲法の改正で参考にすべきものはなにか。それは国民投票(レファレンダム)である。ド・ゴールは第五共和制憲法の成立も、アルジェリア独立も、大統領公選制も、ことあるごとにレファレンダムを実施して、国民の賛成多数をもって「正当性あり」として強引に政治指導を行ってきた。
「国民投票は怖いもので、投票で認められたものは無効とはいえない。フランスの憲法院ですら判断を回避しているぐらいです。この危うさは日本でも同じだと思います」
「憲法改正の限界が理論的にあるとしても、これが国民投票で成立したら、無効とはいえないと思いますよ。理論的な限界を超えた改憲が成立したら、それは新しい憲法の制定として捉えざるを得ないんじゃないか。フランスでは統治機構分野の改正でしたが、とりわけ人権分野に及ぶ改正においては、民主制プロセスで対立している争点について、一時的な多数を頼んで改正するようなことをしてはいけません」
憲法改正の草案は、国会での3分の2の多数決が得られたら、すぐ国民投票にかければいいという単純なものではない。その過程で「熟議」が求められる。それは日本国憲法96条の要請だと、曽我部教授は指摘する。
《第九十六条①この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。②憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する》
「1項にある『発議』とは、国会がいろいろ検討した上で、国民に対してご提案するという意味です。最終的に国民が決めるんだからといって、拙速に国会審議を通して国民に判断を丸投げしていいわけではありません」
とくに人権分野の改正は慎重でなければならない。
「自民党改憲草案では、天賦人権説が否定されています。しかしこれは歴史的・世界史的に人類がたどり着いた普遍的原理です。改正の議論はこのような普遍的原理を踏まえてしないと、大変なことになる」
普遍的原理なき改憲が招く「暗黒郷」
そこで曽我部教授が例に挙げたのが、ハンガリーの新憲法(ハンガリー基本法)だ。そのハンガリーの現在の状況を、佐藤史人・名古屋大学准教授が『世界』11月号で、「憲法改正権力の活躍する『立憲主義』」と題してレポートしている。その内容は衝撃的だ。
ハンガリーでは2010年の選挙で中道右派政党を中心とする改憲勢力が議会の3分の2を獲得し、10年から11年にかけて13回の憲法改正を行った。これだけ改正が容易に成立するのは、1院の3分の2の賛成があれば改憲が成立する規定だからである。国民投票もない。
その改正は、メディアや憲法裁判所といった権力の抑制機能を持つ制度や存在を弱体化する内容を含むものだった。さらに2011年5月、政権は新憲法(ハンガリー基本法)を成立させる。基本法もさらに改正し、人権分野で憲法裁判所が違憲と判断した法律を憲法規範に組み込む「違憲の法律の憲法化」まで行われている。興味のある人はぜひ読んで欲しい。
曽我部教授は
「普遍的原理が共有されていない社会で憲法改正が行われたことで現れた、ディストピア(暗黒郷。ユートピアの反対の意)です」
と評する。
ちなみに佐藤論文によるとハンガリー基本法の理念は《ハンガリーの歴史的民族的背景にこだわり、家族や共同体など集団の役割を強調する》という。
過去24回も改正された第五共和制憲法
では「熟議」とはどのように行われるべきか。この点に関してもフランス憲法改正史は、私たちに教訓を与えてくれている。
現行の第五共和制憲法の改正はこれまで24回行われてきて、その直近の改正は08年に行われたものだ。39ヵ条が改正され、9条が新設という大規模な改正だった。
改正に先立ち、当時のサルコジ大統領はその中身を検討する委員会を立ち上げた。その名前は委員長に指名された元首相の名前を取って、バラデュール委員会と呼ばれる。バラデュール委員会は憲法学者を中心に、憲法院元院長、政治家などがメンバーになった。彼らは大統領から渡されたアジェンダ(検討課題)について約半年間理論的な検討を加え、また関係者へのヒアリングも重ね、それを一冊の報告書にまとめた(写真)。その報告書は2、3センチほどの厚さがある。議会はその報告書を元に議論を重ね、その過程も明らかにした上で憲法改正を行ったのである。
バラデュール委員会(右)とヴデル委員会の報告書。改正論議の蓄積は誰でも入手できる
一度見送られた「事後の違憲審査」が認められた理由
フランスの憲法改正で委員会が作られたのはこのときが初めてではない。ミッテラン大統領のときにも通称「ヴデル委員会」が作られ、93年2月に報告書がまとめられたが、憲法改正には至らなかった。
「08年の改正で実現した憲法院による事後の違憲審査は、93年のヴデル委員会でも出ていた論点です。そういう議論の蓄積があるから、93年時点では見送られても、問題点が党派を越えて共有され、08年に改正が実現できたんです。有識者会議がまとまって提案をし、いろんな議論が出て、コンセンサスがまとまっていくという軸がある。報告書をまとめて残しておいた意義がありました」
憲法院の事後的違憲審査というのは、法律の公布前にしかできなかった憲法院の違憲審査を、公布後、つまり事後にもできるように改正したことである。フランスの憲法改正は主に統治機構、国の組織について行われる。時代につれ国の組織、制度に不都合が出てくると改正して憲法をバージョンアップして対応する。合理的な憲法の運用だと私は思う。
議論の共通の基盤さえない日本の改憲論争
翻って我が国の政府の改正への取り組みを見てみると、このような透明性は確保されているのだろうか。自民党憲法改正草案について、今年9月、石破茂・前地方創生相は党総務会で、「草案は野党時代に出したが、当時(議論に)参加した国会議員が少ない。各議員によく内容や経緯を説明すべきだ」と指摘したという(朝日新聞9月28日)。党内ですらこういう意見が出てくるのである。
またバラデュール委員会のようなものが作られたこともない。衆参両議院では「憲法審査会」が設置されているが、委員は全員政治家である。
「日本では法律を作るときに有識者会議を立ち上げて専門家を含めた議論をするのですが、なぜか憲法だけは国会議員の専権事項のようになっていて、参考までにちょっとだけ憲法学者を呼んで話を聞いて終わり、みたいな形になっています。フランスのように専門家を集めて集中的に議論する場を設けるべきではないでしょうか」
曽我部教授はさらに、市民参加型の「討論型世論調査」の開催も提案する。討論型世論調査とは、市民をランダムに呼び、討論用の資料を提供し、専門家からのレクチャーも受けた上で議論して、最後に市民の意見をまとめていく方式である。
「議論をする共通の基盤をまず与えるのが重要です。そうでないとイメージだけでものごとを言うことになってしまう。昨年の安保法制のときは、その法律ができるとすぐ戦争になるんだという主張されている方が、政治家を含めて少なからずいて、ちょっと飛躍しすぎではないかと思いました。賛成も反対も両極端な人が多いのは、共通の基盤を有していない、ということです」
共通の基盤がないまま、政治家、市民同士が「護憲派」「改憲派」とお互いにレッテルを張り合い、感情論で改憲論を論じているいまの状況は、日本国憲法にとって「不幸」だと言わざるを得ない。
「憲法改正の流儀」、次回はシリーズ最終回の「アメリカ編」をお届けする。
【主な参考文献】
曽我部真裕「憲法改正を考える 論議の共通土台 出発点に」(「日経新聞」2016年6月9日)
吉田徹「『大統領化』の中のフランス憲法改正」(駒村啓吾・待鳥聡史編「『憲法改正』の比較政治学」弘文堂、所収)
南野森「憲法変動と学説 フランス第五共和制の一例から」(同上)
樋口陽一「『共和国』フランスと私」(つげ書房新社)
佐藤史人「憲法改正権力の活躍する『立憲主義』」(「世界」2016年11月号)
高橋和之編「世界憲法集 第2版」(岩波文庫)
曽我部真裕・見平典編著「古典で読む憲法」(有斐閣)
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