ド・ゴールの“反省”から生まれた改正

 ド・ゴールは憲法を改正して「大統領公選制」の導入を目論んだ。それまでフランスでは大統領を国民が直接選ぶのではなく、国会議員と地方議員たちが選出する方法を採っていた。これをド・ゴールは国民投票で選ぶ方式に変えようとしたのである。

 なぜド・ゴールが大統領公選制の導入を考えたのかを語るには、なぜフランスが大統領公選制を採用してこなかったのか、を語る必要がある。

 憲法にはその国の歴史的反省を集積した面がある。フランスにおいてそれは「ナポレオン」だった。ナポレオンは国民の熱狂的支持のもと領土を拡大していき、最終的に破滅した。ひとりの政治的リーダーに強力な政治権力を委ねてしまうと、国民的支持をテコに暴走してしまう。それでフランスは大統領公選制で選ばず、政治を議会中心主義で運営していくことに決めたのである。

「強い指導力が無い政治は弱い」と考えたド・ゴール大統領は、就任直後に憲法改正を成立させた(写真:AP/アフロ)
「強い指導力が無い政治は弱い」と考えたド・ゴール大統領は、就任直後に憲法改正を成立させた(写真:AP/アフロ)

 ではなぜド・ゴールが大統領公選制の途を開こうとしたのかといえば、ド・ゴールの考える「反省」が、この議会中心主義の政体にあったからである。

 強い指導力が無い政治は弱く、だからあの第二次世界大戦でヒトラーに率いられたドイツに敗れたではないか。戦後出来た第四共和制もアルジェリア紛争に有効な手を打てず瓦解した。自分が大統領職を退いたあとでも、強力なリーダーシップを持った政治リーダーが生まれるように、統治機構を変えておく必要がある。そこで、憲法改正による、大統領公選制の導入を考えたのである。

一般の法律の成立規定を使った「違憲な憲法改正」

 第五共和制憲法について曽我部教授が「国民の間に長くコンセンサスが成立しなかった」というのは、ド・ゴールが大統領公選制導入のために行った憲法改正の方法である。

 第五共和制憲法の憲法改正規定(89条)は二通りの改正ルートを規定している。①上院下院で多数決で議決した後、国民投票に付す。あるいは、②上下院で多数決で議決したあと、さらに両院合同会議を開き、5分の3を獲得すること。いずれにせよ「議会で多数」という途を通らねばならず、少数派のド・ゴール派には難しかった。

 そこでド・ゴールは憲法にある「重要な法律は国民投票で決める」という趣旨の規定(11条)を、憲法改正に流用したのである。憲法改正規定があるにもかかわらず、一般の法律の成立規定を使って、憲法改正を試みたわけだ。

 これは憲法の名を借りたクーデターではないか。そんな大きな批判が起きるが、ド・ゴールは政治指導力で国民投票を実現させ、投票率77.25%、「大統領公選制」賛成61.75%という結果を得る。フランスには日本にない憲法院という一種の憲法裁判所といえる組織があり、法律が公布される前にその法律が憲法に適合しているか審査する「事前審査」という権限を持つ。当然この「違憲な憲法改正」も憲法院が審査したが、「国の主権の直接の表現」について自ら判断を下すのは適切ではないとの理由で判断を回避した。

 ここに、ド・ゴールの「野望」は完遂し、憲法改正が成立する。以上のような経緯からその正当性は疑われたが、現在はそのような声はほとんどないという。

「改憲反対派の急先鋒だったミッテランが81年に大統領公選制で大統領に就任したからです。ここで第五共和制憲法が右派と左派を越えて認められるようになりました」(曽我部教授)

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