控訴断念すべし。坂口の想いを固めるきっかけとなった、1本の電話がある日掛かってきた。

 「坂口さん、あなたに是非会ってほしい人たちがいるんですよ」

 電話の主は自民党大物政治家の野中広務。野中が坂口に会わせようとしたのは、原告団だった。

 「裁判の結果がどうなるかわかりません。ただ会って話だけ聞いてやってほしい」

 とくに親しい仲でもない野中からの電話に坂口は面くらいながらも了承した。

 5月14日、野中は10人近い原告団を大臣室に連れてきた。そして挨拶だけすると「じゃ、あとはお任せします」と退出した。その手際の良さにも坂口は感心した。

 「あの人は普段の物言いは居丈高なんだけれど、弱者に対しては親身になるところがあるんですよ」

 原告団が語る療養所での生活をメモするために坂口はペンを走らせた。しかしその手はゆっくりとなり、やがて動かなくなった。涙がこぼれて、動けなくなったのだ。

 「ある女性のお話を今も覚えています。その方は中学生のころにハンセン病として診断されて隔離された。ある日、その女性は母さんに会いたくて、施設を抜けだして海を泳いで自宅に帰ろうとしたんです。しかし対岸にすでに職員たちが待ち構えていて、罰として施設内の監禁室に入れられてしまう。中学生の女の子がひとり寝間着1枚でそんなところに入れられて、1カ月間おかゆだけの食事だったそうです」

 当時、規則違反などを犯した入所者に対して、監禁や減食などの懲戒権が所長に認められていた。

 「赤ペンでメモを取っていたんですが、もうメモができんようになった。目が潤んできて……」

 私にその話をしているときも思いだしたのか、坂口はハンカチを目に押し当てた。

逆風に見舞われた坂口厚労大臣の決意

 その出会いをきっかけに、坂口は「控訴断念すべし」という思いを固めた。5月16日の朝日新聞にこんな記事が掲載された。
《厚労相、控訴断念の意見 首相に週内進言へ》

 だが省内は坂口にとって逆風だった。坂口が法務大臣や官房長官とこの問題を話し合おうとすると、必ず役人が先回りして彼らにレクチャーしていた。
「僕が行くことがどこかから情報が漏れてるんですよ。霞ヶ関はすごい組織です。あのときほど役人が怖いと思ったことはない」

 「控訴断念すべし」という個人の想いと、「控訴すべし」という霞ヶ関の論理に板挟みになって苦悩する坂口の姿がメディアでも報じられるようになる。

 18日の朝日新聞が《ハンセン病訴訟 控訴へ》と国が控訴の方針を固めたことを伝えた。以下、朝日新聞の見だしを拾ってみる。
《政治判断より行政のスジ》(18日朝刊)
《元患者ら猛反発》(同日夕刊)
《官の理屈 優先 政治家に説得攻勢》(19日朝刊)
《ハンセン病訴訟原告ら 「国は判決に従って」控訴断念求めて抗議》(22日朝刊)