「違憲性は明白」と「らい予防法」を断罪

 2001年5月11日、熊本地裁で判決が言い渡された。

 「主文。一、被告は、原告らに対し、別紙認容額一覧表の各原告に対応する『認容額』欄記載の各金員及び右金員に対する同一覧表『遅延損害金起算日』欄記載の各日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え」

 裁判長の口から国の賠償責任を認める言葉が流れ出すと、原告団がわき上がった。こぶしを突き出す者もいた。

 判決はわが国の対ハンセン病施策の歴史的推移を医学的見地から考察し、

 《遅くとも昭和三十五年(1960年)には、新法(神田注・1951年に公布された「らい予防法」のこと)の隔離規定は、その合理性を支える根拠を全く欠く状況に至っており、その違憲性は明白となっていたというべきである》

 と、「らい予防法」を正面から断罪した。

 国家賠償が成立するのは「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している」場合に限るとした先述の1985年の最高裁判決は、巧みな解釈でくぐり抜けた。まず1985年判決で問題になったのが選挙権であることを言及し、

 《もともと立法裁量にゆだねられているところの国会議員の選挙の投票方法に関するものであり、患者の隔離という他に比類のない極めて重大な自由の制限を課する新法の隔離規定に関する本件とは、全く事案を異にする》

 さらに「憲法の一義的な文言に違反している」ことについても、

 《(その)表現を用いたのも、立法行為が国家賠償法上違法と評価されるのが、極めて特殊で例外的な場合に限られるべきであることを強調しようとしたにすぎないものというべきである》

 とした。

 1985年判決で問題になったのは憲法第15条の選挙権であり、今回問題になっているのは憲法第13条の人格権であり、問われている人権の種類が違うと述べて、さらに「一義的」とは強調表現に過ぎないとしたのである。判決の効力が及ぶ範囲を専門家は「射程距離」と呼ぶが、熊本地裁判決は最高裁判決を巧みに読み込んで、その射程距離を縮めることに成功した。

 八尋は「完璧な判決文です。大満足」と頷いた。とくに気に入っている部分として、八尋は判決文中の漢字2文字を挙げた。「作出」。 言われて私はまごついた。憲法学者による判例評釈(判例を理論的に分析した評論)などには出てこない文言だ。判決文にこうあった。

ハンセン病違憲国家賠償訴訟団の共同代表・八尋光秀弁護士(福岡弁護士会)

 《(中略)このような新法の存在は、ハンセン病に対する差別・偏見の作出・助長・維持に大きな役割を果たした》

 「ハンセン病に対する偏見は昔からあったというのが厚生省の言い分なんですよ。それは確かにありました。でもね、その差別と偏見を裏打ちしてしまったのが、この法律なんですよ。ただの偏見であるならば、『そんなこというなよ』と言えるわけです。でも法律によって裏打ちされた偏見はハガネのような強さになってしまう。政府はいまだに『助長』と『維持』しか認めないんだけれど、この法律が差別と偏見を『作出』、新たに生み出したんですよ」

国の控訴はあるか

 「らい予防法」はまさに、国家が差別と偏見を作り出した法律だった。原告団はこの2文字に、積年の屈辱を晴らす、胸の空くような思いを得た。

 さらにこの裁判は提訴から2年9カ月という、この種の大型裁判では異例の速さで下された。原告団の入所者たちが高齢なので、「3年以内に判決をもらう」を目標にしていた原告弁護団にとって、この点でも希望に添うものだった。

 この裁判長は現在、裁判官を定年退官して九州で公証人の仕事をされている。私の取材申し込みに対して、
 「裁判官は書いた判決文が全て。他になにも申し上げることはございません」
 と断り、ただ異例ともいえるスピード判決について
「迅速な裁判というのも国民のニーズに応えるものです。原告・被告両方の協力があったからこそ、実現できたものです」

 と答えるに止まった。

 一審には勝ったが、原告団とその弁護士たちはさらに大きな不安が待っていた。国の控訴である。八尋はいう。

 「裁判には自信があったけれど、控訴されるかされないか、この時点では全く見通しがなかった」

 判決が出たのが5月11日、その控訴期限が25日、14日間の駆け引きが幕を開ける。(続く)

 (敬称略)