明日5月3日は70回目を迎える憲法記念日。そこで「ハンセン病違憲国家賠償裁判」について3回のシリーズでお届けする。ハンセン病患者らの人権を侵害する「らい予防法」を放置した国の賠償責任を認めた裁判だ。
日本では長らくハンセン病に対する誤解から、患者の隔離、さらに断種・堕胎という政策がとられてきた。しかもそれは、ハンセン病の研究が進み、特効薬など治療法が見つかったあとも続き、患者や家族を苦しめ続けた。
差別や偏見につながった国の過ちの認定、そして何よりも、人としての尊厳回復を求めて、患者たちは立ち上がった。そして患者が語った国からの過酷な扱いは、法曹界に衝撃を与え、裁判官をも動かした。
第1回は訴訟の提起から判決までを辿る。
抗議活動をするために所沢街道を歩く多磨全生園の入所者たちと、立ちはだかる警官隊(国立ハンセン病資料館収蔵)
ここに1枚の写真がある。撮影されたのは1953年7月31日、場所は所沢街道のどこかとされている。手前の麦わら帽子をかぶった群衆はハンセン病国立療養施設多磨全生園(東京都東村山市)の入所者たちだ。
彼らはハンセン病療養施設の劣悪な環境の改善やさまざまな人権を無視した施策の改善を訴えるため、国会前に座り込みに行こうとしている。その向こうに見える集団は、それを押しとどめようとする警官隊である。
抗議する人々を押しとどめようとした国家の力
私はハンセン病関係の資料を読んでいてこの写真をみつけ、大げさでなくしばらく動けなくなった。
ハンセン病は四肢の麻痺など、患者に大きな障害を残すことがある。また入所者の多くは高齢者だ。夏の暑い盛り、不自由な身体を押して国会に向かおうとする彼・彼女らを止めるのにこれだけの警官隊が必要なのだろうか。また警官の胸に去来するのはなんだろう。ただ命令に従っただけの空白があるのか、それともこちらに向かってくる人たちの姿を見て、いくばくかの痛みを感じることもあったのか。行進する側も抑える側も、個人の想いは国家の意思という歯車にすり潰される。
2001年5月11日、熊本地裁のある判決が日本中を震わせた。ハンセン病施設の入所者たちが求めていた国のハンセン病政策の過ちを認め、「らい予防法は人権を著しく侵害し、違憲性はあきらか」と国の敗訴を申し渡したのである。理論的に国側勝訴の予測があっただけに国の衝撃は大きく、厚生労働省の職員が速報のテレビに「なんで、なんで」とうわごとを呟きながら慌てる姿が当時の新聞で報じられている。(熊本新聞2001年5月11日)
これから私が伝えるのは、国家の歯車に抵抗した人々と、それを見て見ぬ振りしてきた私たちの物語である。
家族と引き裂かれ、堕胎・断種を強制された患者の声
ことのきっかけは1995年9月1日、鹿児島県にあるハンセン病療養施設星塚敬愛園に入所する島比呂志(故人)から九州弁護士会連合会(略称:九弁連)へ送られてきた一通の手紙である。
その手紙には、「らい予防法」の廃止が目前に迫った中で、国がそれまで推し進めてきたハンセン病患者への隔離政策、事実上強制される堕胎・断種など「絶滅政策」についてなんら総括もされず、このまま曖昧なまま幕引きがされようとすることへの島の悔しさが綴られていた。そして島は
《ただ一つ気になるのは、人権に最も深い関係を持つはずの法曹界がなんらの見解も発表せず、傍観の姿勢を続けていること》
として、弁護士会の責任を正面から問うていた。
九弁連は島の「告発」に飛び上がった。九弁連の人権擁護委員会準備委員でのちにハンセン病違憲国家賠償訴訟団の共同代表になる八尋光秀弁護士は、その手紙を読んだ。
「そのような人権侵害が隔離施設で行われていたことを我々は把握してなかったですからね。それはもう、ごめんなさいというほかなかった」
それで園まで島に会いに行った。ハンセン病療養施設は隔離施設として建てられたので、へんぴなところにある。初めて訪れた者にはのどかな空間に思えた。同行した弁護士が思わず
「いいところですね」
と島に言うと、
「そうかい? 住んでみるかい?」
と返されて弁護士らは何も言えなかった。
「らい予防法」の改廃は既に既定路線に乗っており、いまさら九弁連が意見声明を出したところで遅きに失した感がある。だがなにもしなくていいとはならない。それで九弁連は今までの人権侵害の実態を把握するため、95年11月に星塚敬愛園(鹿児島県)と菊池恵楓園(熊本県)での現地聞き取り調査を実施した。さらに翌年96年1月には、九州に五園ある療養施設でのアンケート調査を実施した。
回答率3割を目指したそれは、全2299名中1391通、実に6割近い回答を得た。断種・堕胎の有無に回答した人の3割が断種・堕胎を強制されていて、少なくない人が医師免許を持たない者によって手術されていた。
またそれらに加えて、療養所の許可無く外出した場合など、「秩序を乱した」と所長が判断した場合、独房のようなところに入所者を監禁する懲罰も存在した。偽名の強要(入所すると本名を捨てさせられ、園内だけの名前を付けられた)、死体解剖などが行われていたことも判明した。
ハンセン病療養施設・多磨全生園(東京都東村山市)の納骨堂
「これからどうやって人生を回復しろというのか」
96年3月19日、九弁連は「ハンセン病患者に対する、重大な人権侵害を許容する法律の存在を長きにわたって許してきたことを反省し、その方々のための人権の回復のためにできる限り尽力する」という声明を出した。3月31日、国は「らい予防法廃止法」を制定し、強制隔離条項を廃止し、厚生大臣は「法の廃止が遅れ皆さんに苦労をかけた」という趣旨の謝罪をした。
しかしそれで済まなかった。九弁連が贖罪の気持ちを込めて各療養所で行った無料法律相談会やシンポジウムで、元患者、療養者たちの怒りは爆発した。
「これからどうやって人生を回復しろというのか」「強制隔離は国の犯罪では無いか」「『らい予防法』は違憲だったのではないか」「憲法裁判はできますか」「弁護士さんは引き受けてくれますか」
98年7月31日、星塚敬愛園の療養者9名、菊池恵楓園の4名の合計13名が、「らい予防法」の廃止が遅れたことに対する国の謝罪と賠償を求めて、熊本地裁に提訴した。弁護団は徳田靖之、八尋光秀を共同代表にして九州の弁護士への呼びかけで弁護士137名が名前を連ねた。「ハンセン病違憲国家賠償裁判」である。のちに熊本地裁に提訴した原告の療養者たちは127名にのぼり、東京地裁、岡山地裁でも同様の提訴がなされた。
「不治の病」「恐ろしい伝染病」という病気への誤解
訴訟について紹介する前に、ハンセン病についてごく簡単だが、その隔離法制と病について紹介しておく。
ハンセン病にかかわる法律は1907年の「法律第11号癩(らい)予防二関スル件」から始まる。31年には「癩(らい)予防法(旧法)」に改正され、全患者が隔離の対象になった。「癩(ハンセン病)」は不治の病であり、患者を社会から隔離して死に絶えるのを待つ、というのが国のハンセン病「対策」だった。人権意識が乏しく、ハンセン病についての研究も進んでいなかった時代の話である。
しかし戦後、日本国憲法が公布されて人権意識が高まり、医学の研究が進んでも国のハンセン病患者への姿勢は変わらなかった。1948年、日本癩学会が特効薬プロミンの効果を認めたのにもかかわらず、「優生保護法」でハンセン病患者の生殖を不能にする優生手術が認められた。さらに冒頭の写真で触れたように患者団体が抗議を繰り返したが、53年に強制隔離を継続する内容の「らい予防法」が公布施行された。
ハンセン病について現在の医学的に確立している知見を紹介しておく。
- ハンセン病は遺伝しない。
- ハンセン病は伝染病ではあるが、その感染力は弱く、感染してもごくまれにしか発病しない。
- たとえ発病しても初期の状態であれば、経口の特効薬で通院治療で完治できる。
現在、国立ハンセン病療養施設は全国に13カ所ある。
この訴訟の特徴は、人権を侵害する「らい予防法」を国会(立法府)及び内閣(旧厚生省)は1996年より早く廃止すべきでは無かったのか、ということを問題にしたことである。これを「立法の不作為」と呼ぶ。憲法訴訟では法律の適用とか行政処分とか、「立法の作為」をとがめることが多い。「ハンセン病違憲国家賠償裁判」は国会が人権侵害の法律を長く放置していたことを責めたのである。
らい予防法の違憲性を主張、憲法にもとづく賠償を要求
原告団の主張を憲法の面からごく簡単にまとめると、
- 「らい予防法」は事実上の強制隔離、断種、中絶などを定めており、日本国憲法13条の人格権、同22条の居住・移転の自由などに違反している。
- 「らい予防法」は96年に廃止されたが、その違憲性はその前から明らかであり、同法はもっと早く廃止されなければならなかった。この国の不作為による人権侵害が起きた。
- 「らい予防法」が長年放置されていたことによって、療養者たちは多大な損害を被った。憲法17条の国及び公共団体の賠償責任を定めた規定にもとづき、賠償を求める。
この訴訟は、原告団が乗り越えなければならない大きな壁があった。1985年の最高裁判所判決である。
この事案は、歩行することが困難な原告が、選挙における在宅者投票制度が廃止されたために選挙権が侵害されたと、在宅者投票制度が立法されない「立法不作為」は憲法15条(選挙権)等に違反しているので国家賠償せよと訴えた裁判である。
最高裁は原告の控訴を棄却して、原告の敗訴が確定した。その判決の中で立法府が国家賠償の責任を負う場合として、このように書いた。
《国会議員の立法行為は、当該立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定しがたいような例外的な場合で無い限り、国家賠償法1条1項の規定の適用上、違法の評価を受けない》
「一義的には」とは他の解釈の余地なく、といった意味である。要するに法律の文言が憲法に抵触していることが誰が見ても明らかな場合以外は、国会議員は国家賠償の責任は負わない、という判断である。これは事実上、国会議員に対する国家賠償への途を閉ざしたと評価されていた。
裁判官に入所者の生の声をきいてもらう
弁護団は行政法学者や刑法学者の意見を聞きながら理論を組み立てつつ、八尋は違う法廷戦術を考えていた。
「人間は論理だけで結論は出すことはしません。まず自分の感覚で結論をとらえて、そこに至る論理を考える。それは弁護士も裁判官も同じです」
つまりこの裁判のポイントは、
「まず裁判官が原告のみなさんについてどう思うか」
ということだと八尋は考えた。そもそも八尋たちも入所者たちに会って心を動かされ、この訴訟を起こした。同じ「体験」を裁判官にもしてほしい。
「私たち弁護団が心を動かされたものを正確に伝える。原告の入所者さんたちがどのようにこの訴訟に立ち向かったのか、まずは原告団の証言です。それとそれを取り巻くリアリティです。現場の療養所に裁判官に足を運んでもらう。そこでできるだけ多くの入所者さんの生の声を聞いてもらう」
「生の声」とはつまり、以下のような証言である。入所者同士で結婚し、妊娠した妻が堕胎手術を受けさせられたことを陳述した男性がいた。
――お子さんはどうしましたか。
「堕胎させられました」
――なにを覚えていますか。
「声が聞こえたんですよね」
――誰の?
「赤子です」
――そこにいたのは誰ですか。
「国家公務員の医師と看護師です。そして私の女房です」
――そのあとどうなりましたか。
「看護師から『あなたも共犯よ』とへその緒を渡されました」
――それはどうしましたか。
「園の中で犬に掘り起こされないところ、波にさらわれないところを探して、こっそり埋めました。毎日、夫婦で手を合わせて拝んでいます」
――そのことを園の人は知っていますか。
「誰にも話したことはありません」
多磨全生園でホルマリン漬けの「胎児標本」を鎮魂するため建てられた「尊厳回復の碑」
ちなみに2017年2月16日に出された日本弁護士連合会(日弁連)から出された「旧優生保護法下において実施された優生思想に基づく優生手術及び人工妊娠中絶に対する補償等の適切な措置を求める意見書」によると、ハンセン病を理由とする中絶は合計7696件も実施されたと報告されている。さらに中絶した胎児をホルマリン漬けにして標本にした「胎児標本」は全国のハンセン病療養所及び国立感染症研究所において全部で114体が確認されている(2005年「ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書)。国内最大の療養施設・多磨全生園(東京都東村山市)でも36体の胎児標本が発見され、06年、胎児たちの慰霊碑「尊厳回復の碑」が建てられた。
裁判長の補充質問に起きた拍手と喝采
裁判で証言が続くと、傍聴席からもすすり泣きの声が聞こえるようになった。国側の代理人が反対尋問で原告に
「それでもあなたは今、国の税金で暮らしているんですよね」
と投げかけたとき、裁判長の顔が歪んだのを八尋は覚えている。
鹿児島の療養所での出張尋問では、そこの園長が入所者たちに「国を訴えてしまうと、そのことで今後の園内の処遇が悪くなるかも知れない」と話していたことがわかった。これは入所者たちにとってすれば一種の「恫喝」のように響き、実際、その園では入所者たちの自治会では訴訟に反対する立場をとっていた。
入所者たちは「ハンセン病」と診断されたときに、故郷から追われるように園に入った者も多い。親兄弟とも縁が切られ、帰る場所を失っている人がほとんどだ。国のお世話になっているのに国を訴えて、万が一にも園が閉鎖することようなことになれば、明日から食べるのも困る。そんな入所者たちの不安につけ込んだ園長の発言だった。
原告・被告両代理人の各尋問のあと、裁判長が園長に補充尋問を行った。
「あなたは、裁判を受ける権利というのはわかりますか」
と裁判長は園長に問い掛けた。憲法第32条《何人も、裁判所において裁判を受ける権利は奪われない》という規定のことである。
裁判長は重ねてこう問い掛けた。
「裁判を受ける権利というのは、裁判の結果(注・訴訟を起こしたという結果)によっていかなる不利益も受けない、ということではないんですか」
補充尋問なので園長への質問という形を取っているが、これはつまり、裁判長が「訴訟を起こしたことを理由に不利益は下されないことが、憲法の権利なのだ」と原告団に説明しているのである。傍聴席の原告からどよめきと拍手がわき起こった。裁判長への感動の拍手だった。同席していた弁護団のひとりは《裁判長の補充質問に傍聴席から拍手喝采、こんな場面は見たことも聞いたこともない》と書き残している。
出張尋問が終わると、八尋は証言に立った入所者たちに裁判長のもとに挨拶に行くように促した。入所者たちはだいたいが裁判長の親世代である。彼らが近づいて「ご苦労様でした」と頭を下げると、裁判長も「長い間、ご苦労様でした」「お元気でね」と頭を下げた。
「感触は自信がありました。負ける気が全くしなかった。でも問題は判決の中味ですね。国の責任が曖昧にされたり、歴史的総括がなされなければ、たとえ勝ったにしても判決を捨てようというのはあり得ました」(八尋)
判決を言い渡す前の月の下旬、裁判長はある会合でこういったと八尋は聞いた。
「完璧なものを書き上げました」
「違憲性は明白」と「らい予防法」を断罪
2001年5月11日、熊本地裁で判決が言い渡された。
「主文。一、被告は、原告らに対し、別紙認容額一覧表の各原告に対応する『認容額』欄記載の各金員及び右金員に対する同一覧表『遅延損害金起算日』欄記載の各日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え」
裁判長の口から国の賠償責任を認める言葉が流れ出すと、原告団がわき上がった。こぶしを突き出す者もいた。
判決はわが国の対ハンセン病施策の歴史的推移を医学的見地から考察し、
《遅くとも昭和三十五年(1960年)には、新法(神田注・1951年に公布された「らい予防法」のこと)の隔離規定は、その合理性を支える根拠を全く欠く状況に至っており、その違憲性は明白となっていたというべきである》
と、「らい予防法」を正面から断罪した。
国家賠償が成立するのは「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している」場合に限るとした先述の1985年の最高裁判決は、巧みな解釈でくぐり抜けた。まず1985年判決で問題になったのが選挙権であることを言及し、
《もともと立法裁量にゆだねられているところの国会議員の選挙の投票方法に関するものであり、患者の隔離という他に比類のない極めて重大な自由の制限を課する新法の隔離規定に関する本件とは、全く事案を異にする》
さらに「憲法の一義的な文言に違反している」ことについても、
《(その)表現を用いたのも、立法行為が国家賠償法上違法と評価されるのが、極めて特殊で例外的な場合に限られるべきであることを強調しようとしたにすぎないものというべきである》
とした。
1985年判決で問題になったのは憲法第15条の選挙権であり、今回問題になっているのは憲法第13条の人格権であり、問われている人権の種類が違うと述べて、さらに「一義的」とは強調表現に過ぎないとしたのである。判決の効力が及ぶ範囲を専門家は「射程距離」と呼ぶが、熊本地裁判決は最高裁判決を巧みに読み込んで、その射程距離を縮めることに成功した。
八尋は「完璧な判決文です。大満足」と頷いた。とくに気に入っている部分として、八尋は判決文中の漢字2文字を挙げた。「作出」。 言われて私はまごついた。憲法学者による判例評釈(判例を理論的に分析した評論)などには出てこない文言だ。判決文にこうあった。
ハンセン病違憲国家賠償訴訟団の共同代表・八尋光秀弁護士(福岡弁護士会)
《(中略)このような新法の存在は、ハンセン病に対する差別・偏見の作出・助長・維持に大きな役割を果たした》
「ハンセン病に対する偏見は昔からあったというのが厚生省の言い分なんですよ。それは確かにありました。でもね、その差別と偏見を裏打ちしてしまったのが、この法律なんですよ。ただの偏見であるならば、『そんなこというなよ』と言えるわけです。でも法律によって裏打ちされた偏見はハガネのような強さになってしまう。政府はいまだに『助長』と『維持』しか認めないんだけれど、この法律が差別と偏見を『作出』、新たに生み出したんですよ」
国の控訴はあるか
「らい予防法」はまさに、国家が差別と偏見を作り出した法律だった。原告団はこの2文字に、積年の屈辱を晴らす、胸の空くような思いを得た。
さらにこの裁判は提訴から2年9カ月という、この種の大型裁判では異例の速さで下された。原告団の入所者たちが高齢なので、「3年以内に判決をもらう」を目標にしていた原告弁護団にとって、この点でも希望に添うものだった。
この裁判長は現在、裁判官を定年退官して九州で公証人の仕事をされている。私の取材申し込みに対して、
「裁判官は書いた判決文が全て。他になにも申し上げることはございません」
と断り、ただ異例ともいえるスピード判決について
「迅速な裁判というのも国民のニーズに応えるものです。原告・被告両方の協力があったからこそ、実現できたものです」
と答えるに止まった。
一審には勝ったが、原告団とその弁護士たちはさらに大きな不安が待っていた。国の控訴である。八尋はいう。
「裁判には自信があったけれど、控訴されるかされないか、この時点では全く見通しがなかった」
判決が出たのが5月11日、その控訴期限が25日、14日間の駆け引きが幕を開ける。(続く)
(敬称略)
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