遠藤は、「憲法学者の価値があるとすれば、アホといわれても理想を言い続けている人たちであることです」という。

――でも、憲法学者がそのような「理想の殻」に閉じこもっていたから、昨年の閣議決定のように「現実論」に理想の脇腹を突かれて、今のような事態を招いているのではないですか。

 私の「反論」に、遠藤は首を振り、「逆です。理想論こそが現実論であり、現実論を説く者は事実の隠蔽を行うのです」と、机上の一冊に本を示した。矢内原忠雄の「日本の傷を醫す者」。実はこの本はインタビューの始まるときから置いてあった。遠藤は私とこういう展開になると予想していたのだろうか。

矢内原忠雄「国家の理想」。昭和12年「中央公論」誌上に発表。反軍国主義的内容で、矢内原は大学を追われた

「無批判」は理想の欠乏、正義への感覚の喪失から生まれる

 矢内原忠雄は戦時中の東大教授で、昭和12年、盧溝橋事件のあとにこの本の中に収められている「国家の理想」という論文を発表したことなどが原因で、職を追われている。

 漢字表記をひらがらに改めるなどして、その一部を抜粋する。

《現実国家の行動態度の混迷する時、国家の理想を思い、現実国家の狂する時、理想の国家を思う》

《現実を批判するものは理想である。あたかも地上物件を爆撃するためには飛行機が離陸しなければならないが如く、また敵の飛行機を打ち落とすためにはそれよりも更に高く飛び上がることが必要であるが如く、現実を批判し指導するためには理想を明らかにし、理想の世界に足場を据えなければならない。理想の高度の高きほど、現実批判は強力たり得るのである》

《かくして我らが国家の理想として認識する(原理は)(中略)『正義』である。(中略)更に具体的に言えば、弱者の権利をば強者の侵害圧迫より防御することが正義の内容である》

《国家内にありて強者が自己の生存上の必要という名目の下に弱者の権利を侵害することが正義原則に反するものであって、国家の本質、国家の理想を裏切り、国家の品位を毀損するものであるが如く、国際間にありて強国が自国生存上の必要と称して弱国の権利利益を侵害することもまた正義原則に反するもの(後略)》

《理想は無形であり、抽象的であり、形而上学である。正義、真理またしかり。しかしながら無形必ずしも無力者ではない。現実は理想を歪曲することを試みても、これを滅却することはできない。(中略)国家の理想をないがしろにすることはできない。(前略)国民中1人ありて、これを堅持し、これを明徴することを要す。これこそ真の愛国である》

《多くの人はいう、「我らは現実の事情に通ぜざるが故に、政策の是非正邪を識別することが出来ない」と。(中略)しかしながら現実政策の是非を判断する標準は現実の事情にのみあるのではなく、国家の理想、すなわち国家の国家たる品位こそ、現実政策の正邪を判断すべき根本標準である。(中略)現実に没頭し、現実に引きずられて行く限り、事情に通ぜざる国民は到底現実政策の批判者たるを得ないが、ひとたび国家の理想に自己の立場を置く時、その正邪の国民中最も平凡たる者にも可能である。無批判は知識の欠乏より来るものではない。それは理想の欠乏、正義に対する感覚の喪失より来る。直感の貧困、啓示の枯渇より来る。ここにおいて国家非常時に対する哲学・宗教の任務の特に重要なるを知るのである》