目が開く想いがした。

 「大学を辞めたのにまだ学者の頭から抜けてなかったんですね。私は学ぶ場所はいつも大学の中だと思い込んでいたのです。学びの場はどこにでもあることに気づかされました」

 学びの場は釜ヶ崎として、糧の途はどうするか。労働者たちから「それやったら俺らの弁護士になってくれ」という声が上がった。法学部で法律科目を5年以上教えた者は、司法試験を経なくても弁護士資格を得ることができる。遠藤にはその資格があった。1年と少し、大阪弁護士会所属の弁護士事務所に弟子入りして実務を学んだ後、独立した。

憲法学者は、ときにニュートラルではいけない

 弁護士となって初めて取り組んだ憲法訴訟が1997年に大阪で始まった「思いやり予算違憲訴訟」だった。法的根拠があやふやな在日米軍の駐留経費の支出は「財政規定」としての憲法9条に抵触するという内容で、遠藤は憲法理論部分を担当した。

 その過程で沖縄の反戦地主の知花昌一のことを知った。知花は87年に沖縄県で開かれた国民体育大会のソフトボール試合会場で掲揚されていた日の丸の旗を焼き、逮捕された経験がある。右翼団体はその報復として、沖縄県読谷村にあった集団自決の鎮魂像を破壊した。その後も知花は一方的に収用された自分の土地を取り返そうと戦いを続けていた。

 また西成の労働者の人権問題にも関わっていった。2007年、釜ヶ崎の解放会館を住所として定めていた多くの労働者の住民票が、西成区役所によって削除される事件がおきた。解放会館を便宜上の住所と置くことは定住先を持たない労働者たちに長年認められていた慣行だった。住民票を削除されると、選挙で投票することができない。

 遠藤はこうした経験を重ねていって、「憲法論をどこから捉えるか、足場をいただいた」という。

 「たとえば憲法9条が拘束している問題はどこから唱えるべきか。それは憲法学者が書斎から唱えるべきことではなくて、沖縄の知花昌一の戦い、知花と連帯した読谷村の山内徳信村長の戦い、山内に連帯した大田昌秀知事の憲法論が本当の意味でのプロフェッショナルな市民の憲法論であり、それを前提として法的に説明するのが学者の仕事だということです」

 昨年の集団的自衛権についての閣議決定以降、多くの憲法学者がメディアを通じて発言している。

 「私が東北大学に赴任したとき、広中俊雄先生(故人。元東北大学名誉教授であり日本を代表する民法学者のひとり)から、『遠藤君、憲法学者は一生に一度のこれは、というときに発言すべきだ』と言われました。だから憲法学者として、憲法解釈として黙ってちゃいけないときがあるのです。特定秘密法案や閣議決定について、発言しないと憲法学者じゃないですよ。憲法学者はそういうときにニュートラルではいけない」

現実論を説く者は事実の隠蔽を行う

 一方で、そうした憲法学者たちの「礎」が市民からの問い掛けに立脚しているのか、気になる。

 「たとえば憲法改正で国民の信を問うという。でも釜ヶ崎では住民票を行政から一方的に削除されて、投票できない人々がいる。そういったひとりひとりを『国民』の中に入れてくれよ、と思う。まずそこからじゃないですか」

 「緊急事態条項についてもそうです。関東大震災では朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだというデマが広がり、多くの朝鮮人居住者が殺されました。あの背景にあったのは、軍によって敷かれた戒厳令です。国内に外地人=敵がいるから、というのがその理由でした。それが流言飛語を産む土壌になったのです。この経験がまだ過去のものになっていないのは、在特会の存在が証明しています。大阪のど真ん中で、まだ彼らは『鶴橋大虐殺が起きまっせ』と叫んでいるじゃないですか。戒厳令条項によって表現の自由がどうとか、諸外国ではどうとか、抽象的な、礎の上に立たない議論をしないでいただきたい」