「日本に憲法て、あるんか」

 もう今さら辞めなくてもいいか……と思いかけていたときに、「釜ヶ崎に出会った」。

 辞める1年前の夏、社会運動に関心があった遠藤は初めて釜ヶ崎を訪れた。夜、路上で多くの労働者たちが寝転んでいる姿と、またその人たちに誰も声を掛けたり心配しないという光景に驚いた。案内をしてくれた日雇い労働者のおっちゃんと居酒屋に入ったが、胸が詰まり、目の前の焼き魚に手が出せない。

 「それ、要らんかったら食べていいか」

 頷くと、おっちゃんは遠藤の焼き魚を食べ、ビールをあおった。

 「仕事はなにしてるんや」
 「大学で憲法を教えています」

 

 おっちゃんは不思議そうな顔をした。

 「日本に憲法て、あるんか」

 

 その言葉を今も忘れない。

「学問において、どのような『問い』を立てるのかは、とても重要です」

 遠藤はそう言う。

 「問い」とは、私が住んでいるノンフィクションの世界では「テーマ」に当たるだろうか。だが遠藤のいう「問い」と「テーマ」は、若干違うようにも思う。というのは「テーマ」は書き手を前提にしなくても存在しえるが、遠藤の「問い」は、「誰が」ということを抜きにして存在し得ない。

 「日本に憲法はあるのか」というのは、遠藤が初めて耳にした市民からの憲法への「問い」であった。

 その年の秋にも釜ヶ崎に学生たちとともに訪れ、いわゆる路上生活者たちの「越冬隊」、冬の炊き出しにも参加した。そうした活動を続けていくうちに、忘れていた「宣教師となって奉仕する」という気持ちが再燃していく。翌年6月、自分を引き留めていた法学部長が海外出張に出かけている隙を狙って2度目の辞表を提出し、難航しながらも教授会から認められた。

「それやったら俺らの弁護士になってくれ」

 退職が決まり、遠藤は芦部信喜の自宅に報告に向かった。愛弟子が大学を去ることに芦部は悔しさがあったのだろう、

「俺が知っている牧師はもっとまともな男だけどなあ」

と遠藤につぶやいた。2人は憲法訴訟論についての対談本の企画を進めていたが、遠藤の退職と芦部の死去により、ゲラのままで世に出ることは無かった。

 退職して遠藤は日本基督教団西成教会の金井愛明牧師(故人)の元に身を寄せた。教会が主宰する「いこい食堂」の片隅に居候させてもらいながら、教会の炊き出しを手伝ったり、鉄筋工の「手元」(素人の見習い作業員のようなもの)をして日雇い労働にも出かけた。

 大学の神学部の願書を取りにいったが、聖書の勉強を続けている自分が1年からやり直すことに徒労感があった。宣教師の養成学校も検討したが、なぜか授業料がバカ高かったので諦めた。思案顔の遠藤に金井牧師が声を掛けた。

 「遠藤さん、あんたも大学の先生で知らず知らず傲慢になってるかもしれないから、釜ヶ崎でせいぜい勉強しなさいよ」