亡くなった患者の寝間着をとりあっている

 前例もない裁判のために、提訴から判決まで3年かかり、その間に呼んだ証人は原告側・厚生省側あわせて約30人という。また浅沼裁判長ら自ら療養所に足を運び、朝日さんの証言を聞いた。浅沼裁判長は小中氏にしばしば、「憲法は絵に描いた餅ではない」と語っていたという。

 証人台に上がった療養所の看護婦らは、所管の厚生省相手の裁判にためらいながらも、患者たちの寝間着が現物支給になっており、亡くなった患者の寝間着を争うようにとりあっている実態を証言した。また、朝日さんが受給していた毎月600円は「日用品購入相当額」とされていたが、基準となる日用品について、シャツは2年に1枚、パンツは1年に1枚、タオルは年に2本、ちり紙は月ひと束と計算されていることもわかった。これは当時でも劣悪な入院環境で、これが憲法に保障された「健康的で文化的な最低限度な生活」なのか、憤激した人々も多かった。

 厚生省側は早稲田大学の末高信教授が証言した。

 「日本のチベットといわれる岩手県の山岳地帯や、離島農村地帯の人たちは、着たきりの服か着物であり、子どもは裸足で走り廻っている。(中略)生活扶助ではちゃんと予算に肌着の代金が出されていたり、身の回り品として草履だの下駄だのが買えるようになっているのはけっこうではないか。(中略)日本には生活保護水準かあるいはそれとすれすれの人が一千万人近くいる。このボーダーライン層の人びとに、いますぐ生活保護法を適用すれば、国の財政がもたないであろう。ボーダーライン層の人びとも、肉体的に生存を維持しているので保護を与える必要はない。(後略)」

 つまり朝日さん以下の生活を送っている人はまだ多く、彼らから比べるとまだマシではないか、ということである。生活保護受給権が25条で定められた人権という考えはなく、「施し」であるという意識をうかがうのは私だけだろうか。

朝日さんの遺影を掲げ「朝日訴訟を勝ち取る大行進」をする支援たち(毎日新聞社/アフロ)

一審勝訴も、二審で一転敗訴

 1960(昭和35)年10月19日、一審は、朝日氏に対する福祉事務所の決定は憲法25条に違反して無効、と判決した。

 判決はまず憲法25条が努力規定という通説理解に対して、

《もし国が(中略)この憲法の条項の意味するところを正しく実現するものでないときは、ひとしく本条の要諦をみたさないものとの批判を免れないのみならず、もし国が生存権の実現に努力すべき責務に違反して生存権の実現に障害となるような行為をするときはかかる行為は無効と解しなければならない》

と、具体的な効力を認めた。