(前回から読む)
モスクワの地下鉄は全長300kmあまり、12路線が運行している。いずれも頻繁に運転されており、市内の有名な観光名所へのアクセスがいいので、旅行者にも便利だ。
そして、ここでは地下鉄の駅自体が観光名所の一つでもある。ホームやコンコースの装飾が美しく、それだけを目的にしてモスクワの地下鉄めぐりをしている人もいるほどだ。
地下鉄10号線、スレツェンスキー・ブルヴァール駅。10号線は新しいからか、構内はシンプルなデザイン
とはいえ、地下鉄構内の警備は厳しく、とくに改札口付近はカメラを出して撮るのがはばかられる雰囲気だった。また、長いエスカレーターの下には小さな監視小屋のようなものがあり、そこで中年男性が周囲を見渡したり、座ってモニターを見ていたりする。
確かに、モスクワ市内では21世紀に入ってからも何度かテロ事件が起きており、最近でも2010年に2つの地下鉄駅で同時自爆テロが発生して、乗客37人が亡くなるという事件が起きているので、それを考えれば多少のうっとうしさはしかたがない。
ところで、モスクワの地下鉄構内は撮影禁止だという人もいるが、ソ連崩壊後に解禁になったという話もあって事実はよく分からない。いずれにしても、30年前に来たときにもこっそり写真は撮っていた。余談だが、日本でも東京メトロではつい最近まで駅や施設内での撮影は禁止だった(2012年に解禁)。
モスクワの地下鉄で撮影するときのマイルール
ソ連時代の写真撮影で心がけたのは、「撮るときは堂々と、撮り終えたらすみやかにカメラをバッグにしまう」である。
地下鉄2号線ノヴォクズネツカヤ駅。この駅のホームの壁には、手の込んだ彫刻があった
写真撮影が制限されていたとはいえ、いかにも「隠し撮りをしています」という様子では挙動不審者である。むしろ、撮るときは堂々としたほうがいい。しまうときも、やましさを表面に出さないように、毅然としてスピーディに行動するのがコツである。これが功を奏したのかどうかは知らないが、文句を付けられたことはなかった。
地下鉄1号線コムソモーリスカヤ駅。彫刻とシャンデリアが美しいコンコース。実はここでもかなり警備が厳しかった
しかし、現在ではあちこちに監視カメラがある。そこで、どこで行動を見られていてもいいように、私なりに不審に感じられない演技を考えてみた。
まず、撮る前に被写体をじっくり眺めながら、「すごいなあ、立派だなあ」という表情をする。そして、軽くうなずきながら、「これはぜひカメラに収めるべきだ」という雰囲気を醸しだすのである。撮り終わったら、いつまでもファインダーを覗いていないで、すみやかにカメラを元の位置に戻す。
今や、観光客がカメラを持っているのは当然なので、いちいちバッグに収納することはしない。手で持つなり、肩や首にかけるなりすればいいとした。
しかめっ面で撮ってはイケナイ
もちろん、いかにも「私は観光客です。記念に写真を撮りたいなあ」という、屈託のない表情でいることも大切。できれば、ちょっと間の抜けたような、のほほんとした表情ができれば完璧である。
この長~いエスカレーターがモスクワの地下鉄の特徴。戦争が起きたときのシェルターの役目もあるという
間違っても、しかめっ面をしながらカメラを長時間構えていてはいけない。以上のマイルールで何も問題は起きなかった。ただし、あくまでも私の勝手な考えなので、あとは自己責任でよろしくお願いしたい。
実際のところ、ロシア鉄道との乗換駅がある改札付近は、かなり警戒が厳重だったが、あまり乗降客の多くない駅ではそれほど緊張感はなかった。
もっとも、帰る前日になって、プーチン大統領がシリア空爆を発表したものだから、警戒も厳しくなるのではないかと心配していたが、1日では目に見える変化はなかった。その後はどうなったか分からない。
駅のあちこちに残る社会主義時代の残り香
ホームも豪華だったが、地下鉄のコンコースで興味深かったのは、ソ連時代からの装飾がそのまま残っていること。鎌とハンマーの共産党のシンボルがあるかと思えば、ホームの端には労働者をたたえるレリーフも飾られている。さらに、都心部の駅の出入口には、レーニンの似顔絵が描かれていたところもあった。
社会主義時代には、あちこちで見られた労働者のレリーフ
ソ連崩壊とともに、レーニンの銅像が倒されたり、共産党のシンボルマークが壊されたりする映像をテレビで見たが、現地に行ってみると意外にあちこちに残っているように感じられた。国によっては、体制が変わったとたんに、旧体制の遺物をことごとくなかったもののように取り壊してしまうが、その点ロシアは意外と融通が利いているようである。
ふと見上げると、こんなところにあのシンボルマークが
乗るべき電車は右?左?
車両はといえば、まさに質実剛健という言葉がふさわしい年季の入ったもの。重々しいモーターの音をトンネルに響かせて走る。駅間の距離は日本にくらべてずいぶん長く、かなりのスピードで走る。
駅の表記は、基本的にロシア語だけなので注意が必要だ。ラテン文字(英語)表記の路線図を持っているだけでは不便。ロシア人に見せてもまず分からない。最近では、キリル文字(ロシア語)とラテン文字を切り換えて路線図を表示するスマホ・タブレット用アプリがあるので、それを利用するといい。
路線には番号が振られていて、それぞれシンボルカラーがあるので、乗り換えも日本の地下鉄と同じ要領でいい。ただ問題なのは、いざホームにたどり着いて、右と左のどちらの電車に乗るかということ。それぞれ、停車する駅名がすべて表示されているのだが、それがすべてキリル文字なのだ。だから、自分の行く方向の隣駅か終点の駅名でもいいので、先頭と2文字目くらいは図形認識で区別できるようにしておいたほうがいい。
壁や床の表示をしっかり見ていれば、乗り換えに迷うことはない。数字は路線の番号
ツルゲーネフではなく「ツルゲーネフスカヤ」
ところで、駅名にはツルゲーネフ、メンデレーエフ、マヤコフスキーといった懐かしい名前に交じって、クロポトキン、コムソモールという、いかにも社会主義時代を思わせる駅名も耳にして、なかなか興味深かった。
ただし、スタンツィーヤ(駅)という名詞が女性形なため、地下鉄の駅名はツルゲーネフスカヤ、クロポトキンスカヤのように女性形になるのがおかしい。
それに対して、ターミナル駅(バグザル)は男性形のため、同じ場所にあってもロシア鉄道の駅は男性形でキエフスキー、地下鉄の駅は女性形でキエフスカヤというように、別の名前になるのが、これまたおもしろい。
地下鉄1号線ビブリオテーカ・イメーニ・レーニナ駅の出口で見つけたレーニン
切符は1回券、2回券、5回券、10回券があった。
1回券と2回券は券売機で買えるが、5回券と10回券は、ロシア語しか通じない窓口で買う必要がある。5回券だったら、「ピヤツィ(5)」といいながら片手をパーの形に開いて見せれば、通じるだろう。
10の発音はとっても難しいので、ここでは省略。私たちの場合、5回券を2枚買おうとして難儀したが、必死のジェスチャーを交えてなんとか購入できた。
キリル文字の看板を楽しむ
ロシアの個人旅行に二の足を踏む理由として、ロシア語が分からないということと、あの文字が理解できないことを挙げる人がいる。
でも、ほかの人はどうか知らないが、私にとってロシアの町をぶらぶらと散歩する楽しみの一つは、まさにそのキリル文字の看板を眺めることだった。
「あんな変な文字なんか、どうやれば読めるんだ」という人がいるけれど、英語やフランス語で使われるラテン文字と共通している字も多くある。少なくとも、アラビア文字やハングルのように、ゼロから勉強する必要はない。
会話ができなくても、あの文字の発音のしかただけ覚えておけば何かと便利である。「レストラン」や「スーパーマーケット」など、英語と共通の語彙ならば、発音さえできれば、どんな店であるかがすぐに分かるのだ。
なかでも旅行者にとって必須の看板が、上の「PECTOPAH」。ペクトパーではなく「レストラン」である。
「P」がラテン文字の「R」に当たるのは、誰しも最初にとまどうところだが、数学や物理学をやっていた人は、数式に出てくる「ρ」(ロー)を思い出すだろう。そう、ロシア語のキリル文字の多くは、ギリシャ文字に起源があるのだ。
П(ラテン文字のPに当たる)は円周率のパイだし、Г(ラテン文字のG)はガンマ線のガンマ、Л(ラテン文字のL)はラムダ、Д(ラテン文字のD)はデルタ、Ф(ラテン文字のF)はファイといった具合。そこまで分かるだけでだいぶ違う。
むしろ、英語やフランス語のような例外的なつづりはほとんどなく、書いてある通りに発音すればよいので、いったん覚えてしまえば看板を解読するのが楽しくなってくる。
この店は、ラテン文字とキリル文字で1字も一致していない!
身動きもせずにこちらを見つめ続けるおばちゃん
ロシア個人旅行をためらわせる理由として、「ロシア人は見るからに恐い」「ロシア人は無愛想だ」と言う人もいる。確かに、やたらに体格がいい上に、ほかの欧米人や日本人と違って、視線が合ってもにっこりとしない人が多いから、どこか恐く冷たい印象を受けてしまうのも無理はない。
おまけに、ロシア語に慣れていないと、あの強くて硬い発音を聞いただけで、何か怒られているような気分になりがちだ。
今回の旅では、20代、30代の若い人は、売店やホテルでもにこやかに応対してくれる人が多かったのだが、40代後半を過ぎた人はあまり愛想笑いをしないという印象だった。ソ連時代を経験した人とそうでない人に違いがあるのだろうか。
そういえば、ハバロフスクからイルクーツクまで乗った207列車の食堂車のおばちゃんの一人に、そんな人がいた。私たちが何かを買いに行くと、にこりともせずに、鋭い眼光でこちらの顔をじっと見つめる。私たちが彼女の理解できないことばを口走ると、身動きもせずにこちらを見つめ続けるのだ。
恐い顔のロシア人もたぶん恐くない
この反応にはあせったが、やがて慣れてきた。
「彼女は、真摯に私たちの要望を知ろうとしているだけではないか?」
それが証拠に、何度も顔を出すうちに私が少しずつロシア語を発するようになると、そのひと言ひと言に耳を傾けて、忠実に職務をこなすのだ。ことばが通じないときは、必死にジェスチャーをすれば、なんとか理解しようと努力してくれる。それが分かってからは、恐さはだいぶ解消された。
イルクーツク駅のホームに降りてから、私たちは食堂車の前まで足を運んで、みんなにあいさつにいった。そのときに、みんな手を挙げてあいさつをしてくれたのだが、あの無表情なおばさんも、最後にこちらを向いて頬を少し緩めたように見えた。
結局は慣れなんだろう。それからは、恐い顔をした町の売店のおばちゃんにも臆することなく、私たちは微笑み作戦で対処することにした。そうすると、人にもよるのだが、最後にはちょっと頬を緩めてくれる人がいる。表情は変わらなくても、去り際に声をかけてくれる。そんなときは、「勝った!」と、意味もなく喜んだ私たちであった。
「おじさんの冒険」にぴったりのロシア旅行
今の50代、60代、70代には、若いときに日本全国、世界各地を貧乏旅行した人も多いのではないだろうか。なかには、子どもの独立や退職によって時間の余裕ができて、「また昔のように長い旅をしたいなあ」と思っている人は少なくないと思う。
「とはいえ、今からインドや南米に放浪の旅に出るほどの体力はないし、かといってクルーズ船に乗ったりリゾートに長期滞在するんじゃ刺激がないんだよね」
壁に見えるのが「I love New York」のモスクワ版「ヤー リュブリュー マスクヴ」
そんな人におすすめなのが、まさにロシアの旅である。ロシアなら、一応先進国なのでスーパーに行けば何でも買うことができるし、食べ物に苦労することもない。列車は時刻通りに動くので、まずまず便利である。
ところが、その一方で、英語は通じないし、地方都市に行けばタクシーはいちいち値段の交渉をしなくてはならない。刺激を求める日本のおじさん、おばさんの冒険心をそこそこ満たしてくれるはずだ。
2週間の旅の終わりに、私はロシア旅行のキャッチフレーズを勝手に考えてみた。そこで気がついたことがある。
「新しいものと古いものとが共存している国──この国では、どんなに新しい町や建物ができても、どこかに古い心や土の香りは必ず残されている……あれ、待てよ。そんな国のことを、どこかで聞いたことがあるような……」
交差点の地下道にダイドーの自動販売機を発見! 機械も商品も日本のまま。下に貼られた商品の説明をじっと見つめるモスクワの若者
外国人が今の日本を見て感じることを、日本人は今のロシアで感じることができるのではないかと思うのだ。今回の旅で、ロシア人は日本人と日本文化にものすごく興味を持っていることを知った。日本人も、もう少し隣国のことを知ってもいいのではないかと、私は偉そうに提言してみたい。
次の機会にはぜひモスクワから西へ
モスクワから日本への帰路についたのは9月27日のことである。せっかくモスクワまで行ったのだから、さらに西に行きたい気持ちはあったのだが、時間がなかった。
1981年の旅では、モスクワから夜行列車を3本乗り継ぎ、ワルシャワ、ウィーンを経由してヴェネツィアにたどり着いた。今から思えば、もっとゆっくり東欧をめぐればよかったのだが……。
その後、イタリアに3カ月近く滞在して、さらに鉄道でフランス、スペインを経て、その年の暮れにポルトガルのリスボンにたどり着いた。ユーラシア大陸を東から西まで、すべて鉄道でたどったわけだ。我ながらご苦労さんである。
1985年の旅では、モスクワから夜行列車に乗り、チェルノブイリ事故半年前のキエフを訪問。次に、また夜行列車でチャウシェスクが大統領をしていたルーマニアへ行き数日滞在。そして、内戦勃発6年前のユーゴスラヴィアに入り、サラエボ、ドブロブニク、ベオグラード、ザグレブなどの町をめぐって、イタリアのトリエステにたどり着いた。コソボに行き損なったのは、返す返すも残念である。
こうして改めて見ると、決して自慢するわけではないが(と言いつつ、明らかに自慢なのだが)、今では世界史の一部になった時代や地域を旅したんだなあと感慨深い。
今後、体力と時間とカネがあれば、ぜひ1985年のコースをたどってみたい。そしてまた、定点写真を撮って現在と比較したいと思っている。
モスクワ川を渡る地下鉄1号線ヴォロブヨヴイ・ゴールイ駅。橋の上に駅があり、両岸に出入口が設けられている
やっぱり最後まで発車間際に飛び乗り
帰りはいわゆるシルバーウィークの終わりの時期だったので、飛行機の切符は高額なものしか残っていなかったが、ぎりぎりになってほどほどの値段でJALの成田直行便の席が見つかった。
これが取れないと、モスクワ~ノヴォシビルスク、ノヴォシビルスク~ハバロフスク、ハバロフスク~成田という3便を乗り継いで帰るところだった。まあ、それはそれでおもしろい記事ができたかもしれないが……。
ロシアのコーヒー自動販売機。エスプレッソ、カプチーノ、モカなどの表記が見える
モスクワには、ドモジェドヴォ、シェレメチェボ、ブヌコボという3つの主要な空港があり、どの空港へも都心の駅からアエロ・エクスプレスという電車が30分おきぐらいで発車している。現在、日本への直行便はモスクワの南にあるドモジェドヴォ空港が使われており、アエロ・エクスプレスには、ロシア鉄道のパヴェレツキー駅から乗る。ホテルからパヴェレツキー駅までは、地下鉄で1回乗り換え、駅数にして4駅目だった。
「これは楽勝だね! 30分あれば着くかな」
それが大間違いであった。もちろん、いつまでもホテルのロビーでスマホをいじっていた妻が悪いのだが、それだけではなかった。
第一に、大荷物を持って地下鉄の改札を入ろうとすると、X線の検査をしろといって呼び止められた。それで多少の時間を食ったうえに、第二に駅が深い。これは分かりきっていたのだが、荷物が大きいとエスカレーターを歩くこともままならない。
第三に、乗り換えが大変だった。長いエスカレーターでいったん上がって改札ホールに出てから、また長いエスカレーターを下らなくてはならなかった。第四に、駅間が長い。日本だったら2分ほどで隣の駅に着くのだが、モスクワでは都心でも5分ほどかかることがある。
パヴェレツキー駅で発車寸前のアエロ・エクスプレス。それでも、やはり写真は撮る
おまけに、地下鉄からロシア鉄道のパヴェレツキー駅までが予想外に距離があって、結局、この日も最後は駅構内を走ることになってしまった。
サンクトペテルブルクの往復でも時間ぎりぎりだったが、今回は正真正銘の発車間際。改札口で「空港、2枚!」と片言のロシア語で叫び、ホームまで荷物を引きずって走り、乗って30秒もしないうちにドアが閉まった。
150時間かかった旅路を8時間弱で戻る
ロシアの空港というと、昔を知る人にはすこぶる評判が悪い。ソ連時代にアエロフロートを利用してモスクワのシェレメチェボ空港で乗り換えをしたことがあったが、空港ビルはひどく薄暗く、売店で売られていた土産物というと、発色の悪い絵はがきと昔ながらのマトリョーシカぐらい。時間をもてあまし、何時間もぼんやりと座っていた記憶がある。
だが、時代は変わった。明るい構内にはアイリッシュビールの店があり、さほど大きくはないもののちゃんと免税売店もある。ただ、価格がユーロ建てだったので、免税なのにちっとも安くなかったのは残念。
行きは、ウラジオストクから正味150時間あまりをかけてモスクワまでやってきたのだが、帰りは成田までたったの9時間。ウラジオストクまでなら8時間弱である。窓の下に広がる森林や平原を見て、「あそこを何日もかけてシベリア鉄道は走ったんだな」と、ずいぶん昔の出来事のように思い出した。
同室だった「若者」と「兄貴」はあの大地で今日も暮らしているか、おしゃべりなヴィクトリアと興奮体質のセルゲイはどうしているのかな、そしてアネゴ車掌は相変わらず元気で職務をこなしているだろうかと、年甲斐もなくセンチメンタルな気分になるのであった。
──というわけで、2週間の旅をながながと紹介してきたシベリア鉄道とロシアの旅行記もこれで終わり。ご愛読ありがとうございました!
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