2等車での長時間移動に慣れた身にとって、1等車の旅は確かに落ち着いて優雅なものだった。2等車のコンパートメントは日中ドアを開け放しにしているところが多く、トイレやお湯を使う人がしょっちゅう出たり入ったりするので、通路を歩いていても生活感が伝わってきた。
ところが、この1等車では、コンパートメントのドアはどこも締め切ったまま。人の声も聞こえないものだから、はたして何人乗っているのやら。そもそも定員が2等車の半分だから、トイレに行く頻度も半分になるわけで、あまり人の気配を感じなかったのである。
1等車のコンパートメントから見る車窓は、まるでテレビの画面のよう
そんな静かな環境の中、長時間停車があるたびにホームに出たり、ドアを開けて通路側の車窓を眺めたりしている落ち着きのない私たちは、まるで異質の存在だった。
アネゴ車掌にとってみれば、乗客は静かだし、列車は駅にあまり停まらない特急タイプだったから比較的ゆとりのある仕事だったのだろう。つまり、私たちは、彼女にとって格好の気分転換の対象であったに違いない。
質実剛健でアヴァンギャルドなマグカップを購入
前回の記事(モスクワ行き1等車の車掌さんはアネゴ肌)でも軽く触れたアネゴ車掌からの「お土産買え買え攻撃」は断続的に実行されていた。車掌室前に貼りだされた写真入りお土産一覧図をチェックして、まず買おうと決めたのは特製マグカップである。価格は500ルーブルだから、ここではそこそこいい値段である。
ちなみに、この原稿を書いている2016年2月下旬の為替レートは1ルーブル≒1.45円だが、2015年9月に旅行をした時点での為替レートは1ルーブル≒1.8円、成田空港での両替は1ルーブル≒2.2円だった。
いわく表現し難い、なかなかユニークなデザインのマグカップ
手に持ってみるとずしりと重く、まさにロシア的な質実剛健さ。一方で、ご覧のようにロシアン・アヴァンギャルドと呼びたくなる大胆なデザインである。実際にマグカップとして使ったら、ちょっとぶつけただけで欠けてしまいそうなので、これは永遠に部屋の置物となるだろうと直感した。
アネゴ車掌は、また例の大きなクマ車掌のぬいぐるみを引っ張りだしてきて、自分の顔にくっつけて「これも買え」アピールをする。しかも、小さいサイズもあるという。「それならオーケー」というと、アネゴ車掌は車掌室の魔法の扉から、ひと回り小さなぬいぐるみを取り出してきた。
ところが、それは男のクマ車掌であった。
ユーモラスな車掌の人形。やはりこの右側に女性の車掌も欲しかった
「男の車掌じゃなくて、女の車掌がほしい」と土産品一覧の写真を指さしていうのだが、彼女は首を振って「ニエット」という。
その後、ほかの車両まで探しにいってくれたようなのだが、女のクマ車掌の小さなぬいぐるみは品切れだったようだ。誰しも、欲しがるものは同じなのか。
その代わりに買ったのが、上の素焼きの人形。実は、これも男と女の車掌のペアで、左右対称の格好をしているので両方買いたかったが、やはり男だけが売れ残っていた。これは200か300ルーブルくらいだった。
あとは、子ども向けの機関車の本だと思って買ったら、幼児向けのおもちゃセットだったというもの。これも値段は忘れたが、確か150か200ルーブルくらいだったと思う。
塗り絵やパズルなど、いくつかのおもちゃがセットになっている
「ニージュニイ・ノヴゴロド」は「下新庄」?
最終日は、ちょうど夜中の0時をまわったころにモスクワとの時差がなくなった。
そして、夜が明けて最初の長時間停車は、9時38分着のニージュニイ・ノヴゴロドである。ソ連時代の名称であるゴーリキーといえば、聞いたことがある人もいるだろう。戯曲『どん底』で知られるマクシム・ゴーリキーは、ここの出身である。
人口130万人を超える大都会で、駅の周辺には下の写真のようなカラフルな集合住宅が建ち並んでいた。
ニージュニイ・ノヴゴロド駅に到着する直前に見えたカラフルな集合住宅
「これは、冬になって吹雪で視界が悪くなっても、自分の帰る建物を間違えないためじゃないの?」
SNSでこの写真を見た知人が言っていたが、たぶんそうじゃないと思う。
現在の名称ノヴゴロドの「ノヴ」は「新しい」、「ゴロド」は「町、都市」という意味。日本風にいえば新町である。日本でもあちこちに「新町」があるように、ロシアにもこの名前の都市がいくつもあるために、ここでは「下」を意味する「ニージュニイ」を付けて区別しているのだそうだ。「ニージュニイ」は、寝台の下段を示す文字として乗車券にも印刷されていた。
ということは、ニージュニイ・ノヴゴロドは日本風にいえば、「下新町」というわけだ。そういえば、大阪を走る阪急千里線の駅名にある「下新庄」も、たぶん似たような意味だろう。そう考えると、この覚えにくい地名も、ずいぶん親しみが湧いてくるというものだ。
窓越しの逆光なので分かりにくいが、伝統的な形の駅舎。右奥の建物の屋上には、あのおなじみのマークが!
停車時間は12分と短めなので、あえてホームに降りることなく、車内から撮影することにした。心の底で、まだ前日のチュメニの失敗(前回記事「(モスクワ行き1等車の車掌さんはアネゴ肌)」参照)を引きずっていたこともあった。妻と違って、私はデリケートで打たれ弱いのである。
その代わり、ここでは発車後もしつこくカメラをスタンバイしながら車窓を凝視していた。すると、シャイで打たれ弱い私に、「乗り鉄」の女神が微笑んでくれた。
なんと、駅を出て5分ほど経ち、そろそろ市街地も途絶えようかというあたりで、車窓の右側に多数の蒸気機関車が出現したのだ。大型のものから、ノヴォシビルスクの鉄道博物館でも目にしなかった変わったスタイルのものまである。
近い将来に鉄道博物館か鉄道公園にでもするのだろうか。写真をよく見ると、周囲に低い柵が巡らしてある。これはもしかすると特ダネかもしれないと、密かに大満足であった。
左端の機関車はかなりボイラーの直径が大きいユーモラスな形。その奥には軽便用か工事用と思われる機関車もちらりと見える
右側通行? 左側通行? 交流? 直流?
話は前の日の夕方に戻るが、列車に乗っていて奇妙なことに気がついた。ロシアの鉄道は右側通行のはずなのに、進行方向右側にあるコンパートメントの窓から、すれ違う対向列車が見えるようになったのだ。
「あれ? いつのまに左側通行になったのか?」
念のため、通路側の窓のところまで行って地面を見ると、そちら側にはレールがない。明らかに左側通行に変わったのだ。そのときに書いたメモによると、エカテリンブルク(旧・スヴェルドロフスク)付近のようだ。
大都市の間にもこうした広々とした原野が広がっている
不思議なことはこれでは終わらなかった。かなりの時間左側通行で走っていったものの、しばらくするとまた右側通行に戻っているではないか。ところが、またしばらくすると左側通行になる。これを2、3回繰り返したのは奇妙だった。
日本の鉄道は基本的に左側通行で、駅の構内だけ右側通行になることはあっても、駅の間で両者が混在することはまずない。はたして、このシベリア鉄道の奇妙な構造は、いかなる理由によるものか。鉄道が建設された時期によって違うのだろうか。
もう一つ、少なくともノヴォシビルスクまでは、架線や電気機関車の屋根上にある碍子のものものしさからして、電化方式は交流のようであったが、いつまにか直流電化区間に入ったようだ。架線の様子でそうだと気づいたのだが、あとで読んだ『地球の歩き方 シベリア』によると、前回機関車を交換したマイリンスク駅が、交流2万5000ボルトと直流3000ボルトの境界に当たるそうだ。
もう一つ、車窓で気づいたのは、意外とこの辺りになって針葉樹林を見るようになったことだ。シベリアの東側では、針葉樹にシラカバが交じる混合樹林がほとんどだったと思う。
そして、そんな林の中に、本線から別れた支線の線路がすーっと消えていく風景を何度か目にした。それがローカル旅客線なのか、それとも貨物の引き込み線なのかは分からなかったが、心ひかれる風景だった。
「1両だけの小さな車両に乗って、あの林の中に入っていきたいなあ」
あまりに風景に見とれていたためか、それとも駅付近では保存蒸気機関車撮影に気をとられていたためか、うかつにもそんな素敵な風景を撮り損なってしまった。
ウラジーミル駅で思いがけなく「タルゴ」に出合う
12時40分、最後の停車駅ウラジーミル(ヴラジーミル)に到着した。モスクワまで残すところ210km。東海道新幹線の実キロ数でいえば、東京から掛川あたり。シベリア鉄道全線約9300kmから考えれば、もう着いたも同然なのだが、なんとここで53分も停車するのである。
そんなに時間があるなら、世界遺産に指定された白亜の聖堂や修道院を見に行きたいところだが、さすがにそうもいかない。それでも、1時間近くを車内でじっとしているのもつまらないので、チュメニ駅から引きずっている重い気分を振り払うべく、カメラを持ってホームに降りることにした。
どこの国でも同じ。駅舎をバックにスマホで自撮りをするロシア青年
たまたま停車位置の近くに保存されていた蒸気機関車を撮影し、駅舎を遠くから撮ったが、まだ15分ほどしか経っていない。でも、また駅の中心のほうまで歩いていって、何か事件が起きてもいやだなと思い、車両に戻ろうかなと考えたときである。
車両の出入口に立っているアネゴ車掌と目が合った。彼女は何か言いながら右手で遠くにある駅舎を指さす。「まだ時間がたっぷりあるから、もっとあっちまで行ってきなさいよ!」と言っているようだ。
「せっかくアネゴが言うのなら行ってみようか。何かあったら、アネゴに弁護してもらうことにしよう」
すっかり卑屈になってしまった私であった。
すると、このアネゴ車掌のアドバイスのおかげで、思いがけないものに出合うことができた。私たちがぶらぶらと駅舎のあるホームを歩いていると、ノヴォシビルスク方面から1本の列車がやってくるのが見えたのだ。
「はて、特急である私たちの列車を追い抜いていくのか?」
近づいてくる車両を見ると、やけに車体が低い。機関車が普通なだけに、その後ろに連結されている客車が異様に低く見えるのだ。しかも、客車の1両の長さもひどく短い。
「タルゴだ! でも、なぜここにタルゴが?」
スペイン製の高速客車であり、1軸独立車輪を持つ連接車タルゴであることがわかった。詳しく説明すると、それだけで1回分必要なのでここでは省略するが、世界でもこれだけという珍しいタイプのユニークな客車なのである。
それにしても、この路線を走っているとは知らなかった。さっそくSNSにアップしてみたところ、知人が調べてくれて、ニージュニイ・ノヴゴロドとモスクワの間で2015年6月から最高時速200kmで運転が始まったばかりだということがすぐに分かった。
モスクワ~キエフにも走っているようで、今後はモスクワ~ベルリンにも予定されているとのこと。軌間変換装置の付いた、いわゆるフリーゲージの客車であるタルゴなら、レール幅1520mmという広軌のロシア鉄道と、標準軌1435mmのヨーロッパ諸国をスムーズに行き来できるようになる。
現在は、国境で乗客を乗せたまま、客車の台車をそっくり入れ換えるという大がかりな作業をするので、国境越えに何時間もかかってしまうのだが、それが解消される日も近いというわけだ。
珍しいものを珍しいところで見たことに興奮したうえに、若くてスタイルのいいタルゴの車掌さんがグレーのピチピチの制服を着ていることにも感激した。
アネゴに感謝、感謝である。
タルゴの車掌さんの制服はまるで違う。それにしても、ごくごく短い停車時間にもかかわらず、がまんできずに外に出てタバコを吸うロシア人が2人……
厳重な警戒のモスクワ駅でそそくさと撮影
モスクワは、さすがに大都会である。到着のだいぶ前から、沿線に高層住宅やビルが建ち並んでいるのが見え、人や車の数もこれまでの都会とは段違いである。
車窓のそんな景色を眺めながら、終点に到着するワクワク感とともに、もう降りるのかという寂しさも込み上げてきた。思えば、いろいろな人と出会い、いろいろな出来事があった11日間だった。そのうち実際に列車で過ごしたのは計6泊、153時間21分。もっとも今回は、3カ所で途中下車したためか、どこか乗り足りないような気もする。
例によって終点が近くなるとノロノロ運転をして時間調整。そして、定刻通り2015年9月24日16時30分にモスクワ・ヤロスラブリ駅に到着した。
モスクワ市内には、方向別にいくつものターミナル駅が存在する。それぞれ、どこの方向に行く列車が発着するかで、名前が付いている。南西に位置するウクライナのキエフに向かうのはモスクワ・キエフ駅、西のベラルーシやポーランドに向かうのはモスクワ・ベラルーシ駅といった具合だ。
シベリア鉄道の列車の大半はモスクワの北東側から入ってくるので、モスクワの北東にある都市ヤロスラブリの名をとったモスクワ・ヤロスラブリ駅を発着するのである。
ただし、話はややこしくなるのだが、シベリア鉄道の列車はヤロスラブリの町を経由しない。かつて私が乗ったときには経由していたのだが、2001年以降はさきほど紹介したウラジーミル経由になったのだ。
さらにウンチクを垂れると、各駅名に付く地名は形容詞形になるので、正確にいうとモスクワ・ヤロスラブリ駅ではなく、モスクワ・ヤロスラフスキー駅が正しい名称である。
最後の牽引機はクラシックな直流機関車чс7形だった。色分けが鮮やか
長い汽車旅が終わって、私の脳内にはファンファーレが鳴りわたっていた。気分としては吹奏楽の出迎えのなか、時間をかけて悠然と降りていきたいところだが、周囲の人たちはさっさとホームに降り、早足で出口に向かっている。まあ、地元のロシア人にとっては、ごく普通の移動なのだからしかたがない。
私たちも急いで荷物をまとめ、アネゴ車掌にあいさつをしてホームに降りた。
せっかくだから、車両や駅の写真をじっくり撮っていきたいのだが、周囲にはあまりにも警備の警官が多かった。またまた、チュメニの私服警官を思い出してびびるのだが、「まあ、見るからに東アジアからの観光客だから、何枚かの記念写真を撮るくらいは見とがめられることはないだろう」と思ってそそくさと撮ったのが、ここの3枚の写真である。
例によって妻は、そんな夫の心持ちも知らず、のんびりと何枚も写真を撮っていた。
モスクワ・ヤロスラブリ駅は、サンクトペテルブルグに向かうモスクワ・レニングラード駅と隣り合っており、広場の向かいにはモスクワ・カザフ駅がある。
ノヴォシビルスクの寒さとは打って変わって、モスクワの最高気温はその日20度を超えたという暖かさであった。
豪華列車もあるシベリア鉄道の旅
1981年に乗った初めてのシベリア鉄道でも、モスクワ到着の際には確かに脳内ファンファーレが鳴っていた。しかも、今回よりかなり壮麗であった。それだけ感激も大きかったというわけだ。
なにしろ、当時のこの国は政治体制が異なっていたし、当然インターネットもなく旅先の情報は微々たるもの。しかも、20代半ばの私にとって、それが初めての海外旅行だったものだから、ハバロフスクから乗りっぱなしの6泊7日の旅(ナホトカ~ハバロフスクを含めると7泊8日)は、見るもの聞くものすべてが刺激的だったからだ。
30年前の長時間停車で撮った写真。どこの駅かは分からないが、左の車庫にちらりと蒸気機関車が写っている(1985年)
そのときのシベリア鉄道の旅では、私以外の日本人は横浜集合モスクワ解散のツアー客で全員がイルクーツクで途中下車をしたのだが、彼らとは年齢も似たりよったりだったため、車中ではよく一緒に行動していたものだった。
私を含めた10人でつくった住所録は今でも残っている。そのなかには、パリから飛行機でケニアに向かった女性2人組もいたし、「フランス人と結婚する!」とみんなの前で宣言をして実際にその通りになった女性もいた。また、ギリシャかイタリアのバーで隣の人に酒をおごってもらったところ、次に気がついたときはどこかの海岸で身一つで横たわっていたという男性もいたと風の便りに聞いた。
こちらは34年前のスベルドロフスク(現・エカテリンブルク)駅。この型の電車は、今もまだ現役で走っていた(1981年)
そして何より、このときの出会いがきっかけで結婚したカップルも現れた。「一緒に冒険をした」(実際はたいした冒険じゃないが)という気分が、自分たちを運命共同体のように思わせたのかもしれない。
だから、倦怠期のカップルやパートナーならばなおのこと、現在でもシベリア鉄道の個人旅行はお勧めである。英語が通じず、ピロシキの中身さえ分からないところから始まる困難な旅を共有することで、二人の仲は活性化する……かもしれない。
これも34年前のスベルドロフスク(現・エカテリンブルク)駅。跨線橋の上には、警察と思われる人影が何人か駅を監視している(1981年)
「そんな苦労はゴメンだが、それでもシベリア鉄道に乗ってみたい」という方には、別の方法がある。欧米の旅行社が企画・運行している豪華列車のツアーに参加することだ。レールはシベリア鉄道の上を走るが、特別誂えの豪華車両が用意されている。
オリエント急行のシベリア鉄道版といったところだろうか。これならシャワーも付いているし、ツアーだからガイドも食堂車もすべて英語でOKだ。興味のある方は「シベリア鉄道 豪華列車」で検索していただきたい。
モスクワの夜景にびっくり仰天
「フタムラさんが30年も前に見たモスクワとは、まったく変わっているからビックリしますよ!」
出発前に、最近ロシアに行った知人からそう言われたときには、「そりゃあ、これだけ時間も経っていて、その間に社会体制も変化したのだから、当然町の様子も大きく変わっているだろう」とは思っていた。
赤の広場の北側の入口付近。地下鉄の駅の出口もこの付近にある。
しかし、これほどまでに変わっているとは、まったく想像もできなかった。詳しくは次回紹介するが、今回は、到着した夜に見た中心部の様子をお目にかけよう。
当日は木曜日ではあったが中心部は人でごった返しており、町のきらびやかな照明はバブル時代の日本を思い出させた。さすがに資源国だけある。石油価格が下落して経済状態が悪くなったとはいっても、資源を自国で消費する分には関係ないのだろう。
赤の広場は人で賑わっていた。ロシア語、英語、ドイツ語、スペイン語、中国語、韓国語など、さまざまな国のことばが聞こえてくるのだが、残念ながら日本語は耳に入ってこなかった。
赤の広場の周囲は、まるでおとぎの国である。広場と建物は昔と変わりがないものの、派手なライトアップのおかげで、昔の地味なイメージはまったくない。これにはバブル世代の妻も満足げだった。私はといえば、あまりの変化を目の当たりにして、なぜかにやにやと頬がゆるんでいるのを感じていた。
「こりゃあ、パリやローマよりずっと華やかだ!」
この数年、たまたま両都市に行く機会を得た私は、妻に向かって偉そうに叫ぶのであった。
翌日は、30年前の散歩と同じコースをたどり、当時と同じ場所で定点比較写真を撮影する予定である。
町の中心部にあるカフェやビール屋は、夜遅くまで若い人で賑わっていた。パラソルには「カフェ&グリル」と書かれている。
■変更履歴
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「東海道本線の駅名にある「下新庄」」とあったのは
「阪急千里線の駅名にある「下新庄」」
の誤りでした。お詫びして訂正いたします。
本文は既に修正済みです。 [2016/02/29 13:00]
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