100円ライターをプレゼントしたソ連時代

 コンパートメントに戻った私は、34年前のシベリア鉄道を思い出していた。あのときの車掌さんは、ちょっと歯が欠けていて、ずいぶん年のいった女性に見えた。もっとも、もしかすると今の私より若かったかもしれない。

 私は、当時のガイドブックで勧められているとおり、100円ライターを持参して彼女にプレゼントした。当時のソ連で喜ばれる土産物だと書かれていたからだ。「本当かな」と半信半疑だったが、実際にプレゼントしてみると、おばちゃん車掌は100円ライターにキスをしてオーバーなほど喜んでくれるのには驚いた。

踏切で待っているトラックを車内からパチリ

 実は、そのときの私は、旅行社の手違いがあったらしく、外国人専用車両ではなくてオーストリア人の若い男性とともにロシア人用車両に乗せられることになった。これがまたいい体験だった。

 お母さんがいたずら坊主を叱る声が響きわたったり、ロシア人相手の物売りがやってきたりする。そのときに、アルミの食器で食べた50円ほどのボルシチは、これまでのボルシチの中でいまだに最高の味である。

 通路に出ると、ロシア人のおじさん、おばさんたちが、あれこれと質問してくるので、トイレに行くときも会話帳を常に持参しなくてはならなかったほどだ。

ここまで来てもシベリアの開拓村のような風景が見られる

 そのときの車掌さんにとって、私たちは息子くらいの年だったのか、ずいぶん可愛がってくれたっけ。彼女は毎朝、湯沸器で紅茶を入れて持ってきてくれた。毎回10円か20円くらいに当たるお金を払ったように記憶している。そう、ルーブルの下にコペイカという通貨単位があった時代だ。

 「今、ロシア人の車掌さんに100円ライターなんか渡したら、バカにするなって張り倒されるだろうなあ」

 私は妻に向かってしみじみと昔話をしたのであった。

食堂車の派手な色使いにびっくり

 すっかり忘れていたのだが、この1等の乗車券には1回分の夕食が付いていた。食堂車の係員らしき女性がやってきて、メニューを選んでほしいようなことを言う。おそらく、飲み物とメイン料理の種類が選べるのだろう。

 そこでテーブルに乗っているメニューらしきものを見たのだが、書かれている文字はすべてロシア語。しかも、かなり小さい文字だから、日本語であっても読めるかどうかという代物である。

 どうしたものかと数秒間考えた末、「食堂車!」と言って食堂車の方向を指さした。食堂車に行けば、あれやこれやと通じないことばを通じさせながら選ぶこともできるだろう。また、狭いコンパートメントで食べるよりも、広々とした食堂車で食べたいという意思表示でもある。

これまで乗った列車とはまったく違う雰囲気の食堂車だった

 食堂車まで足を運んでみて驚いた。207列車の簡素なビュッフェ車とも57列車のクラシックな雰囲気とも違い、やけに明るくて派手な内装なのである。よくよく見ると座席は安っぽいのだが、それでもこれまでの列車とはワンランク違うという雰囲気を醸しだしていた。

メニューには英語表記やイラストも

 結局、食堂車好きの我々は、2泊3日の乗車で3回ほどお世話になるのだが、驚いたことがあと2つあった。1つはメニューに英語が併記してあったこと。イラスト入りのページまであった。もう1つは、黒ビールを注文したら、いかにも高級そうな瓶入りのビールが出てきたこと。よく見るとチェコ製であった。確かにうまかったが、値段も高かった。

 こうして私たちが食堂車でのんびりとビールを飲んでいるうちに、初日の夜は更けていくのであった。