中国人が席巻する市場に建っていたもの

 カール・マルクス通りはパリのようなハイソな通りなのだが、そこから400mほど南にある中央市場周辺は、実に庶民的で活気あふれる町である。食料品から衣料品まで、ありとあらゆるものがここで買える。

突き当たりが市場で、当時からこの付近は買い物客で賑わっていた(1985年撮影)
路面電車の線路と右の建物は昔のままだが、建物も電車も広告だらけ

 よく見ると、衣料品や雑貨を扱っているのは中国人らしき顔だちの人が多い。30年前の旅でも、イルクーツクではロシア人以外にモンゴル系のブリヤート人が目立っていたのだが、今回は市場周辺にやたらに中国人が多いのだ。

 「鉄道も北京に直通しているし、ここでも中国人パワーか」

 そう思って歩いていると、忽然と現れたのは周囲になじまないガラス張りの大きなビル。なんの建物かと思い、屋上に書かれたキリル文字を懸命に読み取って考えることしばし。なんと、「シャンハイ・シティ」だった。

これが「シャンハイ・シティ」。屋根の線がどこも微妙に傾いているのが落ち着かない

 中国で作られた物産をここで集中して販売しているらしい。

「金沢通り」を見て思ったこと

 イルクーツク散歩の最後に向かったのがここ。レーニン通りに直行している静かな道である。写真の左側に、どこかで見たようなものが立っているのがお分かりになるだろう。

ロシアの街角に金沢兼六園の灯籠が!

 「え? 何これ?」

 「ふっふっふ、イルクーツクはね、金沢と姉妹都市なんだよね」

 あまり役に立たないウンチクを披露する私であった。通りの反対側には、ロシア語と日本語で、両市の交流が書かれた立派な看板が立てられている。写真を撮っていると、近くに住んでいるらしいお兄さんが「こんにちは」と日本語で声をかけてくれた。

 この全長300mほどの道は「金沢通り」と命名されている。もっとも、ロシア語では「w」の発音がなくて「v」音で代用しているので、「カナザヴィ通り」と呼ばれている。

 たかが短い通りの名前だが、諸外国では道路の名前がそのまま住所になる。日本でいえば、金沢の一区画を「ロシア町」と呼ぶようなものだ。金沢出身の知人も知らなかったロシアとのつながりである。

「金沢」は普通のゴシック体だが、「通り」はロシア人の手書きなのだろうか

 この日、15時55分発の列車に乗るべく、タクシーでイルクーツク駅に向かう車中で、いろいろと考えた。

 イルクーツクには、日本語を習って日本に来たいという若い子がいた。市場は中国人商人であふれていた。そして、実はホテルにもバイカル湖にも、韓国人の旅行客が多数訪れていた。韓国とロシアとは2014年からビザ免除になったのだ。

 その一方で、私の周囲の少なくない日本人のロシアに対する認識が、四半世紀前とほとんど変わらない──なかには、「ロシアはずっと敵国だからなあ。旅行に行く人が少ないのも無理ないよ」という人さえいるのには、さすがの私でもちょっと考えさせられたのである。敵なら、なおのこと知らなくちゃいけないよね。