9月19日、土曜日。この日は、バイカル湖畔まで日帰りで物見遊山に行くことにした。目的地は、バイカル湖観光のベースキャンプとなるリストヴャンカという町。イルクーツクの中心部から約70kmというから、東京駅から成田や鎌倉くらいの距離である。
1981年の1回目のシベリア鉄道の旅ではイルクーツクを素通り。1985年の2回目の旅ではイルクーツクで下車したものの、ひたすら市内散歩をしていたので、バイカル湖は初めての訪問である。

前日までは天気に恵まれて、気温も20度前後まで上がっていたが、この日は写真でお分かりの通り、朝からどんよりとした曇り空。天気予報によれば、夜には雨が降るという。雨に備えて私は折り畳み傘を持って出たのだが、妻はそもそもこの旅行に傘を持ってきていないという。
「シベリアで雨が降るなんて……。いつも高気圧に覆われていると思っていた」
どうやら、彼女の頭には、「シベリア→高気圧→晴れ」という図式が確立していたようである。でも、雨が降らなかったら、あんなに森林があるわけがない。

そして、この日は鉄道とは無縁の旅になるはずだったのだが、事態が意外な展開を見せて、やはり鉄道がついてまわることになるとは、ホテルでのんびりと朝食を食べていた私には思いもよらなかった。

マルシルートカという乗合タクシー
のんびりしすぎて、ホテルを出たのはもう9時半過ぎ。近くの停留所から路面電車でバスターミナルに向かい、そこからリストヴャンカまで、マルシルートカと呼ばれるミニバスを利用するという寸法である。
これは、いわば乗り合いの路線タクシーで、ロシアの各都市で見ることができる。市内バスと同じルートで走るミニバスもあれば、郊外の町へ長距離を走るミニバスもある。

客が満員にならないと発車しないので、発車時刻が読めないのが難点だが、リストヴャンカへはだいたい30分おきくらいに出ているという情報を得ていた。
路線バスもあるがどうやら日に3往復程度。アンガラ川を行く水中翼船も2往復なので、気ままな旅にはミニバスが適している。
「大人の旅」だからタクシーを使うという手もあるが、リストヴャンカまで片道2000~2500ルーブルはさすがにきつい。その点、ミニバスは片道で1人150ルーブル、2人なら250ルーブルというリーズナブルな料金であった。

ところで、日本でも海外でも、私は旅先でなるべく公共交通機関を使うようにしている。そうすれば、地元の人たちと同じ空気を吸い、地元の雰囲気を味わうことができるからだ。
手間や時間がかかることもあるし、たまには乗り間違えることもあるけれど、そうしたハプニングが旅の醍醐味というものじゃないかなあと思っている。あとになって、旅の印象として強く残っているのも、たいていそんな苦労した体験だ。
結婚直後、妻はこのことがなかなか理解できなかったようだが、たび重なる私の無理強いによって、最近ようやくあきらめたようだ。

この日もまた、バスターミナルに行く4系統の路面電車が20分も来なかったり、リストヴャンカ行きのミニバス乗り場が見つからなくてうろうろしたり、乗ったミニバスがなぜか近くの市場前で乗り換えになったりと、印象深いハプニングが続出。結局、イルクーツクを出発したのは11時近くになってしまった。
おばさんの買い物バッグに入っていたもの
市街地を抜けると、ミニバスは一般道を恐ろしいほどのスピードで走る。おそらく、常時120~130キロは出していたに違いない。もっとも、林の中を突っ切る一本道なので、いきなり熊や鹿でも飛び出してこない限り、問題ないのだろう。
猛スピードには冷や汗ものだったが、なんにしても、ここまで来たら一安心。あとは終点まで乗っていけばいいだけである。
「やっぱり、地元の人と一緒にバスに乗るのは楽しいなあ。地元の人たちと同じ空気を吸うというのがいいよね」

妻に聞こえるように、そうつぶやいたところで、どこからともなく異臭がしてくることに気がついた。生臭いような、香ばしいような……。
どうやら匂いのもとは、隣のおばさんの買い物バッグのようである。なかには、新聞紙にくるんだ細長いものが入っている。
「魚の燻製だ!」
そういえば、前夜、ホテルの周囲を歩いたときに、大きなスーパーマーケットを見つけたのだが、やけに魚の燻製売り場が充実していることに驚いた。それ以外の品揃えは、肉や乳製品にしても、酒や日用品にしても、そう日本と大差ないのだが、魚売場だけはまったく異なっていたのである。
日本なら生魚や刺身が並ぶところを、ここでは干物や燻製がずらり。車内の匂いは、確かにそのときのものだった。
「まあ、しかたがない。これこそが地元の空気なんだし」と私は心の中で負け惜しみを言うのであった。

場末感たっぷりのバイカルアザラシの芸
リストヴャンカまでは1時間10分ほど。ひそかに危惧していたとおり、そこはかなり俗っぽい観光地だった。下品などぎつさがないのはいいけれど、かなりの場末感が漂っているのだ。もっとも、夏の観光シーズンはもっと活気があるのだろう。帰国してから見たグーグルストリートビューでは、そんな様子を目にすることができた。

停泊している船にロシアの旗が立っていなかったら、日本のどこかのひなびた海岸のような風景でもある。もっとも、淡水だから、海のように見えても潮の香りがまったくしないのは、ちょっと不思議な感じである。
まずは、妻が前の日からうわ言のように「バイカルアザラシ、バイカルアザラシ」と言っていたので、それを見に行くことにした。
バイカルアザラシは、世界でも珍しい淡水のみに住むアザラシで、バイカル湖とその周辺の河川に9万頭ほどが生息しているという。

ショーは30分ほど。丸々と太ったかわいいアザラシが水槽に3頭いて、そのうちの2頭が、サッカーボールをヘディングしたり、かわいい格好をしたり、絵を描いたりと、次々に芸をするのは楽しいものではあった。
ただ、芸をするのがやけに狭い水槽で、その周囲から十数人の観光客が見ているという様子は、やっぱり場末感がぬぐえないのである。ちょっとアザラシが不憫に思えてきた。
残念ながらここでの写真撮影は不可なのだが、帰りがけにイルクーツクに向かって5kmほどのところにあるバイカル湖博物館で写真を撮ることができた。

燻製だらけの魚市場
アザラシのショーのあとに向かったのは、すぐ隣にあるこぢんまりとした魚市場。やはりここも、徹頭徹尾、燻製や干物の魚が並んでいるのだ。その様子は魚市場というよりも、土産物売り場のように見えた。ここで買った燻製の魚を使って食事もできるらしい。

「見るからに我々は遠くから来た観光客だからね。買ってくれと言われずにゆっくり見られるからいいね」
だが、そんなスケベ根性を見透かされたか、若いお姉さんが私の顔の先に、真空パックになった燻製を見せてくれた。これなら持って帰れるということらしい。あちらのほうが一枚上だった。

私としては買いもしないで写真を撮るのは気が引けるのだが、妻はずうずうしく店の真ん前に立って魚の写真を撮っている。
「写真は1ユーロだよ。えっ、オレも撮るの? じゃあ20ユーロだ!」
被写体になったお兄さんは、こう英語で言って笑っていた。これでお互いに笑って済むのが、実際の年齢より若く見える小柄な日本女性の特典だろう。その点、いい年のオヤジが買いもしないで写真ばかり撮っていたら、相手だっておもしろくないに違いない。そう思って、市場での写真は妻に任せることにした。

漁船改造の船に乗ってバイカル湖ツアーに
インフォメーションセンターの拡声器による案内では、午後2時からバイカル湖3時間ツアーというのがあるようだ。いつまでも狭い村をうろうろしていても仕方がないので、これに参加することにした。

参加者は私たち夫婦のほかに、似たような年格好のロシア人夫婦2組。ガイドはエリーナという20歳くらいの女の子である。そして、船には北方先住民風のいかつい顔をした(でも笑うとかわいい)船長ともう一人若い船員が乗っていた。
船は、いかにも漁船を改造しましたというもので、甲板にはごくごく簡素な正方形の客室が設けられている。ストーブを囲んで十数人が入れそうな長椅子が置かれているので、今にも鍋料理が始まりそうな雰囲気である。

エリーナはロシア語と英語でいろいろと解説をしてくれた。ロシア人夫婦のうち1組はハバロフスクからドライブでやってきたとのこと。シベリア鉄道で2泊3日かかった道のりを、4日だか5日だかかけてやってきたと言っていた。
船は、リストヴャンカの対岸にあるポート・バイカルを越えて、さらに30分ほど進み、船着場もなにもない岸辺に着いた。
「いったい、ここはどこなんだ?」
狐につままれたような気分で、道もない崖を登ってところで目に入ってきたのが、なんと非電化単線の鉄道線路であった。そういえば、インフォメーションセンターの案内では、聞き取りにくい英語の中に「オールド レイルウェイ」という単語が聞こえたのが気になっていた。

ツアーのメインはシベリア鉄道の旧線歩きだった!
この線路は、ガイドブックでその存在を知っていたバイカル湖岸鉄道だ。シベリア鉄道の旧線である。
現在のシベリア鉄道は、バイカル湖畔を4時間ほど走ったのち、湖の南西端に位置するスリュジャンカを過ぎると、イルクーツクまで山の中を走っていく。前日、ロシア人が総立ちで車窓からデジカメで撮影していた区間である。

それに対して、20世紀なかばまでのシベリア鉄道は、スリュジャンカからさらにバイカル湖岸を北上して、アンガラ川河口にあるポート・バイカルを経て、アンガラ川に沿ってイルクーツクに至っていた。
ところが、アンガラ川のダム建設によって、ポート・バイカル~イルクーツクの区間が水没するため、1956年に現在のルートに変更されたという。


エリーナの説明によれば、水没を免れたバイカル湖畔のスリュジャンカ~ポート・バイカルは、周辺住民のために単線分が残されたという。今でも、途中に小さな駅がいくつか置かれていて、週に4本の列車が走っているようだ。さらに近年は、観光客のためにイルクーツクからのツアー列車も走っている。
本当はその列車に乗ることも考えたのだが、ツアーにかなりの時間がかかるようなので断念した経緯がある。
「よかったじゃない。線路が見られたので満足でしょ!」
にやにやしていたのを見られたのか、妻に図星を指されてしまったのが悔しい。
線路歩きの最中に観光列車に遭遇
さて、ここからどんなバイカル湖ツアーが始まるのかと思えば、線路をひたすら歩くだけだった。1カ所だけトンネルのところで立ち止まって、この路線がいかに難工事であったかを説明してくれた。当時の技術の粋を集めてトンネルや橋を作ったのだそうで、そのトンネルはいかにも固そうな岩盤をくり抜いていた。

しばらく、みんなで記念写真を撮ったり、思いのまま付近をぶらぶらしていたときである。トンネルの向こうから甲高いヒューという汽笛が聞こえてきた。
「気をつけて!」
エリーナが叫ぶとまもなく、先頭のディーゼル機関車がトンネルから顔を出した。そして、人間が早足で歩くくらいのゆっくりとしたスピードで、20両ほどが通過していったのである。これが観光ツアーのための列車に違いない。

その後は、バイカル湖畔を30分ほど、各人がマイペースでてくてく歩く。
「このあとは、ティータイムです」というから、てっきり観光列車の終点まで歩いて気の利いた喫茶店に入るのかと思ったら、途中の湖岸でさきほどの船が待ち受けていた。そして、さっきの簡素な客室で、ストーブにあたりながら、彼女が入れてくれた紅茶を飲みながらクッキーを食べるのであった。

もっとも、それは悪いことではなく、実に手作り感あふれる、ほのぼのとしたツアーというのが私の印象である。私にとっては、学生時代の鉄道撮影旅行を思い出して、心から満足したのだが、はたしてみんなはこれで本当に楽しいのだろうかと疑問にも思った。
でも、みんなの顔を見ると、私の妻もロシア人乗客も楽しそう。バイカル湖を見ながら、ちょっとしたハイキング気分だったのだろう。
土砂降りの中をイルクーツクに帰り着く
バイカル湖博物館へは、インフォメーションセンターの責任者らしい女性の車に乗せてもらった。30歳前後に見える彼女の自家用車は、なんとBMWである。
「いい車ですね!」と私が言うと、「気に入ってるのよ」とはにかみながら答える彼女。
やっぱり、この仕事は儲かるのだろうか。
「あのツアーだって、結局参加者を歩かせるだけだから、元手はかからないわよね。エリーナは学生アルバイトみたいだし、あとは漁船の燃料費に船長と船員の時給くらいか」

博物館から出てくると、大粒の雨がぽつぽつと落ちてきたが、そこで運良くイルクーツク行きのミニバスがやって来た。
もう夕方だから、ほぼ満員のバスには市場や店で働いていた人たちも乗っているようだった。そしてまた、私の隣にいたおばさんの買い物バッグから、発酵食品の香りが漂ってくるではないか。イルクーツクで買ってリストヴャンカに帰る人もいれば、リストヴャンカで買ってイルクーツクに帰る人もいるということか。

土砂降りの雨の中を1時間あまり走ったのち、イルクーツクに着いたときには、ほぼ雨はやんでいた。
「ほら、私は傘を持たなくても雨に濡れないで済むのよ」
妻は勝ち誇ったように言うのだった。
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