セブン&アイ・ホールディングスで、創業家である伊藤家の存在感が高まっている。創業者の伊藤雅俊・名誉会長の次男、伊藤順朗取締役が12月19日に常務執行役員に昇格した一方で、今春までグループに君臨してきた鈴木敏文前会長の次男、鈴木康弘取締役は年内に退任する。その康弘氏が日経ビジネスに対し、退任の経緯を語った。

「ちょうど大安だったこともあり、12月5日に退任届を出しました。みなさんには慰留してもらったし、井阪隆一社長からも『どうしてですか』と聞かれましたが、翌日の役員会議で退任の挨拶をしました」

 鈴木康弘氏は12月19日、日経ビジネスの取材にこう明かした。

 康弘氏はコンビニエンスストアを日本に根付かせたセブン&アイのカリスマ経営者、鈴木敏文前会長の次男。富士通やソフトバンクを経て、ソフトバンクがヤフーやトーハン、コンビニ事業会社のセブン-イレブン・ジャパンと設立したネット通販会社の社長に就任。同社が2006年にセブン&アイ傘下に入ると、システム基盤の整備などを担当してきた。その後は2014年12月に最高情報責任者(CIO)に就き、2015年5月には取締役に昇格するなど、グループ内で急速に出世する。ネットとリアル店舗の融合を図る「オムニチャネル戦略」の責任者として、関連部門を率いてきた。

「セブン&アイがオムニチャネル戦略の推進を宣言した2013年から、1日も休んだことはありません。それほど力を入れてきました」

 康弘氏は過去数年の自身の働きについてこう振り返る。

<b>鈴木康弘氏。2014年に撮影。</b>(写真:竹井俊晴)
鈴木康弘氏。2014年に撮影。(写真:竹井俊晴)

 ところが敏文氏は今年に入って、セブン-イレブン・ジャパン社長だった井阪氏の退任を提案。結果として社内混乱を招いたことで、2016年5月に退任する。グループ内部では、康弘氏が相次ぎ要職に就いたことで、父親である敏文氏が世襲させようとしているという疑念が一部浮上した。結果として、井阪氏の人事をめぐる混乱の遠因になったとの見方もある。セブン&アイ株を保有する物言う株主の米サード・ポイントも、セブン&アイの取締役に今春送った書簡で、康弘氏への世襲の可能性に懸念を表明していた。だが、康弘氏はこうした見方を明確に否定する。

「僕は自分がセブン&アイの後継者だなんて思ったことはありません。前会長だってそんなこと思っていない。そんな素振り、一度も見せたことないです」

会社の支柱は、鈴木家から伊藤家へ

 焦点となった自らの退任案が4月の取締役会で否決され、5月にはセブン&アイ社長へ昇格することになった井阪氏。敏文氏がいなくなったあとの巨艦をどう舵取りするのか。注目が集まるなか、井阪氏が選んだのは創業家への回帰だった。

 象徴的だったのが2016年10月6日の記者会見だ。井阪氏は「このグループの素晴らしさは(イトーヨーカ堂を創業した伊藤雅俊)名誉会長が躾のように植え付けてくださった企業理念」と発言し、会社の精神的な支柱を創業家に据えることを印象づけた。

 セブン&アイは同日、敏文氏の右腕としてオムニチャネル向けの商品開発にあたった松本隆そごう・西武社長の退任を発表する。12月19日には伊藤家の次男・伊藤順朗取締役が執行役員から常務執行役員に昇格した。こうした流れをみると、康弘氏の退任も、井阪氏が「鈴木体制」と決別しようとする流れの中にあるとみえる。ただし、康弘氏は

「そろそろ辞めどきかな、とは今年の春より前から考えていたのです」

 とし、退任があくまで自らの意思によるものであったと強調する。

「僕はシステムエンジニアで、グループ各社が使っているITシステムを統一する仕事を進めてきた。将来的にもセキュリティを担保することを考えると、これはなかなか骨の折れる仕事です。『オムニセブン』が立ち上がったことで、ひとつ区切りがついたのかなと」

 オムニセブンは、セブン&アイが2015年11月に本格的に提供を始めたネット通販サービス。ネットで注文したものをセブンイレブンで受け取るようにするなど、ネットと店舗事業の連動を軸に、消費者にとっての便利さを実現しようというコンセプトだ。

 セブン&アイはオムニセブンには、個性のある独自商品の強化が必要との考えから、2013年以降、雑貨店「フランフラン」を運営するバルスと資本提携したり、高級衣料専門店であるバーニーズジャパンを買収したりしてきた。オムニで重要な役割を果たすことが期待される百貨店のそごう・西武や、赤ちゃん本舗も、2006年以降に買収した会社であり、もともとITシステムはバラバラ。オムニセブンの立ち上げには各社の商品を同じように取り扱うために、統合作業が必要だったというわけだ。

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