介護にかける費用「8万円の壁」

 所得格差によって生まれる「介護格差」はすでに深刻なレベルに達している。典型的なのが、特別養護老人ホームなどに入所できなかった高齢者のその後だ。

 特別養護老人ホームに入所できない高齢者の主な受け皿となっているのが、一般的な有料老人ホームだ。有料老人ホームは入居一時金がかかる所がほとんどで、1ヵ月にかかる費用の平均は、地域差があるものの約20~25万円といわれている。この価格設定では、たとえ20万円近い年金収入がある家庭であっても、毎月赤字になってしまう。ある程度の貯蓄があれば切り崩して生活できないこともないが、貯蓄が十分に無い人も多い。そうした人が自宅で介護しきれない状態になった場合、どうしても公的な介護施設に入所したいが、できない高齢者が出てきてしまう。

 そこでやむを得ず選択されるのが、無届けの老人ホームだ。無届けの老人ホームとは自治体に届け出をせずに経営している介護施設のことで、自治体の定める基準を満たしていない施設のことをいう。入居一時金は無料か低額で、1ヵ月にかかる費用の平均は11~12万円程度(生活保護で払える限度)だといわれている。

 無届けの介護事業所は、経営者の方針によって質に大きな差があるのが実情だ。中には良心的で、低料金ながらきちんと介護をしてくれる事業所もあるかもしれない。しかし無届けの介護事業所は、貧困ビジネスと呼ばれる悪質な組織であることが少なくない。入所者の手足を縛るなどの身体拘束を行い、新聞やテレビで虐待報道が出て問題になった事業所もある。2014年11月9日の朝日新聞朝刊で報じられた無届け有料老人ホームでは、ベッドに利用者の手足を縛りつけるなどして拘束したり、自由に動き回れないよう部屋のドアに施錠して閉じ込めるなどの虐待が行われていた。

 貧困ビジネスに相当する無届けの老人ホームの多くは、居住スペースがベニヤ板で区切られていたり、食事はレトルトのカレーやコロッケなど出来合いの惣菜を当てがわれたりする。夜間のオムツ交換もなく、職員は無資格者であるため、介護のレベルも低い。健康で文化的な生活とは程遠く、そんな施設に高齢者が住み続けると、いずれ健康を壊すことが容易に想像できる。

 国から認可されている民間の有料老人ホームに払う費用が捻出できる家庭は、基準を満たした施設で適切な介護を受けられる。しかしそれができない家庭は、場合によっては貧困ビジネスの世話になることもあり得るのだ。認可されている有料老人ホームの平均費用と、無届けの老人ホームの平均費用の間には、月約8万円の隔たりが存在する。この8万円が介護格差に直結し、老年期の「健康格差」となって我々に押し寄せてくるのである。

人材不足と地域格差

 一方、介護業界には、それ以外にも深刻な問題がある。介護業界の人材が不足していることだ。たとえベッドに空きがあっても、介護職員の数が足りなくて新たな入所者を受け入れることができない施設もある。

 岐阜県にある特別養護老人ホームでは、現在79人が入所し、更に210人が入所を希望し、待機している状態だ。そのため昨年、新たに増築してベッドの数を増やした。ところが、増築部分のベッドは全て空いたままになっている。施設長に事情を聞くと、人手が足りないため、これ以上入所者を受け入れることができないのだという。

 こうした介護業界の人材不足の大きな理由のひとつが、賃金だ。厚生労働省が2015年に実施した賃金構造基本統計調査によると、介護職員の平均月収はおよそ22万円。この数字は全産業の平均月収と比べ、10万円以上も低い金額だった。それに加え、介護の現場は夜勤も多く、不規則で重労働である。

 こうした原因により介護職員の離職率は16.7%と、以前よりは改善されたものの、高どまりしたままだ。実は、日本にはヘルパーなど介護の基礎的な資格を持つ人が380万人以上いると言われているが、実際に介護の現場で働いているのは177万人に留まっている。厚生労働省の調べでは、このままだと2025年にはおよそ38万人も介護人材が不足するという試算だ。これでは介護難民は増える一方になると予想される。

 東洋大学准教授の高野龍昭さんは、介護をとりまく地域格差が問題を複雑にしていると指摘する。

「私が気になっているのは後期高齢者の増え方が地域によって違うことです。当然、地域によって起こる問題が違うので、対処策を変えていかなければならない。具体的には東京とか埼玉、千葉、神奈川や大阪などの都市部には、後期高齢者の数が2025年には2倍以上、2030年には3倍近くになる自治体があるんですね。そうすると介護サービスが全然足りなくて、施設不足や介護人員不足による介護難民が出てきます。ただその一方で、もともと高齢化が進んでいた島根とか山形とかでは、これから後期高齢者があまり増えないんです。増えないどころか、市町村単位で見たらすでに減り始めていたり、2030年には半減すると推計されている自治体もある。後期高齢者が減るということは介護サービスの利用者、すなわちお客さんが減ってしまいますから、そういうところでは、今ある介護サービス事業所の経営が成り立たなくなるということも考えられます」

認知症社会の到来

 もうひとつ将来の「介護格差」を考えるうえで見過ごせない重大な問題がある。高齢化の急速な進展に伴う認知症の人の急増だ。

 厚生労働省の調査によると、認知症高齢者の割合は年々増え続けている。その数は2012年に462万人とされているが2025年には730万人にまで増えると推計されている。

図1-6 認知症の人の人口推計
図1-6 認知症の人の人口推計

 さらに取材班が、医療関係者や専門家に聞き取り調査を行ったところ、この試算はまだ控え目なほうで、認知症の予備群といわれる「軽度認知障害(MCI=mild cognitive impairment)」になる人の数を加えると、2025年には1300万人が認知症ならびに認知症予備群に該当するという試算が出た。これは国民の9人に1人、65歳以上に限れば、実に3人に1人の割合だ。

 1300万人と言えば、2016年時点の東京都の人口1362万人に匹敵する。これからわずか8年後に、首都東京に住む人々と同じ数の認知症とその予備群の人が日本で生活することになる。

 こうした社会の到来を前に、認知症と診断されることが、絶望ではなく希望になるような社会にしていく必要がある。いわば認知症に対する社会の考え方そのものを転換しようというものだ。いま、「早期発見」が「早期絶望」につながっているという実態がある。認知症=何もわからなくなる、認知症=人生の終わり、といった決まり切ったイメージが世の中にあふれ、そのために、その後の人生に生きる希望を見出せないというのだ。

 認知症=何もわからなくなる、認知症=人生の終わり、という見方からいくと、周囲の負担が大きくなる、介護が大変、というとらえ方しかできなくなる。つまり、認知症の人が支えられる一方の存在だと見る限り、介護の人材不足といった問題ばかりが取り沙汰されてしまうことになるのだ。

 しかし現実には、認知症があっても、普段と同じように暮らしている人や、働き続けている人もいる。行きたい場所があったり、得意なことがあったり、毎日を楽しくいい時間にしていこうと意志を持って生きている人がいる。そうした認知症の人の意志を無視し、「問題行動だ」「介護が大変だ」と見られてしまっていることが少なくない。いわば、認知症=介護が大変というイメージは、社会がつくっているとも言える。

 これからは、本人が「与えられる医療や介護」から、自分たちが「こう社会と関わりたい」という意志を発信し、自らつくっていく、そんな社会にしていくことが必要になってくる。具体的には、認知症の人と一緒に町をよく見て、一緒に何ができるか考えていく。そして、周囲がそれをサポートする。たとえば、ひとり暮らしの認知症の人がいるならば、コンビニや宅配の人が気づいて見守ったり、本人が同意すれば役所に連絡を入れるなど、一人一人が、無理のない範囲内で気づいたことをやるといった認知症の人への関わり方を社会の「標準装備」にしていくことが必要だ。

 高齢者に対する「健康格差」を少しでもなくしていくためには法制度だけでなく、社会のあり方そのものも転換していくことが求められている。

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