10兆円ファンドで孫会長が抱えたサウジリスク
サウジ記者殺害事件がソフトバンクグループの経営に暗雲
ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長が、10月23日からサウジアラビアの首都リヤドで開催される未来投資イニシアチブ(FII)に出席するか否かに関心が集まっている。FIIはサウジで強大な権力を持つムハンマド・ビン・サルマン皇太子が世界の投資家などに呼びかける会議で、今回で2回目となる。
トルコ・イスタンブールのサウジ総領事館内で著名記者ジャマル・カショギ氏が殺害された事件を巡り、ムハンマド皇太子が関与した疑惑が浮上したことで、既に多くの政府関係者や経営者がFIIへの参加を見送っている。
米JPモルガン・チェースのジェイミー・ダイモンCEO(最高経営責任者)や米ブラックストーン・グループのスティーブン・シュワルツマン会長、ドイツ銀行幹部、スイス・ABB幹部が欠席を決めたほか、米ゴールドマン・サックスも幹部の派遣を取りやめた。国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事やムニューシン米財務長官も出席を見送る。三菱UFJ銀行は三毛兼承頭取が欠席するが、吉川英一副頭取が代わりに出席する。一方、英メディアによると英防衛・軍需企業のBAEシステムズはFIIに参加する見通しだという。記事を執筆した22日18時時点では、孫会長が出席するか否かをソフトバンクグループは明らかにしていない。
サウジアラビアのムハンマド皇太子とソフトバンクグループの孫正義会長兼社長は、密接な関係を築いてきた。(写真:Bandar Algaloud/Saudi Kingdom Council/Abaca/アフロ)
孫会長はムハンマド皇太子を口説き、17年にサウジの資金力を基盤とした10兆円規模のソフトバンク・ビジョン・ファンド(SVF)を立ち上げた。1号ファンドはサウジ系の公共投資ファンド(PIF)から450億ドル(約5兆円)の出資を受け、破竹の勢いで米ウーバーテクノロジーズや米ウィーワークなどに巨額投資をしている。
孫会長はムハンマド皇太子と「運命共同体」と呼べるほど密接な関係を築いている。孫会長は諮問委員会の委員を務めるなどFIIについては主催者に近い。ムハンマド皇太子に近いPIF取締役のヤシル・アルルマヤン氏はソフトバンクグループの取締役を務めるなど深い関係を築いており、孫会長は難しい判断を迫られている。
既に孫会長は、SVFの「2号ファンド」の設立に言及している。呼応するようにムハンマド皇太子はSVFに追加出資することを表明している。だが、ムハンマド皇太子が殺害に関与したと認められれば、SVFの2号ファンドの設立が難しくなるとの見方がもっぱらだ。
SVFのCEOはソフトバンクグループ副社長のラジーブ・ミスラ氏で、拠点はロンドンにある。資金の出元はサウジであっても投資先は主に欧米企業であり、投資スキームは欧米で構築している。欧米のステークホルダーの監視下では、ムハンマド皇太子が新たな出資をすることも難しくなるかもしれない。
グーグルの地図から消えたSVFオフィス
記者は10月19日、ロンドンのSVFオフィス周辺を訪れてみた。今夏までは米グーグルの地図アプリにオフィスの場所が表示されていたが、当日は表示されなくなっていた。オフィスの入り口にはSoftBankの文字が小さく記されているが、人の出入りが少なく、ひっそりとしていた。
ロンドンの高級住宅街にあるソフトバンクビジョンファンドのオフィス
今回は世界屈指のリスクテーカーである孫会長の腕の見せ所との分析もある。ある金融関係者は「欧米のビジネス界の腰が引けている時にFIIに出席し、しっかりとサウジに関与できれば、ムハンマド皇太子の信頼は絶大なものとなる。世間の声は移ろいやすい」と指摘する。カショギ氏の殺害については、サウジの権力闘争の一環との見方もある。
だが事件の真実と同時に大事なのは、サウジやムハンマド皇太子に対して世界の多くの人々がどのような印象を持つかだ。今回の事件は「サウジ記者殺害事件が米英政治の波乱要因に」で触れているように、欧米メディアが連日トップニュース扱いで報じている。
世間の目は厳しい。ロンドンでは今月11日に、自然史博物館がサウジのためのレセプションを開催しようとして、多くの抗議が寄せられた。英メディアのガーディアンは、「自然史博物館は血塗られたマネーを受け取った」と激しく批判した。
一方、サウジ政府系の英字メディアは、レセプションは開催され、サウジ大使がホストを務め、外交官や学生などが集まり成功裏に終わったと報じている。
18日には国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチなどの非政府組織(NGO)が国連本部で記者会見を開催。殺害事件の真相を解明するために、独自調査に乗り出すよう国連に求めた。
こうした世論の声を政治やビジネスは敏感に感じ取っている。昨今の個人情報の流出やセクハラなどで社会的な批判にさらされているシリコンバレーの企業は素早く反応した。PIFとSVFから手厚い出資を受けているにもかかわらず早々と欠席を決めた米ウーバーのダラ・コスロシャヒCEOはその典型例である。これ以上、経営における「サウジリスク」を高めたくないのだろう。
サウジ国内ではツイッターなどで事件の詳細が伝わる
欧州でもサウジを敬遠する空気が広がる。今年3月にはムハンマド皇太子と並んで写真に収まり、親密な関係を隠さなかった英ヴァージン・グループ創業者のリチャード・ブランソン氏。同氏は事件を受けてこう述べた。「報道が事実ならば欧米企業がサウジ政府と協力できる能力は明確に変わってくる」。調査結果次第では、同氏はサウジと共同で進める2つの観光事業の取締役を辞め、ヴァージンはサウジと共同で進めてきた宇宙事業について協議を中止することを明らかにした。
独シーメンスのジョー・ケーザー社長は21日時点で、会議への出席について態度を明確にしていない。だが、ドイツ紙の報道によると、ドイツ社会民主党(SPD)のアンドレア・ナーレス党首が「ジョー・ケーザーには考え直してほしい」と発言するなど、圧力が高まっている。
今後のムハンマド皇太子の権力基盤を疑問視する声も上がっている。現地の住民によると、今回の事件はサウジ国内でもツイッターなどの交流サイト(SNS)を通じて情報が伝播しているという。サウジの説明が二転三転していることは、国民に伝わり始めている。今回の事件は報道量が多いので、サウジ政府も規制しきれないのかもしれない。
政権に批判的な情報が流れることは、統制に綻びをもたらす。これを機に不遇をかこっていた王族が巻き返しに動けば、ムハンマド皇太子の権力基盤が揺らぐ可能性もある。
別の視点で見ると、これまではファンドの運用成績が良いとの理由から、孫会長との蜜月は続いてきたとも言える。仮に運用成績が悪くなった場合、ムハンマド皇太子は孫会長をどのように処遇するのか。
サウジは部族社会で裏切り者には厳しい仕打ちを辞さない。孫会長はFIIに出席すればサウジとの関係は強固なものになる一方、人権を軽視するとの印象を世界に与えかねない。それは長期的に見れば、事業展開の大きな足かせになるはずだ。もちろん、FIIに出席するかどうかだけが問題なのではない。今後、孫会長がサウジやムハンマド皇太子とどのように付き合っていくかが焦点である。
発明者を尊敬してやまない孫会長が、「発明」したと胸を張ってはばからないのは「群戦略」という構想だ。ソフトバンクグループや投資ファンドが各業界で強みを持ち、成長が期待できる企業に出資し、それぞれの相乗効果を出すことを狙う。特にAIに関係する半導体設計やデータ、ライドシェアなどの企業に積極投資し、群れを形成することでAI時代の覇権を握ろうとしている。既にSVFの事業利益は大きく、18年4~6月期決算では、ソフトバンクグループの営業利益の約3割に達した。
ただ、この群戦略もサウジという巨大な資金源があるからこそ成立する。ソフトバンクグループの10月22日の株価は、事件前日(10月1日)の終値に比べて約18%下落した。サウジの記者殺害事件は、1つの巨大なファンドだけでなく、ソフトバンクの経営そのものにも大きく関わる問題となっている。
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