2016年10月19日、日産自動車のカルロス・ゴーン社長が三菱自動車の会長に就任することが分かった。10月中にも日産による出資を受け入れ、会長や社長などの首脳人事は12月に開く三菱自動車の株主総会で正式に決定する見込みだ。
ゴーン氏は三菱自動車の益子修・会長兼社長に社長として留任することを要請しているとされる。社長留任となれば、本来なら一連の不正問題についての経営責任をとるはずだった人物がそのまま改革の陣頭指揮を執る「異例の事態」となる。

「白地(浩三)副社長が社長に昇格する線は消えたようだ」(関係者)
ここ数カ月、三菱自動車社内にこんな噂が広がっていた。白地氏は益子氏と同じ三菱商事出身で、商事時代から益子氏の後を追うように自動車事業を中心に出世街道を歩んできた。
4月に燃費不正問題が発覚する前から、益子氏の会長退任後には白地氏が社長に就任し、CEO(最高経営責任者)職も受け継ぐと言われてきた。その白地氏の社長就任の可能性が薄れ、「ゴーン・益子体制」説が社内外で浮上していた。
なぜこんな事態になったのか。一つは、三菱自動車の社内に「風土変革」という大仕事を果たせそうな人材が残っていないことにある。
きっかけは、2000年と2004年の2回のリコール隠しだ。資本提携を結んだ独ダイムラークライスラー(当時)からは見限られ、以来、三菱重工業、三菱商事、三菱東京UFJ銀行のグループ3社が経営の実権を握ってきた。
三菱自動車生え抜きの相川哲郎社長(当時)が誕生したのは、その10年後の2014年。三菱自動車の社員から「希望の星」と期待されたが、今回の燃費不正問題で2016年6月、開発部門トップだった中尾龍吾副社長と共に引責辞任した。ちなみに相川社長在任時もCEO職は益子氏の手にあった。
長い間、経営幹部の多くが三菱グループ各社の出身者や出向者で占められ、度重なる不祥事で開発などの現場の人材も流出した。もはや今の三菱自動車に大役を果たせる人材はほとんどいないのが実情だ。
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