ディー・エヌ・エー(DeNA)を創業した南場智子会長にとって、身悶えるような苦しみを味わった1年だっただろう。

 DeNAが運営していたヘルスケア・医療関連の情報まとめ(キュレーション)サイト「WELQ」の記事内容が問題視されたのは昨年10月下旬。それから、もうすぐ1年が経とうとしている。

 WELQの炎上を契機に、DeNAがゲーム事業に続く第二の柱へと育てようとしていたキュレーション事業は世間から大きな批判と非難を浴び、DeNAは全10サイトの全面休止に追い込まれた。一部サイトについて、南場会長は自力での再建を模索したが、今夏、断念した。

 キュレーション事業の反省と撤退を決めた経緯から、再起への覚悟、そして亡くした夫への思いまで、南場会長が語った。

南場智子(なんば・ともこ)氏。1962年新潟県生まれ。86年津田塾大学卒業、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。96年同社パートナー(役員)に就任。99年ディー・エヌ・エー(DeNA)を設立、社長に就任。2011年夫の看病を理由に社長退任。取締役を経て、15年6月会長に就任。17年3月代表取締役会長に就任(撮影:的野弘路、以下同)
南場智子(なんば・ともこ)氏。1962年新潟県生まれ。86年津田塾大学卒業、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。96年同社パートナー(役員)に就任。99年ディー・エヌ・エー(DeNA)を設立、社長に就任。2011年夫の看病を理由に社長退任。取締役を経て、15年6月会長に就任。17年3月代表取締役会長に就任(撮影:的野弘路、以下同)

問題発覚から1年。今、どんな心境でしょうか。

南場:今の心境は……、難しいですね。あれだけ大変なご迷惑をおかけしたので、言い方には気を付けなければいけませんが、会社がより良くなるきっかけを頂き、それに向けて邁進できているというのは、感謝すべき状況にあるのかなと感じています。

 渦中にいた社員はいまだに自分たちの過ちを深く悔いているけれども、改めてDeNAのあり方を考えるきっかけになりました。今年に入ってから週1度、私に会いたいという社員10人とランチ会をするようにしています。

 今日もランチ会があったのですが、あの事案が気づきを与えてくれたと言葉にする社員も多くいます。キュレーション事業に直接関わっていない社員も含め、深く反省し、前に進み始めているところです。

今年3月に公表された第三者委員会の調査報告書では、最大で約2万1000件の記事内容、約74万件の画像に著作権侵害の疑いがあるとのことでした。権利者に、改めて言葉を寄せるとしたら。

南場:ご迷惑をおかけした権利者を中心とする皆様には、本当に大変なことを我が社が行ってしまい、申し訳ございません、という言葉しかありません。

 今年3月下旬に、全社員の会議を開催し、1200人以上の社員の前で、私は冒頭、「みんなも傷ついたけれど、まずは、私たちが運営していたサイトによってご迷惑をおかけした外部の方々に心を寄せてください」「会社としてこれから色々な改革をしていくけれども、まずは権利者さんなどご迷惑をかけた方々への対応を最優先にします」と伝えました。

 以降、一定のルールの中で、声の小さい人が損をしないような形でアンフェアにならないよう留意しながら、おわびや補償などの対応を進めております。何年かけてでもその対応は心を込めてやっていく。そしてDeNAを、本当の意味で社会に貢献できる会社にすることが、償うということだと思っております。

小学館との協業は「ギブアップ宣言」

 今年8月、DeNAは小学館と新会社を設立し、新たな女性ファッション関連メディアとして「MERY」の開始を目指すと発表した。

 新会社の出資比率は、小学館が約66.4%で、DeNAが約33.3%。「DeNAが小学館と組んでキュレーション事業を再開させる」と見る向きが大きいが、南場会長はこれを否定する。

キュレーション事業は事実上、撤退へ
●DeNAの情報サイトをめぐる主な動き
キュレーション事業は事実上、撤退へ<br /> ●DeNAの情報サイトをめぐる主な動き
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小学館と組み、MERYの再建を目指しています。

南場:これは私たちの会社が再挑戦をするという意味ではございません。自力での再建をギブアップする、断念するということです。本件の事後対応は引き続き当社が最優先で行いますが、当社として単独で従前のキュレーション事業を継続することはございません。

当初は、MERYに関して、自力での再建を目指していたのでは。

南場:はい、小学館さんありきということは全然ありませんでした。相当にマイナスなことをしてしまったのですけれども、やはりインターネットにおける情報配信の課題も浮き彫りになった側面もありましたので、みんなが納得できるような形のメディアをもう一度、自分たちで作れないか、模索をしたのは事実です。

 プラスマイナスゼロとまではいかなくても、それくらいの意気込みで、私たちは4月以降、まずはMERYの再建を念頭に、新たなマニュアルを作り始めました。贖罪だと思ってやろう、というのが私の思いだったんですけれども……。

それがなぜ、こういう結論に至ったのでしょうか。

南場:社内からは、「また間違いがあったら、会社が傷つく」といった反対の声もありました。「傷つきながらでも作っていくのが私たちの使命じゃないのか」「間違いも含めて詳らかに明らかにしながらオープンにやろう」というのが私の意見でしたが、「それは危険だ」「自己満足だ」と、侃々諤々の議論がありました。

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