役職者が集められ、社長は「これ以上続ける価値があると思うか」と問いました。続ける価値があると手を挙げたのは私1人だけ。それでも1人でもいるのであればと、もう1年だけ続けることが決まりました。

 私は当時炊飯器の製造を委託していた協力会社に籍を移し、設計から製造まで一から見直しました。こうして完成させたのが2002年に発売した「おどり炊き」です。

 口コミで評判が広がり、本当に売れに売れました。その後、炊飯器の機能競争は激しくなり、市場規模は拡大しました。今では10万円を超える製品も珍しくありません。中国の消費者に日本の炊飯器が人気なのも、こうした日本の技術競争の結果でしょう。

 「おどり炊き」でブランドを確立した三洋の炊飯器事業はそこから順調に歩みました。三洋電機はその後、経営再建が必要な状態になりますが、炊飯器とカーナビを手がけていた鳥取三洋電機は利益を出していました。鳥取三洋電機だけは別会社で生き残るのではといった話も出たほどです。

 結局は炊飯器事業もパナソニックに引き取られました。パナソニックの事業となり「おどり炊き」はやめようと言う声もあったと聞きますが、今でも「おどり炊き」はパナソニックのブランドとして使われています。5年持てばと思っていたブランドが14年も続いているのですから、うれしいですね。

シャオミからかかってきた1本の電話

内藤さんはこの間、どうされていたのでしょうか。

内藤:私は62歳まで鳥取三洋電機で働いて1年間ブラブラした後、「おどり炊き」を開発した時に籍を移した協力会社に呼ばれて2年ほど働きました。その後はゴルフや釣りや野菜作りなど好きなことをしていました。でも2年もやっていると飽きてしまう。好きなことをしていても、製品を開発し、ヒットさせるような喜びはないのです。

 シャオミから連絡をもらったのはそんなことを考えていた2014年秋ごろのことでした。

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