前回は、「eKワゴン」の開発期間中に燃費目標が5回も引き上げられ、現場では到底、対応できなかった実情を取り上げた。当時、社長だった益子修氏はどう関わっていたのか。第2回は、益子氏の登場シーンに焦点を当てて報告書を読み解いていく。
三菱自動車の燃費不正問題に関する調査報告書を読み解く本連載。前回は、「14年型eKワゴン」(2013年6月発売)に焦点を絞り、(1)同社の開発フローには目標の品質が達成されていなければ通過できない「ゲート(関所)」が6つ設定されていたこと、(2)それらのゲートをくぐる過程で開発本部トップらにより燃費目標が5回も引き上げられ、そのうち何回かは現場にもその事実が伝えられていなかったこと、(3)目標達成が難しいことを現場が開発本部のトップに伝えていたにもかかわらず聞き入れてもらえなかったこと、の3つに着目した。
今回は、この一連の流れの中で経営陣がどう関わっていたかを見ていく。

東芝など他社の不正にまつわる調査報告書と異なり、三菱自動車の報告書にはトップである益子修会長の名前がほとんど出てこない。唯一、不正と関連する部分で登場していたのが、14年型eKワゴンの燃費目標などを設定する「商品会議」の場面だった。
背景を理解するためには、14年型eKワゴンの開発に関わる主要人物を知る必要があるだろう。前回も触れたが、同モデルは三菱自動車が日産自動車と共同出資して設立した軽自動車開発会社のNMKV(東京都港区)が初めて手掛けたものだ。表向きにはNMKVが開発母体となっていたが、実際にプロジェクトを動かしていたのは、三菱自動車や同社開発子会社の三菱自動車エンジニアリング(MAE)に所属する人たちだった。
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